第292回
「かきいれどき」

 「暮れのかきいれどき」というときの「かきいれどき」の表記だが、どう書くかわからなくても、パソコンのワープロソフトを使えば、正しく「書き入れ時」と変換してくれるだろう。だが、もしそのソフトがなかったら、「書き入れ時」という表記をすぐに思い浮かべることができるだろうか。ひょっとすると、間違って「掻き入れ時」などと書いてしまうかもしれない。
 そもそもなぜ「書き入れ時」と書くのが正しいのかご存じだろうか。「書き入れ時」と書くのは、商店などで売れ行きがいいため帳簿の書き入れに忙しい時だということから生まれた語だからである。
 これをつい「掻き入れ時」と書きたくなってしまうのは、「かきいれ」を、もうけをかき集めるという意味だと解釈したからだと思われる。気持ちはわからないでもないが、語の成り立ちを考えれば間違った解釈である。
 「かきいれどき」は主に表記のことが問題になる語なので、正しい表記さえわかればそれで話が終わってしまうのだが、それでは曲がないので、さらに少しだけこの語に関しての薀蓄(うんちく)をご披露しようと思う。
 「書き入れ時」は現在では意味が広がって、もうかるときだけでなく、商売に忙しいときや、仕事が集中するときの意味でも使われる。だか、本来の意味は、現代語の意味とは若干異なり、利益が最も期待されるときというものだったのである。つまり、期待とか目当てとかいった意味合いが強かったわけである。ただ現在の辞典では、そういった意味は『日本国語大辞典』(日国)のような、古語と現代語を網羅した辞典は別として触れていない。
 たとえば、『日国』では「書き入れ」にこんな用例が引用されている。

*雑俳・柳多留拾遺(1801)巻七「旅迎へこれ書入れの一つなり」

 「旅迎へ(え)」は旅から帰ってくる人を途中まで迎えに行くことをいう。これは決して親切心からそのようにしていたわけではない。「旅迎え」に行く場所はというと、江戸に入る最後の宿場となる品川、板橋、千住などであったが、ここには飯盛女と呼ばれる遊女がいたのである。「書入れ」は「期待」「当て」と同義である。
 また、「書き入れ時」ではなく「書き入れ日」ということばもあった。

*東京年中行事(1911)〈若月紫蘭〉七月暦「入口の茶屋や花屋は流石に一年中の書入日とて、お墓参りの客を迎ふる準備をさをさ怠りなく」

 お盆の時期のもうけを期待して、墓地の入り口に店を構えた茶屋や花屋が客を迎える準備を怠りなくしているというのである。
 「書き入れ時」も「書き入れ日」も、目当てにしたり期待をしたりする時期というのが本来の意味であったが、これが利益が期待できる時期という意味になり、さらには利益が上がる時期、忙しい時期と意味が変化していったものと考えられる。

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悩ましい国語辞典
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