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日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

日本大百科全書
イエス・キリスト
いえすきりすと
Jesus Christ 
[前7ころ?―後30?]

キリスト教の始祖。その生誕年が西暦紀元とされるが、実際には差があると考えられている。「イエス」は「ヤーウェ(イスラエルの神)は救いである」という意味のヘブライ語の人名イェホーシューア(短縮形ヨシュア)のギリシア語音訳(正確にはイエースース)。「キリスト」は本来固有名詞ではなく、「油注がれた者」を意味するヘブライ語マーシュィーアッハ(メシア)にあたるギリシア語(正確にはクリストス)である。これは『新約聖書』時代のユダヤ人には救済者の称号となっていたが、他の諸民族の間ではその意味が理解されず、したがってイエス・キリストは固有名詞として用いられるようになった。
[川島貞雄]

イエスの実像と資料

イエス・キリストに関する『新約聖書』以外の資料は多くない。ローマの歴史家タキトゥス(55ころ―120ころ)は、総督ポンティウス・ピラトゥスのもとでのキリストの処刑に短く言及している(『年代記』15章44)。ローマの著述家スエトニウス(69ころ―140ころ)は、クレストゥスにそそのかされて絶えず騒動を起こすことを理由に、クラウディウス帝がユダヤ人をローマから追放したと報じているが(『皇帝伝』「クラウディウス」25章4)、このクレストゥスがキリストをさすか否かは明らかでない。ユダヤの歴史家ヨセフス(37―100ころ)は、「キリストと呼ばれるイエスの兄弟」ヤコブの石打ちの刑について語っているにすぎない(『ユダヤ古代誌』20章200)。ユダヤ教のラビ伝承によると、イエスは魔術を行い、イスラエルを惑わし、背教させたので過越祭(すぎこしのまつり)の前日に処刑された(『タルムード』「サンヘドリン」43a)。しかしこれらはいずれも『新約聖書』から知りうる事柄を本質的に越えるものではない。『新約聖書』のなかでイエスに関する主要資料は福音(ふくいん)書であるが、福音書は単なる過去のイエスの歴史ではなく、彼を救済者として信じている原始教会の人々の信仰の告白であり、弁証でもある。福音書著者たちは、それぞれの状況と視点から独自のイエス像を描き出しているが、「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」(「ヨハネ伝福音書」20章31)ということばが、基本的には、すべての執筆動機を言い表している。確かに福音書には、イエスに関する古い伝承がしばしば原形に近い形で保存されている。しかし伝承が、すでに福音書以前の口伝の段階で宣教、礼拝、教育など教会の諸活動に適するような仕方で形成されてきたことも考慮されねばならない。最近の研究は、教会の諸活動だけではなく、伝承の担い手の社会的状況も伝承の形成に影響を及ぼすことに注目している。したがって、福音書をイエスの資料として用いるときには、慎重な学問的・批判的検討が必要となる。
[川島貞雄]

