「医学博士」「農学博士」などと言うときの「博士」と、「昆虫博士」「漢字博士」などの「博士」とはどう違うのか、そんなことをお考えになったことはあるだろうか。
 前者は学位の呼び方、後者は物知りのことと、意味が違うのである。
 また、意味の違いばかりではなく、学位の正式な呼び方は「はくし」、ある方面の知識が豊富な人のことは「はかせ」と、使い分けがされている。ただし、学位の呼び名を俗に「はかせ」と言っている人もいないわけではないが。「博士号」や「博士課程」は、「はかせごう」「はかせかてい」のほうが優勢かもしれない。
 「博士」を「はかせ」あるいは「はくし」と読むことは、平安時代から行われていた。ただし、「博」の字音は「ハク」「バク」で、「ハカ」という読みはない。それは「士」も同様で、「士」の字音は「シ」「ジ」で、「セ」はない。そのため、『日本国語大辞典』(『日国』)では、

 「応神以降、『博士』は百済との交渉に関して記録されているので、百済の制度に関係があると思われ、『はかせ』も百済の音かもしれない。」 

と推定している。「百済との交渉」というのは、古代朝鮮の王朝・百済(くだら・ひゃくさい)から送られてきた学問技術の専門家のことで、五経博士(ごきょうはかせ)・医博士(くすしのはかせ)・易博士(やくのはかせ)・暦博士(こよみのはかせ)などである。
 これが後に令制で、特定の学術・技芸に専門的に従事し、かつその分野の教育を担当する職の総称となる。「陰陽博士(おんみょうはかせ・おんようはかせ)」「文章博士(もんじょうはかせ)」などの名称は、お聞きになったことがあるかもしれない。
 明治時代になり1887(明治20)年に「学位令」が公布され、学位を「博士」「大博士」の2等に分けることが制定されたのだが、この「博士」は「はくし」と読むのが正しいとされたのである。
 『日国』に、その公布の翌年に「金城だより」という新聞に掲載された、ちょっと面白い内容の記事が引用されているので紹介しておこう。

 「学位令にある博士と言ふ文字の発音方は、従来唱へ来りたる如くハカセと読む事と思ひの外、ハクシと発音する事になり居る由」(明治21年〔1888〕6月21日)

 「金城だより」というのは愛知県で発行された新聞で、現在の中日新聞の前身である。当時の人たちの感覚では、「はかせ」の読みの方がふつうだったようである。

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 とある居酒屋でお品書きに「木の芽和え」とあったので、「『きのめあえ』をください」と言ったら、同席していた者からもお店の店主からもほとんど同時に、「『このめあえ』でしょ」と言われたことがある。「木の芽」とはサンショウの新芽のことで、「木の芽和え」はサンショウの新芽に、味噌や砂糖などをすりまぜて、肉や野菜などをあえたものをいう。
 負け惜しみでも何でもなく「このめあえ」と言うことももちろん知っていたのだが、自分の中では「きのめ」と言うか「このめ」と言うかで揺れていて、そのときの気分で適当に使っているような気がする。
 私自身はそうであるが、一般的な言い方はどちらなのであろうか。
 「木の~」という形の語は、「木」を「き」と読むか「こ」と読むのかふた通りがある。たとえば、「木の香」「木の根」などは「きの~」と読み、「木の間」は「この~」と読むのがふつうである。だが、「木の葉」「木の実」などは、「きの~」とも「この~」とも読まれる。
 「き」も「こ」も「木」という漢字の訓読みではあるが、「き」は単独で使われることもあるが、「こ」は他の語と複合して使われることが多く、単独で使われることはほとんどない。たとえば、「こもれび(木漏れ日)」や「こぬれ(木末)」などである。
 「きのめ」「このめ」の場合、国語辞典ではどちらも見出し語として載せているものがほとんどだが、特に以下の辞典には踏み込んだ記述がある。

『明鏡国語辞典』:「このめ」は、「きのめ」よりも雅語的な言い方。
『新明解国語辞典』:(「このめ」の項に)「きのめ」の古風な表現。
『三省堂国語辞典』:(「このめ」の項に)「雅語」。

