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  11. 林羅山
日本大百科全書(ニッポニカ)

林羅山
はやしらざん
[1583―1657]

江戸前期の儒者。名は信勝。字(あざな)は子信(ししん)。剃髪(ていはつ)して道春(どうしゅん)と称す。羅山は号。天正(てんしょう)11年8月に京都に生まれる。1595年(文禄4)に臨済(りんざい)宗の建仁寺(けんにんじ)に入って、儒学と仏教を学んだが、1597年(慶長2)に家に帰ってのちはもっぱら儒書を読み、朱子の章句、集注(しっちゅう)(四書の注釈)を研究して宋学(そうがく)に傾倒し、仏教を排撃した。1604年より藤原惺窩(ふじわらせいか)に師事し、その推薦で1607年徳川幕府に召し抱えられ、以後、家康(いえやす)、秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)、家綱(いえつな)の4代将軍に仕え、侍講(じこう)として儒書や史書を講じた。またつねに将軍の傍らにあって、儀式・典礼の調査、法度(はっと)の制定や古書・古記録の採集・校訂、外交文書の起草にあたった。1630年(寛永7)将軍家光から江戸上野忍ヶ岡(しのぶがおか)に土地を与えられ、私塾・文庫と孔子廟(こうしびょう)を建て(これらはのち、神田(かんだ)の昌平坂(しょうへいざか)に移されて幕府直轄の昌平坂学問所および聖堂となった)、林家(りんけ)の家学である朱子学が幕府の正学となる基を開いた。羅山は、1657年(明暦3)のいわゆる明暦(めいれき)の大火によって神田の本邸の文庫を焼失、落胆して病臥(びょうが)し4日後の1月23日に没した。
 羅山の学問は、漢唐の旧注から陸象山(りくしょうざん)(九淵(きゅうえん))、王陽明(おうようめい)(守仁(しゅじん))の学に及び、諸子百家より日本の古典にわたったが、朱子学が中心であった。すなわち、羅山は藤原惺窩に従っていたころ王陽明の理気論に傾いていたが、1619年(元和5)の惺窩の死以降は朱子の理気論にたつことをはっきり宣言している。そして天(理気未分の太極(たいきょく))を人事・自然のいっさいの事物のうちに内在化し、しかも天は気によっていっさいを創造し、理によっていっさいを主宰するものと考え、この天の働き(天道)を賛(たす)けることを人道と断じ、この人道の履践(りせん)が「格物」に始まることを主張した(『春鑑抄(しゅんかんしょう)』(1629)『三徳抄』『性理字義諺解(げんかい)』および『林羅山先生詩集・文集』などの著がある)。羅山はこの朱子学の立場から神道(しんとう)を解釈して「理当心地神道」をたて、近世の儒学神道の先駆けをなした(『神道伝授』(1644~1647)『本朝神社考』(1638~1645成立)『神道秘伝折中俗解』などの著がある)。
 家康が羅山を召し抱えたのは、羅山の信奉した朱子学を理解し、それが新しい封建制度を持することを認めたからではなく、主として羅山の学殖を政治の実際に役だてようとしたからであろうが、しかし朱子学の思想と徳川封建政治の理念との間に内面的関係が存在し、この関係が羅山の子孫をして代々大学頭(だいがくのかみ)として幕府の文教をつかさどらせ、朱子学をして幕藩体制を支持する官学たらしめたゆえんと考えられる。
 羅山には4人の男子があり、長男、二男は夭死(ようし)した。三男春勝(はるかつ)は鵞峰(がほう)と号し、1618年に、四男守勝(もりかつ)(1625―1661)は読耕斎(とくこうさい)と号し、1625年に、いずれも京都で生まれた。鵞峰は父の後を継いで幕府に仕えて大学頭となり、読耕斎もまた幕府に召し抱えられた。羅山の在世中、この2子は父を助けて歴史書の編集に従い、『寛永(かんえい)諸家系図伝』や『本朝編年録』(1644)などをつくった。羅山の死後に鵞峰は後者を続編して『本朝通鑑(つがん)』をつくる。
[石田一良]

『本朝編年録』(稿本)[百科マルチメディア]
『本朝編年録』(稿本)[百科マルチメディア]
林羅山(はやしらざん)自筆稿本 江戸時代初期写 国立国会図書館所蔵
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1. 林羅山画像
日本大百科全書
主張した(『春鑑抄(しゅんかんしょう)』(1629)『三徳抄』『性理字義諺解(げんかい)』および『林羅山先生詩集・文集』などの著がある)。羅山はこの朱子学の立場 ...
