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  11. 成田山新勝寺
日本歴史地名大系

成田山新勝寺
なりたさんしんしようじ

[現]成田市成田

正しくは成田山明王院神護新勝じんごしんしよう寺と号するが、一般には成田山・成田不動の名で知られる。関東三不動の一。真言宗智山派の大本山で、本尊は木造不動明王(国指定重要文化財)。縁起によると、平将門が東国において反乱を起こしたとき(将門の乱)、朱雀天皇は将門討伐の軍を送るとともに広沢遍照ひろさわへんじよう(現京都市右京区)の寛朝に宝剣を授け、乱を平定する祈願を命じた。寛朝は山城神護じんご寺に安置されていた不動明王像を奉じて東国に下り、下総国公津こうづヶ原に護摩壇を設け、二一日間の朝敵調伏の護摩を修した。その満願の日、将門は藤原秀郷・平貞盛らの軍勢に攻められて討死し、乱は平定した。天慶三年(九四〇)二月一四日のことで、この日を新勝寺の開山とし、以後東国鎮護の道場になったという。中世は千葉氏の外護を受けたが一時衰退し、その後数度の変遷を経て、永禄九年(一五六六)に現在地に移り再興されたという。

文禄三年(一五九四)の成田村検地帳(豊田家文書)に寺名がみえ、九反余を名請している。寛永一〇年(一六三三)の関東真言宗新義本末寺帳には成田村新勝寺とあり、末寺六ヵ寺を有していた。当寺が大きく興隆するのは中興第一世と尊称される照範の時である。元禄一三年(一七〇〇)に入寺した照範は新本堂をはじめ三重塔・仁王門など諸堂伽藍を次々と建立して寺観を整え、同一六年には江戸出開帳を成功させ、江戸民衆の注目を集めた。近世初期以来佐倉藩の祈願寺となり、代々の藩主に信仰された。なかでも篤信者は稲葉正通(正往)で、新義真言宗の支配者であった護持ごじ(跡地は現東京都文京区)の隆光とはかり、宝永四年(一七〇七)には新勝寺を京都大覚寺の直末として常法談林にするなど寺格を向上させた。また同二年には成田村のうち囲護台いごだいの新畑五〇石を寄進した(寺蔵文書)。この五〇石の地は以後代々の藩主によって安堵され、寺の財政運営の基盤となった。江戸民衆と新勝寺を結び付けるのに一役買ったのが歌舞伎の市川団十郎(屋号成田屋)であった。幡谷はたや村出身の堀越重蔵の子として生れた初代団十郎は成田不動の霊験を受けたとして以後代々新勝寺を信仰し、度々「成田不動霊験記」を出開帳に合せて上演して当寺の名を広める役割を果した。かくて近世後期になると成田詣は習俗化して旅人が激増、佐倉道と称した往還も成田道とよばれるようになっていった。

当寺には文化二年(一八〇五)のものをはじめ、信仰組織である講社の台帳ともいうべき講中記があるが、それによると天保一二年(一八四一)までに江戸をはじめ武蔵・甲斐・安房・上総・下総・常陸・下野の諸国に四四三の講社が成立していた。弘化四年(一八四七)段階では上野・遠江を加えた地域で五一講に増え、嘉永六年(一八五三)に至っては八五講が結成され、地域も伊豆・信濃にまで広がった。お参り月は正月・五月・九月で、これは現在も同様で正月に約六〇〇万人、年間を通して約一千三〇〇万人の参詣がある。なかでも毎月二八日は不動明王の縁日であることから参詣人が集中し、その賑いを目当てに近世後期には江戸をはじめ諸国の香具師がおおぜい入り込み、軽業や曲馬・手踊などの見世物がかかった(豊田家文書)。しかし町の商人と香具師との間に問題が生じたこともあり、天保一〇年には香具師の面倒をみる町の世話人が、境内を掃除するなどの誓約を新勝寺に出している(新勝寺文書)。現在七月七日から九日にかけて奥之院大日如来の祭礼として祇園会が行われ、門前七ヵ町を中心に神輿一基と山車一〇台が引回される。