 「雅語」とは、洗練された上品な語とか、正しいとされる優雅な語といった意味である。
 また、「このめ」の方が「きのめ」よりも古い例が存在することも確かである。『日本国語大辞典』の「このめ」の例は、サンショウの新芽のことではないが、平安時代の右大将藤原道綱の母の日記『蜻蛉日記(かげろうにっき)』(974年頃成立)の
 「三月になりぬ。このめすずめがくれになりて(=3月になった。木の芽が茂ってスズメの姿が隠れるほどになり)」
という例が一番古い。「このめすずめがくれ」なんて、何とも味のある表現ではないか。
 これに対して確実に「きのめ」と読んでいる例は江戸時代のものである。
 「きのめあえ」と言ってしまった私は、上品な言い方ができないと言うことになるのかもしれないが、少なくとも間違えてはいないということがわかり、少しだけ安心したのであった。

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 埼玉県さいたま市に「見沼(みぬま)たんぼ」と呼ばれている地域がある。同市には見沼区という行政区があるのだが、その区名の由来となった場所である。ただし、「見沼たんぼ」の区域全体が見沼区に含まれるという訳ではなく、周辺の区にもまたがっているようである。「たんぼ」というのは、江戸時代に干拓によってできた新田地区であるからそう呼ばれるようになったらしい。現在も貴重な緑地として残されており、市民の憩いの場所になっているという。私自身は、以前この区域内の小学校に何度かお邪魔したことがあり、ごく一部ではあるが、どこか懐かしい田園風景を実際に見ている。
 この「見沼たんぼ」だが、さいたま市と埼玉県にそれぞれホームページがあるのだが、面白いことに「たんぼ」の表記が異なっているのである。市は「たんぼ」、県は「田圃」と。
 「田」のことをいう「たんぼ」の表記は、平仮名で「たんぼ」と書くか、「た」だけ漢字にして「田んぼ」と書くかで揺れることが多い。「田圃」と漢字で書く表記は当て字である。「田圃」と書いて「でんぼ」「でんぽ」と読むこともあるが、これは田と畑の意味である。
 「たんぼ」は、「たのも(田面)」、あるいは「たおも(田面)」の音変化かと言われている。「たのも」も「たおも」も田の表面という意味である。
 「田圃」は当て字であるうえに、「常用漢字表」に「圃」の字がないことから、「田んぼ」または「たんぼ」という表記が混在している訳である。このため小型の主な国語辞典でも漢字表記欄の扱いが以下のように異なっている。

・当て字である「田圃」だけを示している辞典:『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』
・表記欄は「田圃」で、補注で「田んぼ」とも書くとしている辞典:『岩波国語辞典』『明鏡国語辞典』
・「田んぼ」を標準的な表記とし、「田圃」を慣用的な表記としている辞典:『新選国語辞典』
・「たんぼ」を標準的な表記とし、「田圃」「田んぼ」を慣用的な表記としている辞典:『現代国語例解辞典』(ただし「たんぼ」よりも「田んぼ」の方がわかりやすいため多用されるという注記あり)

 新聞では「田んぼ」、あるいは「田」と言い換えるようにしている。辞典は必ずしも「田んぼ」派が優勢という訳ではないのだが、それでも「田んぼ」と書かれることのほうが多いのは、新聞などの影響だと思われる。
 「見沼たんぼ」に関しては、おそらく正式な表記は決められていないのであろう。だが、さいたま市も埼玉県も、もっとも多いと思われる「田んぼ」ではないところが、何か考えのあってのことなのかと、気になって仕方がない。

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 「あまりの恥ずかしさに、いたたまらない気持ちになる」
 この文章を読んでどのようにお感じになっただろうか。ひょっとすると、「いたたまらない」は「いたたまれない」の間違いではないかとお思いになったかたもいらっしゃるかもしれない。だが、「いたたまれない」も「いたたまらない」も江戸時代頃から両方とも使われていたらしく、意味や用法もほとんど区別がないようなのである。
 『日本国語大辞典』の「いたたまれない」では、江戸時代後期の人情本と呼ばれる小説の例が引用されている。

