第257回
「上(うえ)○下(した)への大騒ぎ」

 まずは問題から。表題の○の部分に入る仮名1字を答えなさい。こんな設問があったとすると皆さんは何と答えるであろうか。
 答えは「を」である。だが「や」と答えたかたもけっこう多いのではなかろうか。
 というのも、文化庁が発表した2006(平成18)年度の「国語に関する世論調査」でも、本来の言い方である「上を下への大騒ぎ」を使う人が21.3パーセント、従来なかった言い方「上や下への大騒ぎ」を使う人が58.8パーセントと、逆転した結果が出ているからである。しかも本来の言い方ではない「上や下への大騒ぎ」を使うという人の割合は年齢が高くなるとともに高くなり、30代以上で5割を超え、60歳以上では何と6割台半ばに達するのである。
 なぜこのようなことになったのか。おそらくこの語を日常語として使うということが減っているからではなかろうか。確かにふつうに聞くことばではなくなっている。だが、年代が上になるにつれ従来なかった言い方をするという人が増えるという結果は、意外であるし、気になって仕方がない。
 「上を下へ」というのは、元来は、上のものを下にし、下のものを上にするという意味の「上を下へ返す」から生まれた言い方である。そこから、入り乱れて混乱するさまという意味に派生する。
 元々の「上を下へ返す」の用例も古くからあり、たとえば、保元(ほうげん)元年(1156)に起こった保元の乱の顛末を描いた『保元物語』や、鎌倉末から南北朝時代を描いた『太平記』などの軍記物語によく見られる。一方、「上を下へ」の用例はそれよりもやや新しい。
 「上を下へ」は「上を下へ返す」が原形だと覚えていれば、「を」を「や」と間違えることはないかもしれない。
 蛇足ではあるが、私はこのことばを手塚治虫の『上を下へのジレッタ』という漫画のタイトルで覚えた。手塚漫画は私にとって日本語の教科書のひとつだったのである。

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