生涯

イエスの生年の確定はむずかしい。「マタイ伝福音書」(2章1)によると、彼はヘロデ大王の統治下(前37~前4)に生まれたが、「ルカ伝福音書」(2章1)によると、その誕生は皇帝アウグストゥスによる人口調査の勅令発布の年と結び付けられている。一般にこの人口調査は紀元後6~7年に実施されたと考えられているが、勅令はすでに紀元前7年に発布されていたと推測する学者もいる。ベスレヘムをイエスの出生地とする「マタイ伝福音書」(2章1以下)と「ルカ伝福音書」(2章1以下)の叙述は、メシアはベスレヘムから現れるという、ユダヤ人の期待(「ミカ書」5章2)に基づく物語であるかもしれない。古い伝承によると、イエスは「ナザレのイエス」とよばれているので(「マルコ伝福音書」10章47ほか)、ガリラヤのナザレの出身であったと推測される。父はヨセフ、母はマリア。兄弟たちや姉妹たちもいた(「マルコ伝福音書」6章3)。「マタイ」「ルカ」の両福音書の誕生物語では、イエスを処女マリアから生まれたとして、イエスの聖性の根拠としている。少年時代については、12歳のときエルサレムの神殿で教師たちと問答をし、その賢さに人々が驚嘆したという物語(「ルカ伝福音書」2章41以下)のほかには、何も知られていない。紀元28年ごろヨルダン川のほとりでヨハネの洗礼運動が始まると、彼から洗礼を受け、やがて弟子たちを集めて宣教活動を開始した。「マルコ伝福音書」によると、イエスの活動のおもな舞台はガリラヤである。彼は民衆の間で教え、病人を癒(いや)し、悪霊祓(ばら)いを行うが、後述するように、ユダヤ教の伝統的教えに対して自由にふるまったため、律法学者やパリサイ人などユダヤ教指導者の反感を買った。
 最後に、過越祭を祝うためエルサレムに上京(日曜日)、そこでユダヤ教指導者たちと論争し、弟子たちを教えるが、その週の木曜日に十二弟子と過越の食事(最後の晩餐(ばんさん)となった)をともにし、その一人であるイスカリオテのユダに裏切られ、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)によって逮捕、審問され、涜神(とくしん)の罪で死刑の判決を受けた。しかし当時ユダヤ人は死刑執行権をもたなかったので(「ヨハネ伝福音書」18章31)、イエスをローマの総督ポンティウス・ピラトゥスに反ローマ運動の指導者として訴え、死刑を強く要求した。福音書によれば、ピラトゥスはイエスにその罪をみいだすことができなかったが、ユダヤ人の声に負け、彼を「ユダヤ人の王」すなわち反ローマ的メシア僭称(せんしょう)者として、エルサレム郊外のゴルゴタの丘で十字架につけた。このことから、イエスは実際に反ローマ的暴力革命の指導者であったと想像する学者もいるが、福音書によれば彼の運動は政治的でも軍事的でもない。しかしイエスのように、この世界の終焉(しゅうえん)を意味する神の国の宣教と治癒活動によって多くの抑圧された貧しい民衆をひきつける者は、支配者にとって好ましくない人物に違いなかった。しかもイエスのもとに集まる民衆のなかには、彼の意に反して民族的メシア王国の実現を期待する者もいたので、支配層はそこにいっそう危険を感じたことであろう。そのためにイエスの処刑には福音書が報告する以上に、ローマ人が積極的に関与したかもしれない。
 処刑の日は金曜日であったが、「マタイ」「マルコ」「ルカ」の3福音書によると過越祭の日(ユダヤ暦のニサン月15日)、「ヨハネ伝福音書」によるとその前日である。いずれが正確であるかは今日なお議論されている。後者をとるならば、紀元30年4月7日の可能性が生じてくる。この場合イエスの活動期間は、そのなかに三度の過越祭を数える「ヨハネ伝福音書」から推定されるように、2年余りであったと考えられる。この福音書によると、彼は4回エルサレムに上京し、ユダヤ地方にも長く滞在している。ガリラヤをイエスの活動の主要舞台とし、エルサレム滞在を1週間たらずに限定する「マルコ伝福音書」の構成は、ユダヤ教指導者から蔑視(べっし)されがちなガリラヤをイエスの活動の場所、ユダヤ教の中心地エルサレムをイエスの受難と死の場所として図式化しようとする福音書著者の意図を表しているのかもしれない。
[川島貞雄]

イエスの教えとユダヤ教

イエスはユダヤ人たちが待望していた神の国――神の支配――の接近を告知し(「マルコ伝福音書」1章15)、主(しゅ)の祈りのなかでその実現を祈るべきことを教えた(「マタイ伝福音書」6章10)。この限りにおいて、彼はユダヤ教黙示文学の世界に住んでいた。しかし、彼の宣教は独自の特色を備えている。彼にとって神の国は単に接近しているだけではなく、すでに現在の事実となっている。彼の行う悪霊追放はそのしるしとして解釈される。「わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところに来たのである」(「ルカ伝福音書」11章20)。このように神の国は、未来の事柄であると同時に現在の事実でもある、という。これは一見矛盾であるようにみえるが、イエスにとって決定的に重要なことは、人はいまや神の支配に直面し、それを受容するか拒否するかの決断を迫られているということである。神の支配は人が距離をおいてその到来のときを算定したり、その光景を想像したりすることができるような事柄ではない(「マルコ伝福音書」13章32)。いまや態度決定の保留は許されない(「マタイ伝福音書」11章16~17)。最後の審判においては、ユダヤ民族の特権は認められない。救済の道は各人の悔い改めと信仰のみである(「ルカ伝福音書」13章1以下、「マタイ伝福音書」8章10以下)。
 しかしイエスは神の審(さば)きよりも恵みを強調する。神は慈愛に満ちた天の父として、「悪い者の上にも良い者の上にも、太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださる」(「マタイ伝福音書」5章45)。天にいます神すなわち聖なる超越的な神は、遠き神であると同時に、幼児が父親を呼ぶときに使う「アバ」ということばで、親しく、全き信頼をもって呼びかけることができる近き神でもある(「ルカ伝福音書」11章2、「マルコ伝福音書」14章36)。迷い出た一匹の羊を懸命に捜し歩く羊飼い、失われた一枚の銀貨を一心に捜す女、放蕩(ほうとう)息子の帰宅を喜び迎える父親などに関する一連の譬(たとえ)(「ルカ伝福音書」15章1以下)は、神の国は人間の敬虔(けいけん)や功績に対する報酬ではなく、純粋な恵みの賜物(たまもの)として、「律法をわきまえない群衆」(「ヨハネ伝福音書」7章49)に与えられることを示している。したがってイエスは、律法を守りえないゆえに神から見捨てられているとみなされていた取税人や罪人と食事をともにし、彼らに救いを約束する(「マルコ伝福音書」2章16以下)。他方、自己の敬虔に頼り、それを神の前に誇り、その報酬として救いを得ようとする者は、神から退けられる(「ルカ伝福音書」18章9以下)。そこには高慢の危険がある。こうしてユダヤ教的報酬思想は批判され、ユダヤ教指導者たちはイエスのふるまいに憤る。
 神の無限の恵みの賜物として神の国を約束された者は、それに対する感謝の応答として神と隣人への限りない愛を求められる。神への愛と隣人への愛は不可分であり、この二重の戒めよりも大事な戒めはない(「マルコ伝福音書」12章28以下)。そして愛は敵にまで及ばなければならない。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(「マタイ伝福音書」5章44)。こうしてイエスは、愛を徹底的に重視する結果、ときにはユダヤ教律法の規定に反する言動をも示す。安息日に病人を癒し(「マルコ伝福音書」3章1以下)、法的、社会的に弱い婦人の立場を考慮して離婚を禁じ(同10章1以下)、人間相互の交わりを妨げる食物規定を批判する(同7章15)。しかし律法に対する批判的言動はユダヤ教からみれば涜神(とくしん)にほかならず、とうてい許容できるものではなかった。これがイエス処刑の決定的な原因になったと思われる。
[川島貞雄]