*人情本・花の志満台(1836~38)三・一七回「詰らなくなると、さア、彼奴(あいつ)めが我儘一杯(いっぺえ)を働いて、なかなか居(ゐ)たたまれねえ様にするから、忌々しさに出は出て見たが」

 一方「いたたまらない」のほうは、式亭三馬作の滑稽本『浮世風呂』(1809~13)の以下のような例である。

 「わたしが初ての座敷の時、がうぎ〔=ひどく〕といぢめたはな〈略〉それから居溜(ゐたたま)らねへから下(さが)らうと云たらの」

 『浮世風呂』のほうが成立は20年以上早いが、ほぼ同時期のものと考えていいだろう。ただ、語源を考えてみると、「いたたまらない」は「居・堪(たま)らない」、つまり「いることががまんできない」の意味だと考えられる。この「居る+たまる+ない」の「いたまらない」に、強調か口調のためにもう一つ「た」が挿入された形が「いたたまらない」だとされている。
 さらに、「たまらない」は「がまんできない」の意であるが、「……できない」の意味の場合、たとえば「止まる」が「止まれない」、「終わる」が「終われない」などと、当時から「……れない」の形となることがあるため、それに引きずられて「いたたまらない」も「いたたまれない」に変化したと考えられている。
 つまり、語源的には「いたたまらない」が元の言い方だと説明できるのである。だからというわけではなかろうが、現在でも「いたたまれない」「いたたまらない」どちらも使うが、「いたたまらない」のほうがやや古めかしい言い方に聞こえるような気がする。「いたたまれない」のほうが優勢だということはわかるのだが、小型の国語辞典では「いたたまらない」が完全に消滅してしまったわけではないのに、これを見出し語にしているものはほとんど無くなってしまった。残念なことである。

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 15,500,000 件と 333,000 件。
 なんの数だかおわかりであろうか。インターネットで「せっく」の漢字表記である「節句」と「節供」を検索した数である。前者が「節句」、後者が「節供」のヒット件数である。
 「せっく」とは、人日(じんじつ=一月七日)・上巳(じょうし=三月三日)・端午(たんご=五月五日)・七夕(たなばた=七月七日)・重陽(ちょうよう=九月九日)のことである。
 インターネットでなぜわざわざこのようなことをやってみたのかというと、「節句」の表記がどの程度広まっているのか知りたかったからである。インターネット上の検索であるので、この数字をうのみにすることはできないが、想像以上に「節句」が使われていることがわかる。
 それも無理もないことで、新聞では「節供」を「節句」と書き換えているからである。たとえば時事通信社の『用字用語ブック』でも、

せっく(節供)→節句~桃の節句

とある。これはかっこ内の表記、すなわち「節供」は原則として使わず、矢印で示した「節句」を使うようにという指示である。
 だが、「せっく」は古くは「節供」と書かれていたのである。そのため、「節供」とは季節の変わり目にあたって祝いを行う節日(せちにち)に、供御(くご=飲食物)を奉るのを例とするところから発した名称だと考えられている。
 室町時代以前の用例は、その時代の辞書類も含めてほとんどが「節供」で、「節句」の表記は現時点では見つけられない。ところが江戸時代になると「節句」の用例が急激に増え始める。だが、残念ながら何がきっかけでそうなったのかはわからない。
 現在「節句」が優勢になっているのは、おそらく「常用漢字表」の「句」のところに語例として「節句」が挙げられているからであろう。これは1973(昭和48)年に告示された「当用漢字改定音訓表」の内容を踏襲したものである。「供」も常用漢字ではあるのだが、「節供」の表記例がないところを見ると、「節句」の表記を優先させるという判断があったのであろう。
 新聞は「節句」にしていると書いたが、国語辞典では見出しの表記欄で「節句」「節供」を並列して示しているものが多い。ただ、最近の辞書では「節句」を先に示しているものが増えている。そんな中で、『新明解国語辞典』は「節供」を見出し欄に掲げず、解説のあとに「本来の用字は『節供』」だとして、独自路線を歩んでいる。

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