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  11. 承久記
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

国史大辞典
承久記
じょうきゅうき
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に「承久、謂〓之四部之合戦書〓也」、『実隆公記』延徳二年(一四九〇)五月十七日条に「承久物語」とみえる。後鳥羽院の専制、三代将軍源実朝の最期から筆を起し、合戦の経過を詳述して、乱後の処分に筆を擱く。(一)流布本 上・下二巻。鎌倉時代中ごろ成立か。刊記に「兵乱之記」とある元和四年(一六一八)古活字版のほか、無刊記の古活字版、寛永の整版本や、内題に「承久兵乱記」とある内閣文庫蔵の写本(林羅山本)などがある。刊本としては、慶長十九年版『明徳記』の刊記に、いまだ「承久兵乱及明徳記応仁記」が出版されていない旨記しているから、元和年間のものが最初か。江戸時代中期には、この本文に『吾妻鏡』の整版本から記事を補入して絵巻物の詞書が作られた(『承久軍物語』)。(二)異本(1)尊経閣文庫蔵本。上・下二巻。詞章はほぼ流布本と同じであるが、記事の出入りも多い。尊経閣本独自の記事には、文永九年(一二七二)追贈の後嵯峨院の諡号、寛元四年(一二四六)関東申次となった西園寺実氏・西園寺家の繁栄に言及する記事、さらには足利義氏を足利殿と敬った呼称などがみられるから、鎌倉時代後期から南北朝時代の改作か。また奈良絵本七巻もある。(2)『承久兵乱記』(『続群書類従』合戦部)本。上・下二巻。鷹司信房の権大納言時代(天正十年(一五八二)―慶長十一年)筆という八条家蔵『承久記』の系統。その独自の記述には『吾妻鏡』からの補入が多いとの指摘もある。(三)異書 慈光寺本。上・下二巻。鎌倉時代中ごろ成立か。仏説を基に過去・現在・未来の三世を述べ、神武天皇以来の国王兵乱十二ヵ度(現在の本文では九度)を掲げてから承久の乱を記し、最後に承久三年(一二二一)十一月の後堀河天皇即位、同十二月の立后(准母)に触れて終る。この合戦記の一つの眼目でもある宇治・勢多の戦の記事を欠くが、他書にみえない記事が多い。彰考館文庫所蔵で、元禄二年(一六八九)水戸藩の史臣が採録した。翻刻には『国史叢書』(大正六年(一九一七))が各種の本文を載せているほか、『新撰日本古典文庫』に流布本と慈光寺本が収められている。
[参考文献]
『群書解題』一三、益田宗「承久記―回顧と展望―」(『国語と国文学』三七ノ四)、村上光徳「流布本承久記と前田本承久記の関係―その成立をめぐって―」(『駒沢大学文学部研究紀要』二五)、杉山次子「慈光寺本承久記成立私考(一)―四部合戦状本として―」(『軍記と語り物』七)、兵藤裕己「承久記改竄本系の成立と保元物語」(同一四)
(益田 宗)


日本大百科全書
承久記
じょうきゅうき

承久の乱について記した軍記物。鎌倉中期の成立。作者不詳。『保元(ほうげん)物語』『平治(へいじ)物語』『平家(へいけ)物語』とともに「四部之合戦書」とよばれた。乱に関するもっとも詳細な記述であり、史料的価値も高い。後鳥羽(ごとば)上皇に批判的、北条義時(ほうじょうよしとき)に好意的であるのも本書の特色である。流布本は2巻で、後鳥羽天皇の性向、即位から始めて、承久の乱の原因・経過を記し、乱後、土御門(つちみかど)上皇が土佐に流されるまでを述べている。異本も多く、なかでも慈光寺(じこうじ)本は流布本より古く、しかも仏法(ぶっぽう)・王法(おうぼう)の秩序から起筆するなど、独自の思想がみられる。前田家本は鎌倉後期の成立で、『承久兵乱記』はこの系統に属する。『承久軍(いくさ)物語』も『承久記』の一異本で、江戸前期の成立である。刊本では松林靖明校註(こうちゅう)『承久記』(新撰(しんせん)日本古典文庫)がよい。
[上横手雅敬]


『承久記』[百科マルチメディア]
『承久記』[百科マルチメディア]
古活字版(流布本) 上巻 1618年(元和4)刊 国立国会図書館所蔵


改訂新版・世界大百科事典
承久記
じょうきゅうき

承久の乱の顚末を描いた軍記物。2巻。作者不明。成立年代は一般に鎌倉末期~南北朝初期と推定されている。もっとも現存諸本中の最古態本または祖本,さらには別系統本ともいわれる慈光寺本《承久記》については,乱後,鎌倉中期の成立とする説が有力。内容は,後鳥羽院の事,源実朝の暗殺から始めて,乱の原因,戦闘の経過,乱後の処分を和漢混淆文で詳しく叙述し,論評を加える。古くから保元,平治,平家の各物語とともに〈四部合戦状〉,のちの明徳・応仁両記と併せて〈三代記〉と称せられた。編纂には《六代勝事記》や《平家物語》,別に京都側の記録が多く用いられたと思われ,武家側の記録《吾妻鏡》の記事を補う重要な位置を占める。《承久軍物語》《承久兵乱記》など異本が多く,また諸本間に記事の出入りも著しい。《国史叢書》ほか所収。
[杉橋 隆夫]

[索引語]
承久の乱 四部合戦状 三代記 承久兵乱記
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1. 承久記画像
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『承久兵乱記』はこの系統に属する。『承久軍(いくさ)物語』も『承久記』の一異本で、江戸前期の成立である。刊本では松林靖明校註(こうちゅう)『承久記』(新撰(しん ...
