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  11. 天璋院(篤姫)
日本大百科全書(ニッポニカ)

天璋院
てんしょういん
[1835―1883]

徳川13代将軍家定(いえさだ)の正室。名は篤子(あつこ)、のち敬子(すみこ)。通称篤姫。幼名は於一(おかつ)。幕府の消滅に立会い、徳川本家廃絶・江戸城武力攻略の回避に力を尽くし、明治期には徳川本家の家格・家名の維持を目ざした。父、島津忠剛(ただたけ)は島津家家臣のうち最上級とされる「一門家(四つの分家)」の一つ、今和泉(いまいずみ)島津家(石高1万3000石)5代目。幕府は11代将軍家斉(いえなり)に1789年(寛政1)嫁いだ島津重豪(しげひで)の娘茂姫(広大院)にあやかって、家定の室を島津家からめとりたいと、島津藩世子の斉彬(なりあきら)(後の11代藩主)に打診、その候補として今和泉島津家の於一が選ばれた。於一は斉彬の養女となった。さらに右大臣、近衛忠熈(ただひろ)(1808―98)の養女として、1856年(安政3)家定との婚儀が行われ、御台所(みだいどころ)となった。次期将軍に慶喜(よしのぶ)を望んだ一橋派・斉彬の懇請に従ったが、周囲に反対され実現できなかった。家定が1858年に没すると落飾して天璋院の号を得、従三位に叙せられる。その後大奥の取締りにあたる。1867年(慶応3)15代将軍慶喜が大政を奉還すると、徳川家の存続と官軍の江戸城攻め回避のため、静寛院宮(和宮)らとともに尽力した。しかし1868年7月、官軍に反発、奥羽越列藩同盟に官軍討伐を願った。その後一橋邸、紀伊藩邸、尾張藩邸、相良(さがら)藩邸と移り、徳川16代当主家達(いえさと)のいた徳川千駄ヶ谷邸で過ごし、1883年(明治16)11月20日、満47歳で没した。徳川家処分の際に位記を剥奪(はくだつ)されていたが、従三位に復し、上野の家定の墓域に埋葬された。
[三木 靖]

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1. 天璋院
日本大百科全書
望んだ一橋派・斉彬の懇請に従ったが、周囲に反対され実現できなかった。家定が1858年に没すると落飾して天璋院の号を得、従三位に叙せられる。その後大奥の取締りにあ ...
2. 天璋院
世界大百科事典
凞の養女として56年(安政3)家定に嫁し,御台所となった。58年7月の家定の死に伴い落飾して天璋院と号し,以後大奥で重きをなし,14代家茂(いえもち)死去の際は ...
3. てんしょう‐いん【天璋院】
デジタル大辞泉
近衛家の養女(敬子(すみこ)と改名)を経て御台盤所(みだいばんどころ)となる。家定の死後、落飾して天璋院と称した。篤姫。  ...
4. てんしょういん[テンシャウヰン]【天璋院】
日本国語大辞典
安政三年(一八五六)四月に近衛家の養女となり、同年一二月家定と結婚。同五年に家定が没した後、仏門に入り天璋院の号を得る。天保七〜明治一六年(一八三六〜八三) ...
5. てんしょういん【天璋院】
国史大辞典
[参考文献]『斉彬公史料』(『鹿児島県史料』)、『続徳川実紀』、本多辰次郎「天璋院夫人」(『歴史地理』一四ノ五)、同「天璋院」(『中央史壇』三ノ四) (井上 勲 ...
6. てんしょういん【天璋院】
日本人名大辞典
1837*−1883 幕末-明治時代,徳川家定(いえさだ)の正室。天保(てんぽう)7年12月19日生まれ。島津斉宣の孫。島津忠剛の娘。はじめ島津斉彬(なりあきら ...
7. 天璋院[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:2件 『天璋院』本多辰次郎『天璋院夫人』本多辰次郎 ...
8. 天璋院篤姫
デジタル大辞泉プラス
鹿児島県、濱田酒造が製造する焼酎の商品名。清酒に使われる黄麹で仕込んだ本格芋焼酎。 2015年09月 ...