2. 林羅山
世界大百科事典
1583-1657(天正11-明暦3) 江戸初期の儒学者。名は信勝,忠,字は士信,通称は又三郎,剃髪して道春。号はほかに羅浮山人,海花村,夕顔巷など多い。祖先は ...
3. はやし‐らざん【林羅山】画像
デジタル大辞泉
[1583~1657]江戸初期の儒学者。幕府儒官林家の祖。京都の人。名は忠・信勝。法号、道春。朱子学を藤原惺窩(ふじわらせいか)に学び、徳川家康から家綱まで4代 ...
4. はやし‐らざん【林羅山】
日本国語大辞典
江戸初期の儒者。名は忠または信勝。字は子信。通称又三郎。家康の命により慶長十二年(一六〇七)剃髪して道春と号した。京都の人。藤原惺窩に朱子学を学ぶ。のち、惺窩の ...
5. はやしらざん【林羅山】画像
国史大辞典
状』(同)、『寛政重修諸家譜』七七〇、堀勇雄『林羅山』(『人物叢書』一一八)、大江文城『本邦儒学史論攷』、石田一良・金谷治校注『藤原惺窩 林羅山』(『日本思想大 ...
6. はやし-らざん【林羅山】
日本人名大辞典
1583−1657 江戸時代前期の儒者。天正(てんしょう)11年8月生まれ。藤原惺窩(せいか)に朱子学をまなぶ。慶長10年将軍徳川家康につかえ,以後4代の将軍の ...
7. 林羅山[文献目録]
日本人物文献目録
ビアン』新村出『林羅山』阿部吉雄『林羅山 近世儒学史の開幕』和島芳男『林羅山雑考』福井保『林羅山と神道』浅野明光『林羅山と禅・茶』古田紹欽『林羅山と其の史学』肥 ...
8. 林羅山・林信勝
日本史年表
1607年〈慶長12 丁未④〉 4・‐ 幕府、 林羅山 を儒者として任用(重修譜)。 1624年〈寛永元(2・30) 甲子〉 4・11 林羅山 、徳川家光の侍講 ...
9. 日本漢詩集
日本古典文学全集
4世紀ごろより中国から入ってきた漢籍を訓読によって日本語化し、さらには本家に倣って「漢詩」をつくるようになる。飛鳥時代の大友皇子や大津皇子にはじまり、平安期には ...
10. 林羅山蔵書印[図版]画像
国史大辞典
江雲渭樹 夕顔巷 胡蝶洞 道春 羅山 読畊斎 読耕斎之家蔵 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
11. 林羅山建學校 (見出し語:學校)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1129ページ ...
12. 林羅山敍法印 (見出し語:林信勝)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 797ページ ...
13. 林羅山善文 (見出し語:林信勝)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 324ページ ...
14. 林羅山排〓 (見出し語:林信勝)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 54ページ ...
15. 林羅山排耶蘇 (見出し語:林信勝)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 1150ページ ...
16. 林羅山藏書 (見出し語:林信勝)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 376ページ ...
17. 林羅山訓點 (見出し語:林信勝)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 293ページ ...
18. 会津神社志
世界大百科事典
耶麻郡76座,大沼郡62座,河沼郡41座の4郡268座の由緒ある神社名を列挙したのが本書で,林羅山の子鵞峰,孫鳳岡,山崎闇斎の序文,吉川惟足,服部安休の跋文をつ ...
19. あかつちむら【赤土村】茨城県:久慈郡/金砂郷村
日本歴史地名大系
藩蔵入地となる。当村は水府煙草の起源の地、名産地として知られ、「古事類苑」(植物部)によると林羅山は徳川光圀からの煙草贈与に対し「赤土ハ君ノ封国内ノ ...
20. あしかががっこうあと【足利学校跡】栃木県:足利市/足利町/足利五ヶ村
日本歴史地名大系
・宋版「周易註疏」や国指定重要文化財の宋版「唐書」なども含まれる。図書館としての機能も強く、林羅山・太宰春台・貝原益軒・渡辺崋山など多数の文化人が訪れている。明 ...