イエスの人格

福音書を批判的に読むと、イエスがメシアの自覚をもち、自己に対する信仰を要求したと推測することは困難である。しかしイエスは律法およびその伝統的解釈に拘泥する律法学者とは異なり、自らの権威によって、神の意志を説いた(「マルコ伝福音書」1章22)。その発言が「まことに、まことに(アーメン、アーメン)わたしはあなた(がた)にいう」ということばで始められることもあるが(「ルカ伝福音書」4章25ほか)、このイエス独特の導入句は、並外れた確信と権威を暗示する。彼は前述したように律法に対しても自由にふるまう。弟子たちに対しては絶対的、徹底的服従を要求する(「マタイ伝福音書」10章37、「マルコ伝福音書」8章34以下)。彼の奇跡は神の支配のしるしである。彼に出会う者は神の支配に直面する。それを受けるか拒むかの決断が人の運命を最終的に、永遠に決定する(「マルコ伝福音書」8章38)。したがってイエスは、律法を論じ知恵を教える教師、神の国の到来を告げ知らせる預言者、多くの病人を癒す奇跡行為者などの範疇(はんちゅう)を超えていた。
[川島貞雄]

復活

イエスが逮捕されるや、弟子たちは彼を見捨てて逃げ去ってしまったが、まもなく、イエスが復活したとの確信を抱き、彼を神の子メシアとして信じ、その死を『旧約聖書』に書かれている神の救済計画に基づく贖罪(しょくざい)の死と考えるようになった。イエスの復活についてわれわれが所有する最古の伝承は、「キリストが、(旧約)聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、3日目に甦(よみがえ)ったこと、ケパ(ペテロ)に現れ、次に、12人に現れたこと」(「第一コリント書」15章3~5)を伝えている。ここには復活のイエスの顕現が語られているが、その詳細は明らかでない。それはのちに成立した福音書の復活物語に待たねばならない。確かにこれらの物語には、教会の神学的、護教的モチーフが多様な形で反映している。イエスの墓が空虚であったという物語の歴史性については、議論が多い。顕現の場所に関してもガリラヤであったか(「マルコ伝福音書」)、エルサレムおよびその近郊であったか(「ルカ伝福音書」)、あるいはその両方であったか(「マタイ伝福音書」「ヨハネ伝福音書」)、諸福音書の報告は一致していない。しかしいずれにせよ、なんらかの形でイエスの顕現を経験した弟子たちは、「神が死人のなかからイエスを甦らせ」(「ローマ書」10章9)、天に引き上げ、万物の主とした(「ピリピ書」2章9~11)と信じ、「われらの主よ、きたりませ」(「第一コリント書」16章22)と祈りつつ、終末のときにおける彼の再臨を待ち望むようになったのである。
[川島貞雄]