2. 承久記
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鎌倉時代の軍記物語。二巻。著者未詳。鎌倉中期、延応二年(一二四〇)以前の成立か。承久の乱の原因、戦闘の経過、責任者の処罰などを記し、論評を加えたもの。保元・平治 ...
4. じょうきゅうき【承久記】
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益田宗「承久記―回顧と展望―」(『国語と国文学』三七ノ四)、村上光徳「流布本承久記と前田本承久記の関係―その成立をめぐって―」(『駒沢大学文学部研究紀要』二五) ...
5. 『承久記』[百科マルチメディア]画像
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古活字版(流布本) 上巻 1618年(元和4)刊 国立国会図書館所蔵 ...
6. あいざわはら【藍沢原】静岡県:駿東郡
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鎌倉に送られた公卿たちの一人、藤原宗行は同年七月一四日「藍沢原」において処刑されている(吾妻鏡)。「承久記」には「あふ沢にて被切給ぬ」とみえる。貞応二年(一二二 ...
7. あいちぐん【愛知郡】愛知県
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承久の乱が起きると、山田庄の実力者山田重忠はじめ尾張源氏の大部分が京都方に属して幕府の軍に敗れ(吾妻鏡、承久記)、その後、那古野庄も所領争いを生じて荘園はしだい ...
8. あさくらじょうあと【朝倉城跡】兵庫県:養父郡/八鹿町/朝倉村
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「朝倉の城」が朝倉城と朝倉向山城のどちらなのか不明。朝倉氏は承久の乱で朝倉八郎信高が後鳥羽上皇方に与同して(承久記)、その所領を失ったと考えられ、弘安八年(一二 ...
9. あさくらのしょう【朝倉庄】兵庫県:養父郡/八鹿町
日本歴史地名大系
当庄は日下部一族でのち越前の大名となる朝倉氏の本貫地と思われるが、承久の乱に朝倉八郎(信高)が京方につき(承久記)、所領を没収されたためか、当庄と朝倉氏とのかか ...
10. あさひまち【朝日町】富山県:下新川郡
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振浄土(現青海町)や越中般若野(現砺波市)付近で鎌倉方の北陸道大将軍北条朝時らに敗退した(「承久記」、「吾妻鏡」承久三年六月八日条)。宮崎党は大武士団ではなかっ ...
11. いいぬまやかたあと【飯沼館跡】長野県:小県郡/丸子町/飯沼村
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承久三年(一二二一)五月北条泰時が山城宇治川で上皇方と戦った折、北条方の将として飯沼三郎が参戦している(承久記)。中城の北、竹ノ花に鎌倉時代のものと推定される石 ...
12. いがみつすえていあと【伊賀光季邸跡】京都市:下京区/開智学区/蓮池町地図
日本歴史地名大系
に「光季住高辻北京極西角宅」とあり、これは現京極町・桝屋町の北と茶磨屋町南の辺りにあたる。「承久記」には「判官の宿所は、高辻子京極、高辻子よりは北、京極よりは西 ...
