第230回
「食指が動く」

 「食指(しょくし)が動く」という言い方をお聞きになったことがあると思う。だが、最近「食欲をそそる」との混同からか、「食指をそそる(そそられる)」という人が増えているらしいのだ。文化庁が発表した2011(平成23)年度の「国語に関する世論調査」でも、本来の言い方である「食指が動く」を使う人が38.1パーセントであるのに対して、本来の言い方ではない「食指をそそられる」を使う人が31.4パーセントというかなり拮抗(きっこう)した結果が出ている。しかも、10代と50代では「食指をそそられる」を使う人の割合のほうが多いという逆転した結果が報告されているのである。私と同世代の50代は、いったいどうしたのだろうか。
 「食指」とは人さし指のことで、「食指が動く」は中国の『春秋左伝』(中国、魯(ろ)の歴史を書いた『春秋』の解釈書)という書に見える故事による。中国、鄭(てい)の子公(公子宋(こうしそう))が、人さし指が動くのを見て、これはごちそうにありつける前兆だと言ったというのである。そこから、食欲が起こるという意味になり、さらに転じて、ある物事に対し欲望や興味が生じるという意味になった。
 ところで、「食指をそそる」という人が50代に多いと書いた。もちろん「食欲をそそる」との混同が最大の原因であろうが、私はそれだけでなく新聞や雑誌の主に経済関係の記事の見出しも影響しているのではないかとにらんでいる。たとえば「A社、○○事業売却へ/B社など食指か」といったようなたぐいのものである。「食指を動かすか」ではなく「食指か」で、興味を示しているということを表現しようとしているわけで、見出しの書き方としてわからぬでもないのだが、やはり無理がある気がする。このような中途半端な使い方が蔓延すると、本来の言い方が忘れさられてしまうのではないかと危惧(きぐ)される。正しい日本語を後世に残すためにも、見出しといえども省略などせずにきちんと書いてもらいたいと思うのである。

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