〔江戸出開帳〕

新勝寺は近世に二三回の開帳を行っているが、そのうち一〇回は江戸出開帳で、場所はすべて江戸深川の永代ふかがわのえいたい寺八幡宮境内であった。最初の出開帳となった元禄一六年の時は江戸城三の丸御殿において五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の礼拝を受けている(新勝寺文書)。出開帳によってなしえた江戸進出の成功は新勝寺の発展に大きく寄与し、当時の評判の様子が「嬉遊笑覧」に「江戸にて開帳あるに何時にても参詣群聚するは、善光寺の弥陀と清凉寺の釈迦仏、また成田の不動などなり。此等の仏像いづれも殊勝なれ共」とあり、新勝寺が信濃善光寺と京都清凉しようりよう(現京都市右京区)とともに江戸出開帳の三指に数えられている。

〔伽藍〕

光明堂は元禄一四年建立の旧本堂。方五間(桁行五間・梁間五間)で、屋根は入母屋造の桟瓦葺。大工棟梁は近江国坂田さかた柏原かしわばら(現滋賀県山東町)の石井又左衛門尉家次で、周囲の彫刻は島村円徹の作。釈迦堂は安政五年(一八五八)建立の前本堂。光明堂と同じく方五間であるが、桁行・梁間とも一回り大きい。屋根は入母屋造・瓦棒銅板葺で、正面に千鳥破風付の向拝を設け荘厳さを加えている。周囲の五百羅漢の彫刻は松本良山、二十四孝の彫刻は島村俊表の作。三重塔は正徳二年(一七一二)の建立。高さ二七メートルの華麗な塔で、記録によると三寸五分四方の金箔が初重だけで一万九千枚も使われている。大工棟梁は常陸国那賀なか羽黒はぐろ(現茨城県岩瀬町)の桜井瀬左衛門政信で、周囲の十六羅漢の彫刻は光明堂と同じく島村円徹の作。仁王門は天保元年の建立。三間一戸の八脚門で、屋根は入母屋造・銅板葺。正面に大きな千鳥破風、正背面に軒唐破風を付ける。額堂は文久元年(一八六一)の建立。桁行は正面三間・背面が六間で、梁間は二間。屋根は入母屋造・桟瓦葺。周囲の木鼻などの彫刻は後藤勇次郎経慶の作。以上の建築物はいずれも国指定重要文化財。なお「古今佐倉真佐子」「成田名所図会」「利根川図志」などで江戸時代の寺観がうかがわれる。

〔絵馬類〕

奉納されている絵馬の特徴は大絵馬が多いこと、歌舞伎を題材にしたものが多いこと、浮世絵師の手になるものが多いことである。そのうち谷文晁の「繋馬の図」、鳥居清満の「新発意太鼓の図」、歌川豊国の「石橋の図」、歌川国芳の「火消千組の図」など二二点が近世中期以降の美術史・演劇史・風俗を知るうえで貴重とされ、県指定有形民俗文化財。なお寺蔵の半円方格帯変形神獣鏡、延元元年(一三三六)・明徳五年(一三九四)在銘の板石塔婆二基は県指定文化財。