9. 天璋院篤姫金山蔵ボトル
デジタル大辞泉プラス
鹿児島県、濱田酒造が製造する焼酎の商品名。鹿児島県産の紫芋と白麹による本格芋焼酎。 2015年09月 ...
10. 天璋院篤姫伝兵衛ボトル
デジタル大辞泉プラス
鹿児島県、濱田酒造が製造するリキュールの製品名。鹿児島県産の紫芋を原料とする本格芋焼酎。 2015年09月 ...
11. 浅田宗伯
日本大百科全書
805―1876)らと親交を結び、1861年(文久1)幕府の侍医となり、和宮(かずのみや)、天璋院(てんしょういん)(第13代将軍徳川家定夫人)、第14代将軍徳 ...
12. あつ‐ひめ【篤姫】
デジタル大辞泉
徳川家定の正室天璋院が、島津斉彬の養女となって改名した折の敬称。  ...
13. 篤姫
デジタル大辞泉プラス
2008年放映のNHKの大河ドラマ。原作は、宮尾登美子の小説『天璋院篤姫』。徳川家定の正室・篤姫の生涯を描く。脚本:田渕久美子。音楽:吉俣良。出演:宮崎あおい、 ...
14. いくしま【幾島】
日本人名大辞典
安政3年島津敬子(天璋院(てんしょういん))が将軍徳川家定と結婚したさい将軍夫人付老女として江戸城大奥にはいる。将軍継嗣問題がおきたとき徳川慶喜(よしのぶ)を擁 ...
15. うたはし【歌橋】
国史大辞典
うのもその理由の一つであった。夫人に二度先立たれた家定に三番目の夫人として島津斉彬の女篤姫(天璋院)が送りこまれた(安政三年(一八五六))のは、慶喜を推す一橋派 ...
16. かじしょうぞく【火事装束】
国史大辞典
現に慶応三年(一八六七)十二月二十三日の江戸城二ノ丸の火災に際しては、将軍徳川家定の正室であった天璋院が率先火事装束に身を固め防火に努めたという記録がある。この ...
17. 京都守護職始末 2 旧会津藩老臣の手記 131ページ
東洋文庫
追うひまもなく率先して敵に向つたという故事をさす。竣蟻の微忠 螂蟻は小人という意味。忠義のへりくだった表現。天璋院 将軍家定夫人。薩州藩主島津斉 ...
18. 京都守護職始末 2 旧会津藩老臣の手記 241ページ
東洋文庫
刀一口(豊後定行作)を賜うた。わが公父子は謝礼として、太刀、馬代、巻物などを献上した。その他、静寛院宮、天璋院殿、御台所にそれ別てれ献上物をした。 越えて、七月 ...
19. 京都守護職始末 2 旧会津藩老臣の手記 245ページ
東洋文庫
を口にするものはなかった。注 二三四静寛院宮 前将軍家茂夫人。和宮。 一巻一九頁注六を見よ。天璋院 前々将軍家定夫人。御台所 将軍慶喜夫人。今出川実順の妹9名は ...
20. 小梅日記 1 幕末・明治を紀州に生きる 245ページ
東洋文庫
下総関宿亀甲中花びしメ等、窮是は不分   御留守居     七千石    池田甲斐守   西久保   天璋院様御用人      百衷    岩佐摂津守愈麟善+郎 ...
21. しまづ-なりあきら【島津斉彬】
日本人名大辞典
1代となる。藩営の工場集成館を設立し,殖産興業,富国強兵策をすすめる。養女篤姫(あつひめ)(天璋院)を将軍徳川家定の正室にして,幕府への発言力をつよめる。将軍継 ...
22. 将軍継嗣問題
世界大百科事典
大奥も水戸の斉昭に対する反感から紀州派に傾き,島津斉彬の手で家定の室として送りこまれた篤姫(天璋院)は,苦しい立場に置かれた。家定の継嗣問題は,日米修好通商条約 ...
23. じゅん‐・ずる【準・准】
日本国語大辞典
たるなるべし」*近世紀聞〔1875〜81〕〈染崎延房〉二・三「咸(みな)夫々に進献あれば和宮天璋院殿よりも之に准(ジュン)ぜし捧物あり」*易経‐繋辞上「易与 ...