21. ありまおんせん【有馬温泉】兵庫県:神戸市/北区/湯山町
日本歴史地名大系
はじめ(「有馬湯治日記」宮内庁書陵部蔵)、大名・公家・僧・医師・学者など多くの人々が湯治に訪れ、林羅山の「温湯記」や貝原益軒の「有馬湯山記」などの地誌・紀行集が ...
22. 有馬地誌[文献解題]兵庫県
日本歴史地名大系
墓)の各部門に分けて記述している。道祐は林羅山(道春)に儒学を、堀杏庵(正意)に医学を学んだが、双方の師匠にはいずれも有馬温泉に関する著述があり、林羅山は元和七 ...
23. あんよういんあと【安養院跡】茨城県:久慈郡/金砂郷村/赤土村
日本歴史地名大系
一六)栗田勤の筆になる水府煙草栽培起源の碑があり、そのなかに「宥範といふものあり。江戸に到り林羅山に従学せり。談たまたま郷里赤土の事に及び、その瘠地粘土にして、 ...
24. いけだのしゅく【池田宿】
国史大辞典
川渡渉の重要性に鑑みて、池田渡船の船守りを保護し、渡渉に万全を期しているが、江戸時代初期には林羅山も「天竜の河の東のはたに、形ばかりのこりて、わづかなる小民ども ...
25. 異国日記
日本大百科全書
元良、西笑承兌(さいしょうしょうだ/しょうたい)、文之玄昌(ぶんしげんしょう)らの外交書簡や林羅山(はやしらざん)らと外国使節の間に交された詩文などを収録。沼田 ...
26. いこくにっき【異国日記】
国史大辞典
を収め、慶長六年十月から寛永十三年十二月に及び、必ずしも年代順の配列とはなっていない。さらに林羅山らと使節との間に交された詩文や朝鮮人接待の記事など収録されてい ...
27. 石川丈山
日本大百科全書
詩を学んだ。1641年(寛永18)洛北(らくほく)一乗寺に詩仙堂を築いて隠棲(いんせい)し、林羅山(らざん)、元政上人(げんせいしょうにん)ら当時著名な文化人と ...
28. いしかわじょうざん【石川丈山】画像
国史大辞典
できたのは、若年のころより参禅し、心底に世を厭うの念が強かったためらしい。以後は俗客を避けて林羅山とか堀杏庵とかいう文雅の士とのみ交わり清談に日を暮した。詩名も ...
29. いずもじ-いずみのじょう【出雲寺和泉掾(初代)】
日本人名大辞典
?−1631 江戸時代前期の本屋。林羅山(らざん)の一族という。京都今出川通の酒造家から書店に転業。朝廷の書物御用をつとめた。寛永8年6月5日死去。姓は林。名は ...
30. いちのい-ほうご【一井鳳梧】
日本人名大辞典
1616−1731 江戸時代前期-中期の儒者。元和(げんな)2年生まれ。出雲(いずも)(島根県)の人。林羅山(らざん)にまなび,大坂ではじめて儒学をおしえる。ま ...
31. 一休ばなし(仮名草子集) 260ページ
日本古典文学全集
た地名を二つ詠み込んでいる。丹波の「丹」は赤色。前句を受けて色名のついた地名を二つ詠み込む。林羅山の『梅村載筆』に対句の好対を二十七対収録しているが、中にこの句 ...
32. 一休ばなし(仮名草子集) 326ページ
日本古典文学全集
臨済宗の大道場。東坡居士が径山寺の詩を山なりに作る。次の山形詩が一休の作かは不明ながら、先行の林羅山著『梅村載筆』に、次の第五話の熊野の最初の詩を一休作として載 ...
33. 一休ばなし(仮名草子集) 354ページ
日本古典文学全集
万福寺を開いた。薪の酬恩庵と大徳寺の真珠庵にあり、ともに一休の髪を植え込んだといわれている。林羅山の『梅村載筆』に「一休自らひげをぬいて、我木像につけられたり」 ...
34. いばらき-しゅんさく【茨木春朔】
日本人名大辞典
1614−1671 江戸時代前期の医師,仮名草子作者。慶長19年生まれ。江戸の人。林羅山(らざん)に儒学,吉田策庵に医術をまなんだという。酒井忠清の侍医となる。 ...
35. いぶきじんじゃ【伊富岐神社】岐阜県:不破郡/垂井町/伊吹村
日本歴史地名大系
〓草葺不合尊としている。林羅山の「本朝神社考」などは八岐大蛇とするが、これは「日本書紀」などに伝える日本武尊が伊吹山の荒神によって命 ...
36. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】京都府:八幡市
日本歴史地名大系
また小堀遠州とは縁戚であった関係などから、公武の間にあってその仲介役を果したことなどが知られる。林羅山・木下長嘯子・石川丈山・佐川田昌俊・沢庵らとの交友も著名で ...
37. 雨月物語 324ページ
日本古典文学全集
録事)。庭先へ回ったのである。南に面した座敷、普通は正座敷。「魚服記」を訳した『怪談全書』(林羅山著/元禄十一年刊)の「魚服」では、「門ニ入レバ囲碁スルヲ見テ」 ...
38. うん‐かん【雲翰】
日本国語大辞典
〔名〕他人の手紙を敬っていう語。貴翰(きかん)。雲箋。*新編覆醤続集〔1676〕一〇・答林羅山「雲翰触〓手光塵曜 ...
39. うんしんじ【雲心寺】福岡県:直方市/山部村
日本歴史地名大系
高政および之勝の墓所ならびに歴代福岡藩主の位牌があり、高政の重臣吉田知年が寄付した黒田長政像には林羅山直筆の銘があった(続風土記・続風土記附録)。なお「直方旧考 ...
40. えいほえいゆう【英甫永雄】
国史大辞典
この間文禄三年(一五九四)九月南禅寺にも住した。西笑承兌らと親交を結び、また建仁寺の古澗慈稽の門に学んでいた林羅山とも交わり、羅山の学問に多大の影響を与えた。な ...
41. えいほ-えいゆう【英甫永雄】
日本人名大辞典
文渓永忠の法をつぐ。天正(てんしょう)14年から没年まで建仁寺(けんにんじ)住持。同寺でまなんでいた林羅山(らざん)に影響をあたえる。連句や和歌にすぐれ,とくに ...
42. 江戸温泉紀行 307ページ
東洋文庫
文学にはまだなりきれない実用書のたぐいも、これ以前には多く出ている。江戸時代初期の平子政長『有馬私雨』や、林羅山『有馬温湯記』、貝原益軒『有馬山温泉記』など。そ ...
43. 江戸参府旅行日記 338ページ
東洋文庫
高家にしたのに始まり、以後世襲で二六家あった。五 第二の宮を建てさせた これは恐らく聖堂のことで、上野忍ヶ岡の林羅山の家塾にあったものを、五代将軍綱吉が元禄四年 ...
44. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
5(慶長10)3月 家康、活字版『東鑑』を刊行(活字版印刷の盛行)1607(慶長12)4月 林羅山、将軍侍講となる1608(慶長13)姫路城天守閣を造営1610 ...
45. えどゆしまのせいどう【江戸湯島の聖堂】 : 孔子〓
国史大辞典
〔江戸湯島の聖堂〕 寛永九年上野忍岡の林羅山の家塾に始まり、万治三年(一六六〇)改築、元禄三年(一六九〇)湯島昌平坂(東京都文京区)に移転改築して聖堂と称し、 ...
46. おおいがわ【大井川】静岡県:総論
日本歴史地名大系
稿)。このため江戸初期には渡河の手助けをする川越人足が現れたが(烏丸光広「あつまの道の記」・林羅山「丙辰紀行」)、渡賃などをめぐってトラブルが頻繁に発生、幕府と ...
47. おがわ-しゅんせい【小川俊政】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の儒者。京都の人。林羅山(1583-1657)の門弟であった。字(あざな)は子正。名は俊成とも。 ...
48. おくじゅしゃ【奥儒者】
国史大辞典
江戸幕府の職名。将軍の侍講である。若年寄支配。布衣格、二百俵高、役料二百俵。初めは特に置かれず、林羅山・鵞峯・鳳岡がこの任務にあたったが、享保年間(一七一六―三 ...
49. 諡
日本大百科全書
さ)の威公、同光圀(みつくに)の義公、同斉昭(なりあき)の烈公など)に、(3)学者では儒者(林羅山(らざん)の文敏、木下順庵(じゅんあん)の恭靖(きょうせい)な ...
50. 伽婢子 1 81ページ
東洋文庫
燈新話』の中でも日本で最も歓迎された話で、早く慶長五年(一六〇〇)   には林羅山が「牡丹燈之詩」をものし(『林羅山詩集』一二)、慶長末成立とされる『奇異雑談集 ...
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