13. いくじ‐なし[イクヂ‥]【意気地無】
日本国語大辞典
母親が案じたほどの意気地無(イクヂナシ)では無かった」(2)しまりがなく、ぐうたらなこと。また、そういう人。*承久記〔1240頃か〕上「壱岐判官知康と申すいくぢ ...
14. いしいむら【石井村】愛媛県:松山市/重信川北岸地域(旧久米郡・下浮穴郡地区)
日本歴史地名大系
二一)に、河野通信および通政・通秀らの一族が後鳥羽上皇側に応じ、山城国広瀬で幕府軍と戦った(承久記、予陽河野家譜)のに対し、庶子通久はひとり幕府に味方して宇治川 ...
15. いたがきごう【板垣郷】山梨県:甲府市/旧山梨郡地区/板垣村
日本歴史地名大系
板垣郷の呼称は善光寺一帯に限定されるようになった。なお承久の乱で捕らえられた源有雅を斬殺した場所として、「承久記」「承久軍物語」は板垣庄小瀬村と記しているが、稲 ...
16. いちぶりむら【市振村】新潟県:西頸城郡/青海町
日本歴史地名大系
頸城郡の西限。境川を隔てて越中国新川郡境村(現富山県下新川郡朝日町)と境する北陸道沿いの村。「承久記」に「市降浄土ト云所ニ、逆茂木ヲ引テ宮崎左衛門堅メタリ」とみ ...
17. いとぬきちょう【糸貫町】岐阜県:本巣郡
日本歴史地名大系
・芝原庄と国衙領本巣九郷・春近名・菊松郷などが成立。承久の乱では席田で京方と北条勢が戦った(承久記)。当地は扇央部にあたり根尾川の水は伏流していたから、全域の田 ...
18. うじばし【宇治橋】京都府:宇治市/宇治郷
日本歴史地名大系
知られる。しかし宇治川の洪水は枚挙にいとまなく、橋は流失・再構を繰返した。また「平家物語」「承久記」「太平記」などには、橋板を引き落して渡河を妨げた記事が再三に ...
19. うぬまのわたし【鵜沼渡】岐阜県:各務原市/鵜沼村
日本歴史地名大系
あったとする説がある。「吾妻鏡」承久三年(一二二一)六月三日・五日条に「鵜沼渡」「池瀬」(「承久記」では売間瀬・気瀬)「板橋」とみえ、承久の乱に際し、朝廷方の美 ...
20. うらのやかたあと【浦野館跡】長野県:上田市/川西地区/馬越村
日本歴史地名大系
条に、源頼朝の入京に際して随従した武士の一人に浦野太郎という名のみえるのを初見とする。また「承久記」の北条泰時の宇治川渡河に従った武士の中に浦野四郎の名がみえる ...
21. うらわし【浦和市】埼玉県地図
日本歴史地名大系
麻禰屋四郎・同次郎(「吾妻鏡」承久三年六月一八日条)や近江勢多橋の合戦で奮戦した佐々目太郎(承久記)はそれぞれ間宮や佐々目郷を本領とする武士とされるが、確かなこ ...
22. えっちゅうのくに【越中国】富山県
日本歴史地名大系
礪波山・志雄山の二手に分けている(平家物語)。般若野・礪波山・志雄山の組合せは承久の乱でも同様である(承久記)。ただし越中武士の大勢を示す国衙の動向が決定されて ...
23. えっちゅうのさいとうし【越中の斎藤氏】 : 斎藤氏/(三)
国史大辞典
承久の乱のとき、宮崎氏をはじめ利仁流諸氏の多くは京方に属した(『吾妻鏡』承久三年(一二二一)六月三日条・『承久記』上)。くだって十六世紀後半、婦負郡城生城主に斎 ...
24. おおうち‐しゅご[おほうち‥]【大内守護】
日本国語大辞典
「源三位入道と申すは〈略〉大内守護にて年ひさしうありしか共昇殿をばゆるされず」*承久記〔1240頃か〕上「左馬権頭頼持とて、大内守護に候ひけるを」 ...
25. おおづましやかたあと【大妻氏館跡】長野県:南安曇郡/梓川村/北大妻村
日本歴史地名大系
東外側にばんば・前田、南西隅に井田の地字がある。当館主は「承久記」に後鳥羽上皇方となって北条氏と戦ったとある大妻太郎兼澄である。「承久記」「承久兵乱記」「前田家 ...