24. じょ‐し[ヂョ‥]【女使】
日本国語大辞典
之時、皆式定事也」*近世紀聞〔1875〜81〕〈染崎延房〉九・一「和宮及び天璋院よりも同所へ女使(ヂョシ)を遣はされて」 ...
25. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 81ページ
東洋文庫
を老中へ贈って御進発を促したように覚えます。それから近衛様からも御書面を天璋院様の御側の老女に御贈りになりまして、天璋院様から将軍様へ御勧め申すようにという意味 ...
26. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 307ページ
東洋文庫
公)を立つべしと仰せおかれしとの事(『宰相典侍嗣子記』・溝口勝如談話等によりて記せるなり)、天璋院様(家定公夫人)などは御承知ありっらんも、予は少しも知らざりき ...
27. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 14ページ
東洋文庫
て 殿下→二条斉敬 天璋院 1836-8313代将軍家定夫人。敬子,のち篤子。島津忠剛の女。斉彬に養われ,近衛忠煕の養女となり,1856(安政3)年江戸へ入り, ...
28. たちばな-とせこ【橘東世子】
日本人名大辞典
。橘守部にまなび,守部の子冬照と結婚。義父と夫の著述をたすけ,夫と死別後,将軍徳川家定夫人の天璋院につかえた。夫と合作の家集「椎の故夜提(こやで)」,編著「明治 ...
29. ちゅう‐どしより【中年寄】
日本国語大辞典
一つ。*御方々様御附女中名前(古事類苑・官位部六三)「和宮様御附中年寄、須磨浦・小野田〈略〉天璋院様御附中年寄、歌川・富野」チュードシヨリ ...
30. ちゅうろう‐がしら[チュウラフ‥]【中臈頭】
日本国語大辞典
中臈の長。*明良帯録〔1814〕余篇「御中臈頭」*御方々様御附女中名前(古事類苑・官位六三)「天璋院様御附御中臈頭袖村・島沢」チューロー ...
31. 東洋金鴻 英国留学生への通信 175ページ
東洋文庫
辺より出火、追々焼募り候に付き、天璋院様……一   旦三之丸へ御立退き、夫より吹上御庭滝見御茶屋へ   御立退き」(『慶喜公御実紀』)。このニノ丸の火災は、   ...
32. 東洋金鴻 英国留学生への通信 179ページ
東洋文庫
一一五丁目より八丁目迄焼込む」(『武江年表』)。幕兵が三田の薩摩藩邸を焼打ちした事件。薩藩邸では以前より、天璋院の守衛を名とし、盛んに浪士を集めたが、この浪士が ...
33. 東洋金鴻 英国留学生への通信 181ページ
東洋文庫
御尤もなることなり。駒井は病気引込み、小出〔大和守秀実〕は御留守居より昨日町奉行仰付けられたるなり。○天璋院様へ薩より御附きにて参り候女中三、四人、俄かに御暇に ...
34. とくがわいえさだ【徳川家定】画像
国史大辞典
安政元年(一八五四)三月、日米和親条約が締結された。同三年十二月、近衛忠煕の養女篤姫(敬子、のち天璋院)を夫人に迎えた。敬子は薩摩藩主支族島津忠剛の女で、ここに ...
35. 徳川慶喜公伝 3 30ページ
東洋文庫
続徳川実紀。伊達宗城在京日記)、天朝・幕府へそれぐ御講あり、又拝命の御礼として、将軍・和宮・天璋院・本寿院へ物を上られたり(四月十五日。○昭廟御略記。川越松平家 ...
36. 徳川慶喜公伝 3 124ページ
東洋文庫
(七年史。海舟日記)。京都にては上下共に将軍の上洛を待つこと久しければ、近衛前関白(忠煕)は天璋院夫人に消息し、賀陽宮は薩州・肥後・久留米・津・芸州の五藩士を下 ...
37. 徳川慶喜公伝 3 189ページ
東洋文庫
聞きて暗に喜悦の色ありなど伝説せり(続再夢紀事)。江戸の人心も亦動揺せしが、中にも大城の奥向にては、天璋院・和宮を始め婦女の驚歎世の常ならず、中には働泣暗哭して ...