美術に現れたイエス・キリスト

美術におけるキリスト像は、生涯の物語場面の主人公としての像と、単独像として礼拝の対象となった教義的表現とに大別される。しかしイエス・キリストの具体的な容姿については福音書にはいっさい記されていない。この点について当然のごとく初代教会の教父たちの議論するところとなった。『旧約聖書』には来るべき救世主(メシア)の姿かたちについての言及がたびたび認められる。たとえば「イザヤ書」53章では救世主の容姿は貧弱であると記され、テルトリアヌスやオリゲヌスらの初代教会の神学者たちは、イエスも当然そうであったに違いないと記している。しかし実際には、ギリシア文化の伝統を継承したヘレニズム世界に生まれたキリスト教美術は、「詩篇(しへん)」45章にみるもう一つの救世主像、つまり理想化され、人として最高の美しさをもった救世主像としてイエス・キリストの容姿を創造していった。この場合二つの表現形式が生まれる。短い巻毛の頭髪で髭(ひげ)のない青年像と、黒く長い髪と同じく黒く豊かな髭を蓄えた荘厳なキリスト像とである。6世紀ころまではキリスト教世界全域でこの二つの型の表現が採用されている。しかし、後の東ヨーロッパの中世美術(ビザンティン美術)では荘厳なキリスト像が圧倒的となった。西ヨーロッパの中世美術ではロマネスク美術時代までは二つの型が使い分けられていたが、ゴシック美術時代になって14世紀以降は黒く長い髪と有髭(ゆうし)の荘厳なるキリスト像が優勢となる。
 こうした美術におけるキリスト像のほかに、「真の肖像」の問題がある。いわゆるアケイロポイエトス(人の手によって写されたものではない)としてのキリストの容姿で、次の三つがある。まずキリストが押し当てた布にキリストの顔が写ったという「聖骸布(せいがいふ)」で、エデッサのアブガルス王伝説中のものと、聖女ベロニカのものとがある。また死んだキリストの身体を包んだ布に全身像が写ったとされる北イタリアのトリノの聖布も現存する。さらに使徒ルカが描いたとされる肖像など、生存中のイエス・キリストを人が実際に描いたものとされる肖像も伝説化されて伝えられている。しかしアウグスティヌス(354―430)がすでに当時「イエス・キリストの容貌(ようぼう)がどうであったか、われわれはまったく知らない」と記しているように、こうした「真の肖像」は後代のキリスト教徒の熱烈なる聖なる遺物信仰が生んだものとみなして差し支えないであろう。
 こうしてキリスト教美術は3~4世紀の形成期に、なによりもまず第一にイエス・キリストの容姿を定型化せざるをえなかったわけで、そこに生まれたのが前に記した二つの型であった。青年像のキリスト表現が生まれた背景には、古代ギリシアのアポロン神像や英雄化された競技者像などがあったとみなされている。同様に長髪で有髭の荘厳なキリスト像は、ゼウス神像やアスクレピオス神像、哲学者像や教師像、さらにオリエントの君主像などを原型としたものと推察されている。
[名取四郎]


イエス時代のエルサレム[百科マルチメディア]
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イエスの宣教活動[百科マルチメディア]
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改訂新版・世界大百科事典
イエス・キリスト
Jesus Christ

一般にキリストはイエスの別名のように考えられている。実際,新約聖書の中でもパウロの手紙などではキリストとイエスとが区別されていない場合もあるし,古代ローマの歴史家たち(タキトゥスやスエトニウスなど)は,多くの場合キリストを固有名詞と思っていた。しかし,〈キリスト〉は元来普通名詞で,〈油を注がれた者〉を意味していた。具体的に言えば,それは,旧約聖書の時代,イスラエルの預言者たちによって頭に〈油を注がれて王位についた人物〉,すなわち〈王〉を意味するものであった。前1000年ころ,ダビデは油を注がれて,イスラエルの王位についている。

 ところで,イエス時代のユダヤ教徒は,この世の終末のときにダビデ王の子孫からメシアが現れて,イスラエルを中心に〈神の国〉をもたらすと信じていた。このヘブライ語の〈メシア〉,正確には〈マーシアハ〉がギリシア語で〈キリスト〉(正確には〈クリストスChristos〉)と呼ばれ,日本では一般的に〈救世主〉と訳されているものである。

 これに対して〈イエス〉(正確には〈イェースースIēsous〉)は,ヘブライ語の〈イェーシュア〉のギリシア語読みである。そしてこの〈イェーシュア〉は,例えば旧約聖書《ヨシュア記》の主人公〈ヨシュア〉(正確には〈イェホーシューア〉)の短縮形であり,これは〈ヤハウェ(神)は救い〉を意味して,ユダヤ人の間で広く採用されていたごく普通の人名である。もっとも,2世紀以後のユダヤ教のラビ文献(いわゆる〈タルムード〉)でナザレ出身のイエスは〈イェーシュ〉と呼ばれている。この呼称は,ギリシア語の〈イェースース〉のアラム語(イエス時代の日常語)読みであると想定する学者たちが多い。しかし他方,考古学的知見から,むしろこれがイエスの名のガリラヤ地方(ナザレはこの地方の町)の発音であると主張する学者たちもいる。

