第192回
掬(すく)われるのは「足」か?「足もと」か?

 すきをつかれて、思いがけない手段で失敗させられることを、「○を掬(すく)われる」と言うが、○に入る語は何か?
 またしてもクイズのような書き出しになってしまったが、正解はというと「足」である。ところが、文化庁が発表した平成19(2007)年度の「国語に関する世論調査」では、「足をすくわれる」を使うという人が16.7パーセント、本来の言い方ではない「足もとをすくわれる」を使うという人が74.1パーセントと、圧倒的に「足もと」派が多かったのである。
 いったいなぜ本来の言い方ではないとされる「足もと」派が多数を占めているのであろうか。ただの言い間違い、誤用であると言ってしまえばそれまでなのだが、ことはそれほど単純ではなさそうなのである。
 従来この語は、足を払うようにして支えを失わされるという意味から生じた言い方なので、「すくわれる(=横に払われる)」のは「足」であって「足もと」ではないと説明されてきた。だが、「足もと」にも「足のあたり」という意味だけではなく、「足の下部」という意味が存在するのである。その用例は『日本国語大辞典 第2版』によれば平安時代から見られ、近代の例だが「慄(ぞっ)と足元から総毛立ちまして」(三遊亭圓朝『怪談牡丹燈籠』1884年)などというたいへんわかりやすい用例もある。
 その『日本国語大辞典 第2版』によれば、「足をすくわれる」の用例で最も古いのは、1941年に発表された、文芸評論家岩上順一の以下のような用例である。
「なによりも大切な心構へは一体どんなことであらうか。それは現実に足をすくはれない生命の構へを築くことであらう」(岩上順一『文学の饗宴』1941年)
 では「足もとをすくわれる」の用例はどうであろうか。この言い方自体が辞典では認められていないため、『日本国語大辞典 第2版』にはその例は無い。だが、劇作家で詩人でもあった三好十郎の『廃墟』という一幕物の戯曲の中にこんな例があったのである。
「三平:(スッカリ酔って)ヒヒヒ、えらい所で、足もとをすくわれたねえ。」(三好十郎『廃墟』1947年)
 この戯曲が発表されたのは1947年なので、『文学の饗宴』の「足をすくわれる」例と、わずか6年しか違わない。
 もちろん三好十郎のこの例を誤用だと見なすことも可能であろうし、この例だけで判断するのは早急過ぎるということもじゅうぶん承知している。だが、「足もと」には「足の下」という意味も古くからあるわけで、「足もとをすくわれる」を本来無かった言い方、あるいは誤った言い方だと決めつけてしまうのも危険な気がするのである。

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