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1. なりたさんしんしょうじ【成田山新勝寺】千葉県:成田市/成田村地図
日本歴史地名大系
[現]成田市成田 正しくは成田山明王院神護新勝寺と号するが、一般には成田山・成田不動の名で知られる。関東三不動の一。真言宗智山派の大本山で、本尊は木造不動明王( ...
2. 成田山新勝寺
デジタル大辞泉プラス
千葉県成田市にある寺院。940年創建。真言宗智山派大本山。本尊は不動明王。仁王門は国の重要文化財に指定。御護摩祈祷で知られる。「成田不動」「成田山」などとも呼ば ...
3. あがた-じろう【県治朗】
日本人名大辞典
ている料紙とその意匠・手法を研究し,同絵巻の完全な副本を制作。またホテルオークラの壁面画,成田山新勝寺の襖(ふすま)絵なども制作した。昭和47年吉川英治文化賞。 ...
4. あらき-しょうじょう【荒木照定】
日本人名大辞典
1892−1965 明治-昭和時代の僧。明治25年4月28日生まれ。真言宗。成田山新勝寺にはいり,石川照勤より灌頂(かんじょう)をうけ,大正13年同寺貫主となる ...
5. あんさいかし【安西河岸】千葉県:成田市/安西新田地図
日本歴史地名大系
に積替えられ、新川から長沼を経て根木名川をさかのぼり上流の寺台河岸まで運ばれた。寺台河岸が成田山新勝寺に近いことから、利根川を下ってきた参詣人も利用することがあ ...
6. いしかわ-しょうきん【石川照勤】
日本人名大辞典
1869−1924 明治-大正時代の僧。明治2年10月10日生まれ。真言宗。明治11年成田山新勝寺にはいり,27年住職となる。31年から2年間欧米を視察。帰国後 ...
7. いしやまでらあと【石山寺跡】宮崎県:北諸県郡/高城町/石山村
日本歴史地名大系
安置する。明治以降も安産祈願を願う人々や参詣者が多かったが、昭和四〇年代に住職継嗣が絶え、成田山新勝寺(現千葉県成田市)の末寺となり、現在は真言宗智山派観音寺と ...
8. いちかわだんじゅうろう【市川団十郎】
日本架空伝承人名事典
どのようにして役者となったのかは、はっきりしない。その団十郎が押しも押されもせぬ人気役者となり、一七〇三年成田山新勝寺の初の江戸深川永代寺(富岡八幡宮社地)での ...
9. いちかわだんじゅうろう【市川團十郎】[付録]
歌舞伎事典
《髪結新三》の強欲な家主はご愛嬌の配役だが、案外面白く役を作っていた。時折、代々ゆかりのある成田山新勝寺と提携して自主公演を行い、元禄歌舞伎の《成田山分身不動》 ...
10. いぬまかたむら【井沼方村】埼玉県:浦和市地図
日本歴史地名大系
るが(同書)、「郡村誌」には稲荷社がなく明神社がある。同社は平将門を祀り、同社を祀る一族は成田山新勝寺(現千葉県成田市)に詣でないという禁忌がある。台地の尾根近 ...
11. いまざわ-じかい【今沢慈海】
日本人名大辞典
明治41年東京市日比谷図書館にはいり,ゴルドン文庫を整理。大正2年同館館長。4年館頭。のち成田山新勝寺の荒木照定(しょうじょう)にまねかれ,成田中学校長,成田山 ...
12. 江戸繁昌記 2 154ページ
東洋文庫
真言宗智山派の別格本山成田山新勝寺の本尊仏。-新勝寺は、天慶二年平将門の乱を鎮めるため、僧寛朝が京都高尾の神護寺の不動明王を移したことに始まり、関東一の霊場とし ...
13. 大浦ごぼう
デジタル大辞泉プラス
千葉県匝瑳市で生産されるゴボウ。成田山新勝寺で供される精進料理の食材として栽培され、通常一般には出回らない。 2012年11月 ...
14. おおうらむら【大浦村】千葉県:八日市場市地図
日本歴史地名大系
かつて祈願の折には編笠を奉納する習わしがあった。当地の特産物に大浦牛蒡と称する巨大な牛蒡がある。代々成田山新勝寺と契約栽培をしている。現在の栽培農家は七戸。栽培 ...
15. おおたわらじょうか【大田原城下】栃木県:大田原市
日本歴史地名大系
月の二の午の日)を執行してきた。現社殿は明治一一年の再建(地誌取調)。同社南方の遍照院は、成田山新勝寺(現千葉県成田市)の別院を明治一七年移転建立したもの。〔近 ...
16. 大山忠作[「五百羅漢」などで知られる日本画家が死去]
イミダス 2016
68年には「岡潔先生像」で日展文部大臣賞を受賞。そのほかの代表作に、福島の自然をテーマにした成田山新勝寺の襖絵(ふすまえ)、73年に日本芸術院賞を受賞した「五百 ...
17. おおわだしゅく【大和田宿】千葉県:八千代市/大和田村地図
日本歴史地名大系
