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大坂城

ジャパンナレッジで閲覧できる『大坂城』の日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ

大坂城
おおさかじょう

戦国期から江戸期の城。大阪市中央区大阪城にある。金城(錦城)(きんじょう)ともいい、明治以後は大阪城と書かれる。南から北に延びた高さ20メートルほどの台地が淀川(よどがわ)流域の低地に突き出た北端(上町台地(うえまちだいち))に位置し、大和川(やまとがわ)がその東を巡り、三面を水に囲まれた要害の地に築かれていた。城は歴史的にみて、石山本願寺の時代、豊臣(とよとみ)氏の時代、徳川氏の時代の3期に分けられる。1496年(明応5)蓮如(れんにょ)がここに別院を設けたのに始まり、1532年(天文1)山科本願寺(やましなほんがんじ)が焼き討ちされたあと、10世証如(しょうにょ)によって本願寺がここに移された。証如は加賀から城づくりを呼び寄せ、堀を掘り塀を巡らせ、城塞(じょうさい)と化したのである。そのため石山本願寺は石山城ともよばれた。のち本願寺は天下統一途上の織田信長と対立し、武田信玄(たけだしんげん)、毛利元就(もうりもとなり)、浅井長政(あさいながまさ)らと結んで信長と戦い、1570年(元亀1)から10年間にわたって信長を苦しめることになるが、これを普通、石山合戦とよんでいる。1580年(天正8)和議が結ばれ本願寺は石山寺を退去し、信長は池田恒興(いけだつねおき)に守らせていたが、本能寺(ほんのうじ)の変(1582)ののち、この地の経済上、地理上の位置に着目した豊臣秀吉によって翌1583年三十数か国から数万の人夫を動員して大修築工事が行われ、1585年ほぼ完成したのである。本丸、二の丸、三の丸のほか、のちには外郭(総構(そうがまえ))を整備し、天下統一の覇者にふさわしい大城郭で、本丸には五層八重の天守閣が建てられていた。秀吉が伏見城(ふしみじょう)に移り病没したあと、子の秀頼(ひでより)が継いだが、1614年(慶長19)大坂冬の陣が起こり、そのときの講和条件によって、総構の堀、三の丸の堀はもとより、二の丸大手の堀まで埋められてしまい、本丸だけを残す裸城となってしまった。ついで翌1615年(元和1)の夏の陣では天守閣以下の建物が次々と焼け落ち、城は落城し、豊臣氏は2代で滅亡したのである。
その後、城には徳川家康の外孫松平忠明(ただあきら)が10万石で入ったが、幕府は1619年ここを直轄地とすると同時に大修築を加えることになった。このとき幕府は、豊臣氏時代の大坂城の上に約10メートルほどの土盛りをし、石垣もすべて埋めてしまったうえで、まったく新しい縄張りで徳川氏の大坂城を築き上げている。したがって、現在目にする城の遺構はすべて徳川氏の手による大坂城である。城には大坂城代が置かれ、明治維新に至った。なおその間、1660年(万治3)青屋口の火薬庫に落雷して多大の被害があり、1665年(寛文5)には天守閣に落雷して焼失してしまった。現在ある復興天守は1931年(昭和6)に豊臣氏時代の天守を模造してつくられたものである。現存の櫓(やぐら)としては西の丸の千貫櫓(3層)、乾櫓(いぬいやぐら)、二の丸の一番櫓、六番櫓などがあり、石造りの火薬庫としては全国唯一の焔硝蔵(えんしょうぐら)もあり、また大坂城の見どころともなっている巨石群(蛸石(たこいし)、肥後石)などがあり、1万5000個を超えるという石垣刻印も随所にみられる。

[小和田哲男]


大阪城(大坂城)[百科マルチメディア]
大阪城(大坂城)[百科マルチメディア]
金城(錦城)(きんじょう)ともいい、明治以後は大阪城と書かれる。1496年(明応5)浄土真宗の僧蓮如(れんにょ)が別院を設けたのに始まり、のちに城塞(じょうさい)化された。1583年(天正11)に大修築され、1585年にほぼ完成。現在の天守は、1931年(昭和6)に豊臣(とよとみ)氏時代の天守を模造してつくられたものである。国指定史跡 大阪府大阪市(C)Shogakukan