 このイエスの呼びかけに応じ,彼に従った人々が,とくにイエスの死後,彼を〈キリスト〉と信じた。これらの人々によって,いわゆるキリスト教が成立する。だから,キリスト教の側から見れば,キリストは当然イエスのことである。しかし歴史的には,キリストとイエスとは区別されなければならない。現に,ユダヤ教徒はイエスをキリストと認めてはおらず,今でもこの世の終りにメシア,つまりキリストが来臨すると信じている。そのうえ,新約聖書の福音書においてさえ,イエスは一度も自分をキリストであると主張してはいない。とすれば,われわれは歴史上のイエスとキリスト教徒の信仰の対象としてのキリストとを一応区別したうえで,イエスとキリストとの関係を問うていかなければならないことになる。

イエスの生涯と思想

イエスに関する資料の中でその歴史性を比較的に信頼できるのは,新約聖書の冒頭に収められているマルコ,マタイ,ルカ,ヨハネの四福音書と,最近発見された《トマス福音書》である。しかし,これらの福音書もイエスをキリストと信じるキリスト教徒によって著作されたものであるから,これらの中に書かれている記事をすべて史実と判断するわけにいかない。しかしわれわれはこれらを,とくに最初の三つの福音書(いわゆる共観福音書)を文献批判的に比較検討することによって,イエスの生涯については,少なくとも次の三つの段階があったことを推定することはできる。(1)バプテスマのヨハネの弟子。(2)ガリラヤにおける宣教。(3)エルサレムにおける処刑。

 イエスはおそらく,ヘロデ大王(前4没)の晩年にガリラヤのナザレで生まれ,後28年ころにヨルダン川でヨハネから洗礼を受け,彼によって創始された洗礼運動に入った。ヨハネはヨルダン河畔の荒野で〈神の国〉の接近を宣(の)べ伝え,人々に悔い改めを迫って,罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。われわれは〈悔い改めよ〉と言われると,何か道徳的な意味で改心を迫られているように感ずる。しかし,ヨハネが求めた悔い改めは,むしろ人間の生活上の価値基準を180度転換すること,すなわち文字通りの〈回心〉にあった。当時ユダヤの支配者たち,とくに政治的・宗教的エリートたち(サドカイ派,とりわけパリサイ派の人々)は,彼らの生活の価値基準を,彼らが神から与えられたと信じていた律法に置いていた。彼らによれば,律法を守って倫理的に正しい生活をした人々がその功績によって終末のときに〈神の国〉に入れられ,律法を守らない人々は〈神の国〉から閉め出されると確信していたのである。しかしヨハネは,過去における律法の業を誇り,それを基準にして,律法を守らない人々,あるいはむしろ,貧しさのゆえにそれを守ろうとしても守りえない人々を差別する人間の心のありようそのものを〈罪〉と見た。人間は過去(自分の属する民族や社会層や学歴や宗教的敬虔や性別)にではなく,むしろいっさい白紙の将来に価値の基準を転換すべきである。こうして人間が将来から迫り来る〈神の支配領域〉としての〈神の国〉にすべての価値の基準を置けば,律法を守りうる者も守りえない者も同じ地平において神の前に立たざるをえない。ここではむしろ,過去における律法の業を誇る者が神による審判の対象となり,律法の業を誇ろうにも誇り得ない者が神による救済の対象となる。要は,このような意味において悔い改め,その悔い改めにふさわしい実を結ぶこと,すなわち倫理的生活を実践することが,ヨハネの求めるところであった。このようなヨハネの呼びかけに応じて彼のもとに参集した人々の中にガリラヤのイエスもいたのである。