26. おおののしょう【大野庄】愛知県:常滑市
日本歴史地名大系
尾張国大野庄以下数ケ所本領収公之了」との記述があり、承久の乱には京方として一千余騎を率いて奮戦した(吾妻鏡、承久記)朝日頼清が本領とする所領であった。彼らは大野 ...
27. 息津氏
世界大百科事典
残している。以後鎌倉御家人に列し承久の乱の際には鎌倉方軍勢に加わって奥津左衛門尉が上洛したという(《承久記》)。室町~戦国期には今川氏の被官となり,興津という地 ...
28. おやしらず【親不知】新潟県:西頸城郡/青海町/市振村
日本歴史地名大系
木曾が為には大事にて侍るべし、されば急官兵を指遣て、寒原を切塞て越中国を随へばやと申」と記される。また「承久記」(流布本)には「式部丞朝時ハ、五月晦、越後国府中 ...
29. おやべし【小矢部市】富山県
日本歴史地名大系
家物語)、承久の乱に際しては上皇方の石黒党や宮崎党などの越中武士が鎌倉幕府方と戦って敗れた(承久記)。南北朝期には幕府に抵抗する桃井直常方が立籠る八伏の一乗寺城 ...
30. 甲子夜話三篇 2 125ページ
東洋文庫
本書はこの数事に限らず、尚耳底に留ること多し。且今其書も全写して、予が江東の所蔵とす。   釣目∩『承久記』三年六月、後鳥羽順徳両院の御意を一所にして、鎌倉の執 ...
31. かなざわし【金沢市】石川県
日本歴史地名大系
仲軍に属して各地に転戦したが(「平家物語」など)、本宗家は承久の乱で京方にくみして衰退した(承久記)。代わって台頭した富樫氏は、鎌倉時代末期に有力在京御家人とし ...
32. かぶと の 緒(お)
日本国語大辞典
緒」という。*平家物語〔13C前〕四・宮御最期「赤皮威の鎧きて、たか角うったる甲のをしめ」*承久記〔1240頃か〕上「伊佐、山田が甲の錣(しころ)を ...
33. かほくぐん【河北郡】石川県
日本歴史地名大系
促したという(以上「源平盛衰記」)。承久の乱では「井上・津旗」らは上皇方につき、名越朝時軍に礪波山で敗れた(承久記)。当郡の在地領主として井家(井上)氏・都幡( ...
34. 官打ち
世界大百科事典
官職の等級が分不相応に高くなりすぎて負担が増し,かえって不幸な目にあうことをいう。《承久記》には,後鳥羽上皇が討幕を決意した確実な証拠として,源実朝が希望する以 ...
35. かん‐うち[クヮン‥]【官打】
日本国語大辞典
〔名〕官職の位が高くなりすぎて負担が重くなり、かえって不幸な目にあうこと。*承久記〔1240頃か〕上「故大臣殿の官位、除目ごとに望みも過ぎて成されけり、是は官打 ...
36. 感身学正記 1 西大寺叡尊の自伝 297ページ
東洋文庫
検された(新日本古典文学大系〈栃木孝惟・日下力・益田宗・久保田淳校注〉『保元物語・平治物語・承久記』岩波書店、一九九二年、八四、一一六頁)。また、『平家物語』巻 ...
37. 菊一文字
日本大百科全書
『銘尽(めいづくし)』(国立国会図書館蔵)にも後鳥羽院番鍛冶(ばんかじ)の記事があり、また『承久記(じょうきゅうき)』にも、上皇自ら北面武士(ほくめんのぶし)に ...
38. きくのごさく【菊御作】画像
国史大辞典
後鳥羽上皇作の太刀をいう。『承久記』には御所焼とある。番鍛冶に召された備前や備中、京の粟田口の刀工の打ったものに刃(やきば)を入れられ、さらに茎(なかご)に菊 ...
39. きそがわ【木曾川】愛知県:総論
日本歴史地名大系
されている。また美濃側では美濃川(「康暦外宮遷宮沙汰文」神宮文庫蔵)、尾張側では「尾張川」(承久記、承久軍物語)としている。「信長公記」の巻首に、信長が舅斎藤道 ...
40. きそさんせん【木曾三川】岐阜県:総論
日本歴史地名大系
以上現各務原市)、食渡(現羽島郡岐南町)、稗島(平島か)・墨俣・市脇(「吾妻鏡」同年六月三日条、「承久記」)など、墨俣川(古木曾川)・長良川の渡しに設定されたが ...