大坂城の平面図(主要部)[百科マルチメディア]
大坂城の平面図(主要部)[百科マルチメディア]
(C)Shogakukan
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検索コンテンツ
1. 大坂(阪)城
世界大百科事典
曲解した徳川方は,惣堀のみならず二の丸・三の丸の濠までも埋めた。翌15年(元和1)の大坂夏の陣で豊臣方は敗れ,大坂城は猛火の中に落城した。 戦後,1619年に徳 ...
2. 大坂城
日本大百科全書
加えることになった。このとき幕府は、豊臣氏時代の大坂城の上に約10メートルほどの土盛りをし、石垣もすべて埋めてしまったうえで、まったく新しい縄張りで徳川氏の大坂 ...
3. おおさか‐じょう【大坂城/大阪城】地図
デジタル大辞泉
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4. おおさかじょう【大坂城】
国史大辞典
迎え撃ったが、ついに敗れ、五月八日秀頼母子は自刃し、大坂城は猛火の中に落城した。戦後、伊勢亀山五万石の松平忠明が、五万石の増封をうけて大坂城主となったが、元和五 ...
5. 大坂城
日本史年表
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6. おおさか‐じょう[おほさかジャウ]【大阪城・大坂城】
日本国語大辞典
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7. おおさかじょうあと【大坂城跡】大阪府:大阪市/大坂三郷地図
日本歴史地名大系
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8. 大坂城壁書
世界大百科事典
中に継承され,武家諸法度,禁中並公家諸法度,および社寺に対する諸法度の条項の中に摂取された。大坂城壁書の本文は,浅野家文書,由比文書などを初め,諸写本に所収され ...
9. おおさかじょう‐かべがき[おほさかジャウ:]【大坂城壁書】
日本国語大辞典
文祿四年(一五九五)豊臣秀吉が公布した掟(おきて)。五大老連署で大坂城内に掲示。御掟五か条、同追加九か条。武家、公家、社寺の統制の基本を定めたもの。 ...
10. 大坂城残石記念公園
デジタル大辞泉プラス
香川県小豆郡土庄町にある道の駅。主要地方道土庄内海線に沿う。 2010年08月 ...
11. 大坂城代
日本大百科全書
江戸幕府の職名。大坂在勤の諸役人を率いて政務を行うほか、大坂城を守護し、あわせて西国(さいごく)諸大名の動静を監督した。1619年(元和5)大坂が幕府直轄地とな ...
12. 大坂城代
世界大百科事典
江戸幕府の職名。大坂城にあって,大坂在勤の幕府諸役人の首班として大坂城の防衛に当たり政務を統轄した。また西日本諸大名の監察に当たった。豊臣氏滅亡後,幕府は大坂に ...
13. おおさか‐じょうだい【大坂城代】
デジタル大辞泉
江戸幕府の職名。5、6万石の譜代大名を任命。大坂城に駐在し、城下や畿内の治安・警備、および西国諸大名の動向の監視にあたった。  ...
14. おおさか‐じょうだい[おほさかジャウダイ]【大坂城代】
日本国語大辞典
転じたのがはじめで、大坂城に駐在して城下諸役人を統率し、大坂城守護と西国諸大名の動向を監督した。五、六万石以上の譜代大名の中から任命する重職。*東職紀聞‐一(古 ...
15. おおさかじょうだい【大坂城代】
国史大辞典
江戸幕府の職名。大坂城中にあって大坂在勤の幕府諸役人の首班として政務を統轄するほか、大坂城を守衛し、あわせて西国諸大名の動静を監察した。元和元年(一六一五)大 ...
16. 大坂城代一覧1[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
17. 大坂城代一覧2[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
18. 大坂城代一覧3[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
19. 大坂城代一覧4[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
20. おおさかじょうちゅうかべがき【大坂城中壁書】
国史大辞典
豊臣秀吉が文禄四年(一五九五)八月三日に公布した法令で、大坂城中に掲げて示達されたのでこの名がある。壁書は徳川家康・前田利家・毛利輝元・小早川隆景・宇喜多秀家 ...
21. 『大坂城内見聞録』
日本史年表
1586年〈天正14 丙戌〉 4・6 大友宗麟 『大坂城内見聞録』 成る。  ...
22. 大坂城内見聞録
日本大百科全書
略のいきさつを豊臣(とよとみ)秀吉に訴えるため、大坂城に赴いたときの書状形式の手記。国許の家臣にあてて堺(さかい)の妙国寺で認めたもの。大坂城下町繁栄のようす、 ...
23. おおさかじょうないけんぶんろく【大坂城内見聞録】
国史大辞典
。豊臣時代の大坂城の全貌を詳細に伝える史料は、現在では存在しないといってよいのであって、いまこの名で呼ばれているのも、天正十四年(一五八六)三月末に泉州堺に来た ...
24. 大坂城の平面図(主要部)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
〓Shogakukan ...
25. おおさか‐じょうばん[おほさかヂャウバン]【大坂定番・大坂城(ジャウ)番】
日本国語大辞典
〔名〕江戸幕府の職名。大坂城に在勤して京橋口、玉造口の警備に当たる。定員二名。老中の支配下にあり、与力、同心が付属する。元和七年(一六二一)頃に設けられ、二万石 ...
