第212回
「舌の○の乾かぬうちに」

 第210回に続き「舌」の話である。
 前に言ったことがらに反することを、すぐに言ったり、行ったりするときに、非難の気持ちを込めて「舌の○の乾かぬうちに」と言うことがある。この○の部分に入る1字の漢字は、皆さんは何だとお思いだろうか。
 正解は「根」である。つまり、「さんざん謝罪をしておいて、舌の根の乾かぬうちに、もううそをつく」などのように使う。ところが最近これを、「舌の先の乾かぬうちに」と使う人が増えてきているらしい。
 文化庁が発表した2006(平成18)年度の「国語に関する世論調査」でも、本来の言い方である「舌の根の乾かぬうちに」を使う人が53.2パーセントとかろうじて過半数は超えているものの、従来なかった言い方「舌の先の乾かぬうちに」を使う人が28.1パーセントという結果が出ている。世代的に見ると、本来の言い方を使うという人の率は年齢が高くなるとともに高くなり,40代では6割台半ばに達するのだが、どうしたわけか、50代,60歳以上では,5割台前半から5割台半ばに下がってしまう。しかも、本来の言い方ではない「舌の先の乾かぬうちに」が,16~19歳,50代,60歳以上で3割台と多くなっているのである。
 このような調査で毎回気になることがある。筆者も属する50代以上に、従来なかった言い方(人によっては誤用と言う人もいる)をするという人が増加する語があるというのは、いったいどうしたわけなのであろうか。この世代には若者のことばの乱れを指摘する人が比較的多い気がするのだが。言語形成期の教育に何か問題があったのであろうか。はたまた単に使わなくなって忘れてしまっただけなのであろうか。
 だが、「舌の根の乾かぬうちに」の場合はちょっと別の問題がありそうだ。それは何かというと、「舌の先」だと思っている筆者と同世代の人たちを擁護しようというわけではないのだが、絶対に「舌の根」でなければ間違いだという根拠はどこにもないのである。
 なぜそのようなことが言えるのかというと、『日本国語大辞典 第2版』の用例を見る限り、「舌の根の乾かぬうちに」はそれほど古い言い方ではないからである。その用例は、明治時代になってからの歌舞伎の用例が現時点では初出である(『日本国語大辞典 第2版』では補注で「人情本・清談若緑」に見える「その舌の根もひかぬ(=乾かない)うち」という用例も紹介しているが、これは19世紀中ごろ、つまり幕末の用例である)。
 ところが、同じ意味の言い方に「舌も乾かぬ所(ところ)」という言い方もあり、こちらのほうは、もっと古い1766年刊行の浮世草子『諸道聴耳世間猿(しょどうききみみせけんざる)』(上田秋成作)の用例が存在するのである。
 これらの用例からすぐに結論を導き出すのは危険かもしれないが、本来は単に「舌」だけで使われていて、のちにそれを強調する意味合いを込めて「舌の根」という言い方が生まれたのではないか。
 「舌の先の乾かぬうち」は、前回取り上げた「舌先三寸」との混同で生まれたのかもしれないが、少なくともそれを頭から否定する根拠は存在しないのである。

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