 イエスはまもなくヨハネから独立し,ガリラヤ湖畔を中心に一人宣教活動を開始する。その際イエスはヨハネの立場を批判的に継承したと見てよいであろう。イエスの思想と行動の特色をヨハネの場合と比較して挙げてみると,次の3点になる。第1に,ヨハネは悔い改めにふさわしい生活形態として,世俗から離れた一つの禁欲生活共同体を形成した(これは,当時のユダヤ教非主流派の一つエッセネ派が帰属した〈クムラン教団〉と類似している。ヨハネはこの教団の出自であったかもしれない)。しかし,イエスはむしろ世俗世界に入り込んできわめて自由にふるまい,洗礼も授けず,断食も勧めていない。イエスに敵対したユダヤの指導者たちは,彼について〈大飯くらいで大酒飲み,取税人や罪人の仲間だ〉と非難しているほどである(マタイ11:19,ルカ7:34)。第2に,ヨハネは〈神の国〉の接近に基づいて人々に悔い改めを迫ったが,イエスは〈神の国〉がすでにこの世の中に実現されつつあると告知した(マルコ1:14,ルカ17:21)。イエスにとって重要なのは,人間が自分の民族的・社会的・倫理的有能さに価値の基準を置き,自己中心的に他人の価値を判断しようとする態度を放棄し,神信仰によってむしろ自己を相対化して,みずからあえて民族的・社会的・倫理的に〈弱い者〉の位置に立つことであった。人がもしこのような意味において〈弱者〉の位置に立つことを決意するならば,そこに〈神の国〉は実現されつつある,とイエスは見たのである(マタイ11:2~19,ルカ7:18~35)。〈貧しい者は幸いだ〉(ルカ6:20,マタイ5:3),〈汝の敵を愛せよ〉(マタイ5:44),〈まことに汝らに告ぐ,取税人や遊女は汝らよりも先に神の国に入る〉(マタイ21:31)などの有名な言葉は,実際に〈弱者〉の位置に立ちつくしたイエスによって語られたことを,われわれは忘れてはならない。第3に,ヨハネとイエスとの相違点は,イエスについて多くの奇跡物語が言い伝えられていることである。イエスは実際に病気をいやす能力を持っていたのかもしれない。そしてそれが,当時の〈奇跡物語〉という文学形式の中で高められ,この物語は最終的に,彼の超人的(〈キリスト〉〈神の子〉としての)力を誇示するために用いられたことは事実である。しかしわれわれにとって重要なのは,イエスが,当時政治的・宗教的指導者たちにより〈地の民〉あるいは〈罪人〉として差別され,交わることを法によって禁じられていた身体障害者や病人たち,とくに精神病者やハンセン病患者と,法を犯してまでも立ち交わり,みずからがいわば彼らの一人となることによって障害や病気をいやそうとした事実である(マルコ3:28その他)。当時,これらの人々にとってイエスはまさに〈奇跡の人〉であっただろう。

 やがてイエスはエルサレムに上り,これまでガリラヤで示した彼のふるまいの象徴的行動の一つとして,激しくユダヤ教の神殿に批判を加えた(マルコ11:15~18)。当時エルサレムの神殿は,ローマの属州でありながらある程度の自治を許されていたユダヤ国家の政治的・経済的・宗教的拠点であった。ユダヤの支配者たちは,おそらくこのようなイエスの行動を直接のきっかけとして,イエスをローマ当局に王位(つまりキリスト)僭称者として訴え出,イエスはローマのユダヤ総督ピラトにより政治的反逆者と認定されて,十字架刑に処せられた。当時イエスは30歳を超えたばかり,彼がヨハネから独立して公に行動した期間は2年足らずであった。

イエス・キリスト

イエスの死後,かつてイエスに従いながらイエスの逮捕とともに彼を見捨てた弟子たちが,復活したイエスに出会うといういわゆる顕現体験により,イエスは今も神によって生かされていると信じ,このイエスを〈キリスト〉と同一化して,このイエス・キリストを信仰と宣教の対象としていった。こうして,原始キリスト教が成立する。ここでキリスト教徒は,とりわけイエスの死を,人間の罪を贖(あがな)う犠牲行為と信じ,このいわゆる贖罪信仰をキリスト教の教理の中心に据えている。われわれはこのように意味づけられたイエスの死の背後に,〈罪人〉の〈罪〉を不問に付して彼らとともに生きたイエスの生があったことを忘れてはなるまい。
→原始キリスト教
[荒井 献]

図像

イエス・キリストの図像表現に関しては,何よりもまず図像表現が可か否かという問題がある。キリストは神性と人性とを兼ね備えるものというのが正統的な考え方だが,これには異説があり,キリストは神であって人としての姿は仮のものであるという立場,キリストは人間であって洗礼ないし修徳によって神性を獲得したとする立場などがある。それらのいかなる立場をとるかによって,キリストを人間の形として表現するか否かが分かれる。そこで,ときとしてキリストを記号的・象徴的表現にとどめることにもなる。また人像としての表現を容認するとしても,いかにしてその神性を表すかが問題となる。さらに,人間という罪にけがれた死すべき者が絵具や木,石といった物質的手段によって至聖なる者を表現しうるのかという問題がある。