26. 大坂城代
日本史年表
1619年〈元和5 己未〉 8・‐ 幕府、 伏見城代 を廃して大坂 城代 ・ 城番 を置く(実紀)。  ...
27. 大坂城番
日本史年表
廃して大坂 城代 ・ 城番 を置く(実紀)。 1626年〈寛永3 丙寅④〉 7・27 幕府、 大坂城番 の制を定める(東武実録)。  ...
28. 大坂城大手口御門更築寄付帳[文献解題]大阪府
日本歴史地名大系
一巻 写本 大阪城天守閣 解説 天明三年落雷によって焼失した大坂城大手門の更築を名目にした、天保一四年の幕府御用金の命令金額と受命者名簿。大坂五〇一名・堺一 ...
29. おおさかじょう‐こうえん【大阪城公園】地図
デジタル大辞泉
大阪市中央区にある公園。大正13年(1924)開園の大手前公園を前身に、昭和6年(1931)に開園。面積約1万平方キロメートル。桜や梅の名所として知られる。園内 ...
30. おおさかじょう‐こくさいぶんかスポーツホール【大阪城国際文化スポーツホール】
デジタル大辞泉
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31. おおさかじょう‐ホール【大阪城ホール】地図
デジタル大辞泉
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32. 大阪城/大坂城[考古学]
イミダス 2016
大阪市にある城郭・城下町遺跡。近世。大阪市教育委員会・大阪市文化財協会による中央区天守北側の調査により、山里出枡形(やまざとでますがた 防御施設)の階段・会所 ...
33. 大阪城(大坂城)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
金城(錦城)(きんじょう)ともいい、明治以後は大阪城と書かれる。1496年(明応5)浄土真宗の僧蓮如(れんにょ)が別院を設けたのに始まり、のちに城塞(じょうさい ...
34. 知行高五万石青山因幡守(大坂城代青山宗俊領知郷村高帳)[文献解題]静岡県
日本歴史地名大系
成立 寛文四年 写本 兵庫県篠山市立青山歴史村史料館 解説 「寛文朱印留」に載る領知目録のうち、青山宗俊が幕府に提出した「郡村之帳面」であろう。 活字本  ...
35. あいおいにしちょう【相生西町】大阪府:大阪市/都島区地図
日本歴史地名大系
[現]都島区片町一丁目 大坂三郷北組に属し、北を鯰江川、南を寝屋川に挟まれた東西に長い町で、東は相生東町。大坂城青屋口東方で合流した平野川と猫間川は、当町と相生 ...
36. あいだぐん【英田郡】岡山県
日本歴史地名大系
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国史大辞典
かつ石田三成一党を挑発することにあったといわれる。家康は豊臣秀頼の傅前田利家が没する(同四年閏三月三日)と大坂城二ノ丸に入り、口実を設けて前田利長を屈服させたが ...
38. あいむら【安威村】大阪府:茨木市地図
日本歴史地名大系
移封されるとその所領は再び幕府領となり、享保一九年(一七三四)から元文五年(一七四〇)までは大坂城代太田資晴に与えられ、宝暦一二年(一七六二)から下総古河藩領と ...
39. あい-りょうさ【安威了佐】
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43. 青山氏
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44. 青山氏
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45. あおやまただとも【青山忠朝】
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より寺社奉行を兼任する。同時に丹波国篠山城に転封となり、五万石を領した。宝暦八年(一七五八)大坂城代に転じ、同十年七月十五日大坂にて没す。五十三歳。江戸品川東海 ...
46. あおやま-ただとも【青山忠朝】
日本人名大辞典
寛延元年丹波篠山(ささやま)(兵庫県)5万石に転封(てんぽう)され,同藩主青山家初代となる。宝暦8年大坂城代。宝暦10年7月15日死去。53歳。 ...
47. あおやま-ただなが【青山忠良】
日本人名大辞典
天保(てんぽう)6年丹波篠山(ささやま)藩(兵庫県)藩主青山家5代となる。奏者番,寺社奉行,大坂城代をへて弘化(こうか)元年老中。のち京都火消役,京都守護をつと ...
48. あおやま-ただやす【青山忠裕】
日本人名大辞典
兄忠講(ただつぐ)の跡をつぎ,天明5年丹波篠山(ささやま)藩(兵庫県)藩主青山家4代となる。寺社奉行,若年寄,大坂城代,京都所司代を歴任し,享和4年老中。尊号一 ...
49. あおやま-むねとし【青山宗俊】
日本人名大辞典
がしら),大番頭となる。正保(しょうほ)5年信濃(しなの)(長野県)小諸(こもろ)藩主。のち大坂城代をつとめ,延宝6年遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松藩5万石の ...
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「大坂城」の情報だけではなく、「大坂城」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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