文久三年(一八六三)五月下旬より翌月中旬までの宿泊数は五二一組一千四三六人で、うち三一九組九一四人は成田山新勝寺の参詣客であった(船橋市西図書館蔵文書)。 ...
18. かとり-まさひこ【香取正彦】画像
日本人名大辞典
香取秀真(ほつま)の長男。昭和24年から釣り鐘制作をはじめ,比叡山(ひえいざん)延暦(えんりゃく)寺,成田山新勝寺,広島平和の鐘を手がける。28年芸術院賞。52 ...
19. かわさき‐だいし[かはさき‥]【川崎大師】
日本国語大辞典
神奈川県川崎市にある新義真言宗智山派の大本山、金剛山平間(へいけん)寺の通称。成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに関東における智山派三山の一つで、厄除(やくよけ) ...
20. こうづがはら【公津ヶ原】千葉県:成田市地図
日本歴史地名大系
江戸時代は周囲を八代・松崎・郷部・成田などの古村に囲まれ、佐倉牧のうち内野牧の一部となった。成田山新勝寺の縁起によると、平将門の乱を鎮めるために天慶三年(九四〇 ...
21. こうづしんでんむら【公津新田村】千葉県:成田市地図
日本歴史地名大系
麻賀多神社は宝永元年(一七〇四)に本殿の再建がなされたが、この時の遷宮の導師は円能寺の本寺である成田山新勝寺の住職照範であった(同棟札)。 ...
22. ゴボウ画像
世界大百科事典
根部が紡錘形で,根の中心が空胴となり肥大する。表皮も荒く外見は悪いが,肉質は柔らかく美味で,従来は成田山新勝寺の精進料理に使われていた。百日尺型は百日で1尺(約 ...
23. しもおのむら【下小野村】千葉県:佐原市地図
日本歴史地名大系
井氏が社地を寄進し、新たに社殿を造営したとあり、領主浅野氏は社地を除地としたという。かつて成田山新勝寺を本寺とした真言宗智山派宝蔵院がある。大乗寺(現栗源町)を ...
24. しんぜんこうじ【新善光寺】千葉県:匝瑳郡/光町/篠本村地図
日本歴史地名大系
寺で、江戸時代には飯岡村(現成田市)の永福寺など末寺三・門徒寺八を有した。江戸時代中期には成田山新勝寺中興一世照範が住持をしたことでも知られる。現在、宝暦一二年 ...
25. 新編 落語の落 1 180ページ
東洋文庫
旦那で、小僧を連れて居る。幕間はい瓦幸だと直ぐ取り巻きにか亙り、山号寺号の事をいう。夫は、成田山新勝寺、金龍山浅草寺といった様に、何でも物を山号寺号でいうのであ ...
26. 常総台地画像
日本大百科全書
下総台地は近世には馬の放牧地とされ、いまでは全国一のラッカセイの産地となり、近郊野菜の産も多い。また成田山新勝寺(しんしょうじ)と成田国際空港をもつ成田市を中心 ...
27. 高尾山
世界大百科事典
築城後に戦略上の要地として高尾山を保護した。薬王院は近世には関東一円に信者100万と称され,成田山新勝寺,川崎大師平間(へいげん)寺とともに真言宗関東三山の一つ ...
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日本歴史地名大系
許され、堂宇を建立。その後厚別村温根沼に末寺大雄寺を置き、国後島古丹消に説教所を設けた。同二七年成田山新勝寺(現千葉県成田市)の住職三池照鳳が開眼した不動像を分 ...
29. ちさん‐は【智山派】
日本国語大辞典
玄宥(げんゆう)を中興の祖とする。京都市東山区東瓦町の智積院(ちしゃくいん)を総本山とする。成田山新勝寺・川崎大師・高尾山などはこれに属する。明治三三年(一九〇 ...
30. つちやむら【土屋村】千葉県:成田市地図
日本歴史地名大系
していた。おもな商売に居酒屋八・煮売屋七・穀屋五・荒物屋三・髪結一・古鉄紙屑買一がある。当村は成田山新勝寺の裏門に面し、常陸国方面から来た参詣人の登り口になって ...
31. てらだいかし【寺台河岸】千葉県:成田市/寺台村地図
日本歴史地名大系
馬船に積替えられ、長沼・根木名川をさかのぼって寺台河岸まで運ばれた。また利根川を下ってきた成田山新勝寺の参詣人も利用した。一方、当地からは周辺の穀物や竹木・薪炭 ...
32. 出開帳[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2016
山梨身延山の久遠寺(祖師像)、千葉の成田山新勝寺(不動明王)は、江戸出開帳四天王と呼ばれ、多くの人々を集め、評判となっていたという。明治以降は廃れたものの、成田 ...
33. 東京年中行事 1 272ページ
東洋文庫
勿論この日、正月と同じく成田の不動へ参詣するものも少なくはない。 注  一目黒、深川不動 深川不動は成田山新勝寺の出張   所で、明治二年浅草蔵前八幡社内から深 ...
