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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
後伏見天皇
ごふしみてんのう
一二八八 - 一三三六
一二九八―一三〇一在位。名胤仁(たねひと)。正応元年(一二八八)三月三日生まれる。持明院統の伏見天皇の第一皇子。母は前参議五辻(藤原)経氏の娘、典侍経子。養母は永福門院西園寺〓子。同年八月十日、親王宣下。翌二年四月二十五日、父伏見天皇の東宮となり、永仁六年(一二九八)七月二十二日、受禅。同年十月十三日、即位。父伏見上皇が院政をとる。正安二年(一三〇〇)正月三日、元服。翌三年正月二十一日、関東申次(もうしつぎ)西園寺実兼の画策によって立てられていた大覚寺統の東宮(後二条天皇)に譲位。後二条天皇の東宮として、後伏見上皇の弟にあたる皇子(花園天皇)が立つにあたり、父の伏見上皇は、将来、持明院統が兄弟二流に分裂することを恐れ、弟を兄後伏見上皇の猶子とし、さらに兄上皇に皇子が生まれたときは、この皇子を弟の猶子にすることを取り決めた。延慶元年(一三〇八)八月二十五日、大覚寺統の後二条天皇が崩じたため、持明院統の花園天皇の即位となり、再び父伏見上皇が院政をとった。正和二年(一三一三)、上皇は鎌倉幕府と諮って、出家するに先立ち院政を後伏見上皇に譲った。しかし、文保二年(一三一八)二月二十六日、大覚寺統の後醍醐天皇が践祚したため、院政はその父後宇多上皇に代わった。元弘元年(一三三一)、後醍醐天皇が討幕の挙兵に失敗し出京すると、九月二十日、後伏見上皇の皇子(光厳天皇)が践祚して、上皇は再び院政をとった。同三年五月、鎌倉幕府に反旗を翻した足利尊氏らの軍勢が京都に攻め込み、上皇は光厳天皇らとともに近江の太平護国寺に逃れたが、五月十七日の光厳天皇廃位によって、上皇の院政も終った。まもなく帰京、六月二十六日、持明院殿で出家。法名理覚。建武三年(一三三六)四月六日、同殿で崩ず。四十九歳。嵯峨野で荼毘に付したあと、後深草院法華堂に納骨。山陵は深草北陵(京都市伏見区)。北朝の光厳・光明両天皇は、西園寺公衡の娘、女御寧子(広義門院)との間に生まれた皇子。日記『後伏見天皇宸記』、家集『後伏見院御集』のほか、装束について記した『後伏見院御抄』(散逸)が知られ、宸筆の消息・願文案などが数多く現存する。また、宸筆の『古今和歌集』(元亨二年(一三二二)奥書)も伝来する。和歌は、『新後撰和歌集』以下、『新千載和歌集』までに多く撰ばれている。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
[参考文献]
『大日本史料』六ノ三 延元元年四月六日条
(益田 宗)

所領

 後伏見上皇は法金剛院領を管領していたが、正和元年(一三一二)十二月、伏見上皇から播磨国・長講堂領を譲られた(『伏見宮御記録』所収「伏見院宸筆御譲状符案」)。その譲状・処分状は案文だが、正文の紛失に備えて、正文に准ずるために花押を加えるとの奥書きがある。伏見上皇は両統の確執に深く鑑み、持明院統で後伏見・花園両皇統が内部抗争するのを、特に後伏見上皇に誡め、所領ものちにすべて花園天皇に譲るよう定めた。しかもまた伏見上皇は所領処分状のなかで、長講堂領・法金剛院領・室町院領について述べている。長講堂領については、後伏見天皇皇子量仁親王(光厳天皇)が花園天皇の猶子になり、皇統をつぐべき人なる故に、その時はこれを譲るよう天皇に申し置き、越前国坂北・丹波国野口の二荘を付加した。また法金剛院領は、量仁親王が貧困であるので今日からでも譲るようにと付加した。しかし伏見上皇の崩御後、元応元年(一三一九)に後伏見・花園両上皇は、皇位と長講堂領をめぐり争った。やがて後醍醐天皇は持明院統の所領を保証する。
[参考文献]
帝室林野局編『御料地史稿』、八代国治『国史叢説』、岩橋小弥太『花園天皇』(『人物叢書』九九)
(奥野 高広)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後伏見天皇
ごふしみてんのう
[1288―1336]

第93代天皇(在位1298~1301)名は胤仁(たねひと)。法名理覚、のちに行覚。常盤井(ときわい)殿と称された。伏見天皇の第1皇子。実母は五辻経氏(いつつじつねうじ)の女(むすめ)経子。養母は西園寺実兼(さいおんじさねかね)の女(むすめ)永福門院鏱子(しょうし)。父帝の譲を受けて位についたが、その在位中に持明院(じみょういん)、大覚寺(だいかくじ)両統の間に迭立(てつりつ)による皇位継承の協定が成立し、わずか3年で退位した。のち花園(はなぞの)天皇および光厳(こうごん)天皇の代になり、院政をとった。元弘(げんこう)の変に際会し、東国に向かう途中敗れて帰京し、出家した。後伏見天皇は父伏見天皇また兄弟の花園天皇や尊円(そんえん)親王に似て名筆家として著名。延元(えんげん)元年4月6日没。京都の深草北陵に葬る。同天皇には日記が二十数巻あった由であるが、今日伝存するものはその一部と考えられる断簡にすぎない。『後伏見院御集』と称する107首を収める歌集が伝存する。
[村田正志]



世界大百科事典
後伏見天皇
ごふしみてんのう
1288-1336(正応1-延元1・建武3)

第93代に数えられる天皇。在位1298-1301年。伏見天皇第1皇子。名は胤仁。母は五辻経氏の娘。永福門院藤原鏱子は養母。在位中は父上皇の院政の下にあった。持明院・大覚寺両統による皇位争いの中で,皇子量仁親王(光厳天皇)が後醍醐天皇の皇太子になると,その践祚に意をそそいだ。元弘の乱後,出家してまもなく没した。父天皇とともに能書家として知られ,歌集《後伏見院御集》,日記《後伏見院宸記》がある。陵所は京都市伏見区深草坊町にある(深草北陵)。
[飯倉 晴武]

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1. 後伏見天皇
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なり、院政をとった。元弘(げんこう)の変に際会し、東国に向かう途中敗れて帰京し、出家した。後伏見天皇は父伏見天皇また兄弟の花園天皇や尊円(そんえん)親王に似て名 ...
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47. こうごんてんのう【光厳天皇】画像
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