38. 徳川慶喜公伝 3 243ページ
東洋文庫
下さる、二条関白以下公卿よりもそれぐ贈進あり(言渡。光愛郷記。続再夢紀事。七年史)。江戸にては天璋院・和宮よりも、奥医師等を下坂せしめられしが(御在坂日次記)、 ...
39. 徳川慶喜公伝 3 244ページ
東洋文庫
子太郎(弘、柳北と号す)、末には菊池角右衛門(紀州より供せし人)専ら教導の任に当れり。御養母天璋院夫人は、本丸炎上(安政六年十月)の後清水館に徒り、後二の丸に移 ...
40. 徳川慶喜公伝 3 257ページ
東洋文庫
中納言(慶頼)の子、後の家達公なり)をして相続せしめんと思ふなり、此旨余が出発の後に和宮・及天璋院殿へ申上げよ」と、翌十六日(将軍進発の日)老女滝山は和宮に謁し ...
41. 徳川慶喜公伝 4 168ページ
東洋文庫
警衛せしむ(続徳川実紀)。折しも二十三日江戸城の二の丸炎上せり、こは放火なりとの風説高くして、二の丸は天璋院夫人の住居なれば、大奥の女中、薩藩士と通じて火を放ち ...
42. 徳川慶喜公伝 4 169ページ
東洋文庫
諸有司の戒心関東各地に於ける浪人の暴行ひ(続徳川実紀。幕府末世紀聞。慶明雑録)、或は薩藩士が天璋院夫人を奪はん為の所為ともいひて、嫌疑一に同藩に集まる(黒川秀波 ...
43. 徳川慶喜公伝 4 205ページ
東洋文庫
受くべき所為あらんには、之を見ることを欲せず」と宣へり(静寛院宮手記。同日記。岩倉公実記)。然るに天璋院夫人は、此日申の刻(午後四時頃)公に対面して、鳥羽・伏見 ...
44. 徳川慶喜公伝 4 206ページ
東洋文庫
斯くては尚又沸騰せんことを思ひ、坂城をば尾越に預けて一先づ帰府せしなり」と申す(静寛院宮手記)。翌日又天璋院夫人によりて、「某は退隠仕るければ、相続人には田安然 ...
45. 徳川慶喜公伝 4 215ページ
東洋文庫
幾重にも歎願し奉る」といへり(徳川家達家記。七年史。戊辰日記。続徳川実紀)。斯くて公は西城の事、静寛院宮・天璋院の事、総べて田安中納言(慶頼)松平確堂(斉民、前 ...
46. 徳川慶喜公伝 4 217ページ
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されば若し京都にてさやうの思召ならば、私は上京を御断り申すべし。慶喜は身より出でたる餐なれども、天璋院は昭徳院殿(家茂公)在世中孝道を尽され、私も及ばずながら昭 ...
47. 徳川慶喜公伝 4 218ページ
東洋文庫
守らしむ(続徳川実紀)。 按ずるに、天璋院夫人よりも使者を遣して歎願せらる工旨ありし事は、西郷吉之助の 山岡鉄太郎に告げたる語中に、「先日来静寛院宮・天璋院の使 ...
48. 徳川慶喜公伝 4 224ページ
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(続徳川実紀。徳川家達家記)。四月の初、大奥に居給へる静寛院宮・実成院の二方を清水邸に徒し、天璋院・本寺院の二方を一橋邸に徒し(静寛院宮日記。○続徳川実紀に清水 ...
49. 徳川慶喜公伝 4 271ページ
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天璋院夫人の薨去文明夫人の逝去 静岡下向と 遊覧熱海同行十二。十三日増上寺にて葬儀を執行せられ、御追号を静寛院宮二品内親王好誉和順貞恭大姉といふ(興山公年譜。○ ...
50. 徳川慶喜公伝 1 134ページ
東洋文庫
阿部伊勢守・及若年寄本多越中守(忠徳、陸奥泉藩主)に勧説せり。又松平薩摩守は、養女篤姫(名は敬子、後に天璋院)を更に近衛右大臣(忠煕)の養女とし、之を将軍に配せ ...
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