 聖書には神像を作って拝んではならぬと繰り返して記されているため,初期キリスト教時代には,キリストは原則として象徴によって間接的に表現されるにとどまった。迫害時代ゆえの配慮もあったのであろう。その象徴には数種ある。まず文字によるもので,キリストのギリシア語綴りの最初の2文字であるX(キー)とP(ロー)の組合せ文字,キリストが初めであり終りであることを示すA(アルフア)とΩ(オメガ)などがある(クリスモン)。また中世末期から用いられたJHS(イエススJHESUSの略)もこれに類する。

 次に,抽象文としてふつうに見られるものは,十字,十字架,およびそれらのさまざまな変化,すなわちまんじ,アンクankh(上に輪のついたT字形十字で,エジプト古来の象徴),ギリシア語のT(タウ)などで,また具象的なものには錨(十字架に似た形でまた信徒の舟を守る意),魚(〈神の子,救い主,イエス・キリスト〉を表すギリシア語Iēsous Christos,Theou Hyios,Sōtērの頭文字の組合せが魚ichthysとなるところからであると説明されるが,他の説明もある),羊(犠牲の獣)などがあり,中世盛期になってさらに獅子,ペリカン,フェニックス,鷲,一角獣(ユニコーン)などが加わる。植物象徴としてブドウ,ヤシなどが用いられる。人の形をとった象徴として,初期キリスト教時代に,善き羊飼い,漁夫,オルフェウスなどが用いられた。以上の多くは,異教世界で聖なる象徴としてすでに広く用いられていたものである。このような象徴的表現法は,後世になっても聖像表現を否定する立場(例えば8~9世紀の東方のイコノクラスト(イコノクラスム)や西方近世のプロテスタント各派など)がこれを踏襲し続けた。4世紀からキリストを直接表現したものが,石棺浮彫や壁面装飾(壁画やモザイク)に現れ始めるが,それを不可とする否定論がなお強かった。そこでキリスト像を正当化するために,人の手で作られたものではないと言われるキリスト像が数種伝わった。いわゆるアケイロポイエトスacheiropoiētos像である。その主要なものは〈聖顔〉で,これに2系統がある。その一つはエデッサのマンデュリオンmandylion(手巾)と称するもので,キリストが顔をぬぐった布にキリストの容貌が写ったものをエデッサ王が得て,これを後世に伝え,それがさらに模写されたといわれる。第2は,ゴルゴタの丘で十字架を負うキリストをベロニカがぬぐったときにその顔が布に写されたという。またルカが写生を始め天使がこれを完成させたと伝えられるキリスト像,キリストの昇天後ニコデモが作ったといわれる磔刑像などがあり,いずれもその信憑性が主張され,後世多くの模写模刻を生み,キリスト像の基準となった。

教義的図像と説話的図像

5世紀ごろから,キリストの図像はかなり自由に作られるようになる。それに2種あり,一つは教義的図像,他は説話的図像である。前者は例えば〈聖母子〉(いくつもの類型がある),〈教師キリスト〉(右手で祝福のしぐさをし,左手に聖書を持ち,単独で,あるいは弟子たちに囲まれて教えを説く姿),〈磔刑のキリスト〉(受難ないし贖罪の教義を示す。聖母とヨハネその他を伴うこともある),〈勝利者キリスト〉(悪の象徴を踏まえる姿),〈審判者キリスト〉〈栄光のキリスト〉(《ヨハネの黙示録》に記された四つの生き物--天使,獅子,牡牛,鷲--あるいは天使を伴う),〈デエシスdeēsis〉(罪人たちの祈りのとりなしをする聖母とバプテスマのヨハネを左右に伴ったキリスト),〈空の御座またはエティマシアetimasia(ヘトイマシアhetoimasia)〉(〈最後の審判〉の到来を待つ場面)などである。これらは聖堂の祭室半円蓋,主円蓋,入口上部を飾る半円形のティンパヌムなど,教会の最も重要な場所を占めて,信徒に教義の重要なものを視覚的に理解させる役割を果たした。それはほとんどが左右相称の構図で,キリストはとくに大きく表現力豊かに表された。

 他方,説話的図像は,〈四福音書〉あるいはその欠を補う多数の〈外典〉に記されているキリストの生涯を図解するものである。生涯を追って分類すれば5時期に分けられる。第1期はキリストの幼時で,〈聖告(受胎告知)〉に始まり,〈聖母のエリザベツ訪問〉〈キリストの降誕〉〈牧者の礼拝〉〈マギの礼拝〉(三博士の参拝),〈神殿奉献〉〈エジプトへの避難〉などである。第2期はキリストの公生活に関するもので,〈キリストの洗礼〉に始まり,〈キリストの試み〉,種々の〈教え〉と〈奇跡〉(〈ラザロの復活〉がとくに重要)である。第3期は〈受難〉の諸場面で,〈エルサレム入城(枝の主日)〉に始まり〈最後の晩餐〉〈ゲッセマネの園での苦悩〉〈ユダの裏切り〉〈ピラトの審判〉〈笞打ち〉〈磔刑〉〈十字架降下〉〈聖母の嘆き〉〈納墓〉などである。第4期はキリストの栄光に関するもので,〈リンボへの降下〉〈復活〉〈昇天〉〈聖霊降臨〉など,そして第5期は〈最後の審判〉である。以上の諸場面は,時代の宗教感情によってときには省略され,ときには細分化されて,それぞれの時代の様式で聖堂の壁面(壁画,浮彫など),写本あるいは典礼用具などを舞台に多彩な表現を見た。