34. 東京年中行事 2 115ページ
東洋文庫
り、神輿を始めて幡などを清滝堂の前へ安置する。やがて町長、各町の世話人、当番の町内、それに成田山新勝寺の役僧、勘定所の重役などが、ずらりと並んだ席上に於て、前年 ...
35. 東都歳事記 1 144ページ
東洋文庫
小間物、飴売、菓子屋が出て賑わった。= 坂本町成田旅宿 大護院の境内にあった。本尊不動尊。成田山新勝寺は日本橋坂本町(現新富町)に出張所を設け、天保十二年、蔵前 ...
36. としょかん【図書館】
国史大辞典
九年)に先立つ、出版業者博文館主大橋佐平による私立大橋図書館(同三十五年)であり、地方では成田山新勝寺の僧照勤による私立成田図書館(同三十四年)である。これら私 ...
37. 成田(市)画像
日本大百科全書
名産の羊かん、鉄砲漬け、川魚佃煮(つくだに)、清酒、ラッカセイ、ウナギなどが商われている。成田山新勝寺には国指定重要文化財の仁王門、三重塔、釈迦堂、光明堂、額堂 ...
38. 成田[市]
世界大百科事典
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39. なりた【成田】画像地図
デジタル大辞泉
千葉県北部の市。成田山新勝寺の門前町。三里塚に成田国際空港がある。平成18年(2006)3月、下総町・大栄町を編入。人口12.9万(2010)。  ...
40. なりた【成田】
日本国語大辞典
千葉県北部の地名。成田山新勝寺の門前町として発達。印旛沼がある。三里塚地区には新東京国際空港が建設された。昭和二九年(一九五四)市制。 ...
41. なりた【成田】
国史大辞典
)などへの街道の分岐点にある交通の要衝にあたり、特に近世中期から江戸出開帳などで隆盛となる成田山新勝寺の門前町として発達した。明治四年(一八七一)佐倉県、ついで ...
42. なりたさんもんぜんよんかちょう【成田山門前四ヵ町】千葉県:成田市/成田村地図
日本歴史地名大系
[現]成田市本町・仲町・田町・上町・幸町 成田山新勝寺の門前通に位置する成田村のなかの町場で、近世には南西から来る成田道(佐倉道)に沿って、順に台町(台宿)・仲 ...
43. なりたし【成田市】千葉県地図
日本歴史地名大系
延暦二四年(八〇五)に両駅を含む四駅が廃された。平安時代後期、平将門が東国において反乱を起こし(将門の乱)、成田山新勝寺はこの乱を鎮めるために創建されたといわれ ...
44. 成田線
日本大百科全書
1キロメートルのみ複線、全線直流電化。利根(とね)川南岸地域を走り、沿線に成田、佐原などの都市があって、成田山新勝寺(しんしょうじ)への参詣(さんけい)客輸送を ...
45. 成田線
世界大百科事典
7km(成田空港高速鉄道に属するものを第2種鉄道事業として営業)の計117.0kmのJR東日本の営業線。成田山新勝寺参詣の旅客の輸送と,利根川下流の河港佐原に集 ...
46. なりたむら【成田村】千葉県:成田市地図
日本歴史地名大系
滑川村(現下総町)に至る道などの起点であり、北総における交通の要衝になっている。近世中期以降成田山新勝寺の門前町として町場化した。寺台の永興寺が所蔵する聖観音坐 ...
47. なるきしんでん【成木新田】千葉県:成田市地図
日本歴史地名大系
寺院はなく、神社は成木大明神(現三ノ宮埴生神社)を祀る。ほかに石祠不動石があるが、これは成田村の成田山新勝寺の本尊不動明王像を最初に安置した場所と伝える。成田道 ...
48. ねやがわし【寝屋川市】大阪府地図
日本歴史地名大系
もつ学校として知られたのは彼によるところが大きかった。昭和九年友呂岐村三井に真言宗智山派成田山明王院(成田山新勝寺大阪別院)が創建され、多数の参詣者が訪れるよう ...
49. はぶぐん【埴生郡】千葉県:下総国
日本歴史地名大系
町奉行所与力給知一村、佐倉藩と淀藩の相給一村、旗本と町奉行所与力給知の相給が一村であった。成田不動こと成田山新勝寺を有する成田村は、佐倉道(成田道)をはじめ各地 ...
50. ふかがわ‐ふどう[ふかがは‥]【深川不動】
日本国語大辞典
のこと。正称は成田山深川不動堂。元祿一六年(一七〇三)に始まる成田山新勝寺の江戸出開帳が起源。明治一四年(一八八一)成田山新勝寺の飛地境内地の不動堂として建立さ ...
「成田山新勝寺」の情報だけではなく、「成田山新勝寺」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
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