41. きたおおづまむら【北大妻村】長野県:南安曇郡/梓川村
日本歴史地名大系
明応一〇年(一五〇一)三宮穂高社御造宮定日記によれば、大妻内宮高となっており、これは北大妻にあたっている。「承久記」の承久の乱(一二二一)に後鳥羽上皇方として出 ...
42. きのさきのしょう【木前庄】兵庫県:豊岡市
日本歴史地名大系
ちなみに親王は宣陽門院の養子となっており、木前庄は但馬の配所にふさわしいとされる。ただし慈光寺本「承久記」は配所を「但馬ノ室ノ朝倉」と明記しているが、後掲の「蔭 ...
43. 狂言集 497ページ
日本古典文学全集
丁寧に扱っているのに。こいつめ。そのような(尊大な)ことを言って。『平家物語』に伊賀平内左衛門家長、『承久記』に伊賀判官光季の名があり、こうした人たちの姓名をき ...
44. 京都大番役
世界大百科事典
,行幸の供奉,行幸先の警固,市中の警備等を勤仕させたのである。期間は6ヵ月ないし3ヵ月で,《承久記》によれば,頼朝が大番役を管掌した際,旧来3年であったのを御家 ...
45. くごのせ【供御瀬】滋賀県:大津市/南部地域/黒津村
日本歴史地名大系
浦胤義ら二千余騎を布陣(「吾妻鏡」承久三年六月一二日条、「承久記」では佐々木高重ら一万余騎)、幕府方は武田信光の軍勢が向かった(承久記)。なお「承久兵乱記」にみ ...
46. くさ の 靡(なび)き
日本国語大辞典
草が風になびくように、権勢や利益のある方へ人心のなびくことのたとえ。*承久記〔1240頃か〕上「侍はわたり物、草の靡きにこそよれ」*俳諧・西鶴大矢数〔1681〕 ...
47. くらはしのしょう【椋橋庄】大阪府:豊中市
日本歴史地名大系
は椋橋東庄の領家職だったのかもしれない。倉橋庄は承久の乱の一因となった庄園として知られる。「承久記」によれば、摂津国の長江・倉橋の両庄領家職は後鳥羽院の寵愛をう ...
48. くりから【倶利伽羅】石川県:河北郡/津幡町/倶利伽羅村
日本歴史地名大系
翌朝倶利伽羅山を越えて越中に入ったとある。承久の乱では、越後の名越朝時軍が当地で加賀の住人を撃破した(承久記)。「越後下向日記」によれば、冷泉為広は延徳三年(一 ...
49. くろきごしょあと【黒木御所跡】新潟県:佐渡郡/金井町/和泉村
日本歴史地名大系
思ひやられていたわしや。所は萱が軒端の草、忍の簾絶え絶え也」と泉に配所のあったことを伝える。「承久記」承久三年(一二二一)七月二二日条に「新院、佐渡国へ被移させ ...
50. 軍記
世界大百科事典
るまき返しをはかり失敗におわった後鳥羽院らの叛乱,承久(じようきゆう)の乱を批判的に描いた《承久記》,元弘の乱による鎌倉幕府の滅亡と室町足利政権の成立,その内部 ...
「承久記」の情報だけではなく、「承久記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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陸奥話記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代十一世紀後半の天喜・康平年間(一〇五三―六四)に陸奥国北部で俘囚安倍氏が起した反乱、いわゆる前九年の役の顛末を漢文体で記した書。一巻。『陸奥物語』『奥州合戦記』などともよばれたらしい。著者・成立年代ともに未詳であるが、本文末尾に
平治物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状(四部之合戦書)とも称される。作者としては、『保元物語』と同じく、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』、『参考平治物語』凡例)、源瑜僧正(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)
保元物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも呼ばれた。作者としては、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』『参考保元物語』)、中原師梁(『参考保元物語』)、源瑜(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
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鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
随想的性格の強い中世の仏教説話集。二巻。古く慈円の著といわれてきたが、書中に著者が入宋したと述べているのを手がかりとして、契沖は慶政が著者であろうと推測した。決定的資料を欠くが内部徴証や各種情況証拠からみて、慶政著作説は動かないと思われる。成立は跋文相当箇所に
海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行。一冊。『鴨長明海道記』と題した本もあり、源光行・如願法師を著者とする説もあるけれど、いずれも年齢的に合わないので誤り。著者は不明であるが本書の序の部分に、白河のわたり中山の麓に閑居幽棲する侘士で齢は五旬、遁世して頭陀を事としている者とある
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