キリスト像の類型

キリストを直接表現するようになって,最も早い時期のキリスト像は,美しい若者の姿(ヘレニスティック型またはギリシア型)と,長髪で髯をはやした壮年の姿(シリア型)に区別される。その後シリア型の方が支配的となり,東方の諸教会およびロマネスク時代以降の西方の美術におけるキリスト像の類型の原則となる。ただし西方では,カロリング朝,オットー朝およびルネサンスに,前者の型が見られないではない。有髯のキリストの表現は,いかにも権威に満ちた神の姿であり,東方においてはビザンティン中期以降その半身像が,いわゆるパントクラトルpantokratōr(全能者)像としてとくに発達し,ときにはイコンとして,あるいは祭室半円蓋,とくに主円蓋の中央に,これが表現されることとなる。これに対して西方では,祭室半円蓋の壁や入口のティンパヌムに表現されるときは,玉座に座った姿勢である。丸彫像についていえば,東方ではキリスト像が丸彫の形式をとることはないが,西方ではカロリング朝以降とくに磔刑像としてしだいに発達した。この磔刑像は,もともと6世紀ごろから東方のシリア方面で原像として現れたもので,それらに見られるキリストはいずれも着衣のままで目を見開き,苦痛の情を表現することはない。この着衣のキリスト像は西方に入って丸彫像になるが(とくにルッカLuccaのボルト・サントVolto Santo像とその系統の像),他方裸体の磔刑像で苦痛の情を表現した丸彫像も並行して発達,とくに中世末期になって,この苦痛の表現が極度に強調された。このような表現は,キリストの受難ないし贖罪の意味を強く打ち出したものであるが,これに対して,苦痛を表さないキリスト像--多くは目を大きく開き,ときには王冠を頂く--は,死に対するキリストの勝利--つまり復活--を示すものである。このような磔刑像とは別に,聖母に抱かれた幼児キリストの像が西方では11世紀以降に発達し,東方ではイコンとしての聖母子像が6世紀以降発達を見た(聖母子)。祭室の半円蓋に表現されるキリストは,西方でも東方でも十二使徒,黙示録の四つの生き物(四福音記者の象徴となる)などを伴っているが,聖堂西壁では,〈最後の審判〉の大場面を支配する審判者として権威に満ちた姿で表現されることが多い。とくに西欧のロマネスク聖堂の西入口のティンパヌムを占める〈最後の審判〉はその典型的な例である(オータンのサン・ラザール大聖堂など)。次のゴシック時代になると,ティンパヌムの審判者キリストに代わって入口中央扉の中柱の前に位置するキリスト立像が主役を務めることになる。〈美しい神〉と呼ばれるこの像は,ゴシック時代特有の慈愛に満ちた表情をとる(アミアン大聖堂など)。ルネサンス以降になると,キリスト像は一般に神的権威を失って通常の人間像以上の性格を示さなくなる。ただ十字架を付加した光輪その他の外的特色によって,あるいは雲に乗るといった特殊な状況の描写によって,特定の人像がキリストであることを示すにすぎない。東方で描かれたイコンのキリスト像も,西方の近代写実主義の影響のもとに宗教的性格を失い俗化した。近世以降,19世紀に,ナザレ派やラファエル前派がキリストを主題に採り上げたが,注目すべきキリスト像を描いたほとんど唯一の作家は20世紀のルオーであろう。彼は〈聖顔〉を何点も描き,そこには受難の苦悩が強く影を落としながら,なお慈愛の情をたたえた救世主の姿が感じられる。
[柳 宗玄]

[索引語]
Jesus Christ キリスト イエス 油を注がれた者 メシア 神の国 救世主 Iēsous キリスト教 共観福音書 ヨハネ(バプテスマの) 奇跡物語 原始キリスト教 初期キリスト教美術 アンク ankh 魚 アケイロポイエトス acheiropoiētos 聖顔布 マンデュリオン mandylion デエシス deēsis エティマシア etimasia ヘトイマシア hetoimasia パントクラトル pantokratōr
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