第298回
「町工場」を何と読む?

 池井戸潤さんの『下町ロケット』という、下町の「町工場」の技術力の高さを描いた小説をお読みになった方は大勢いらっしゃると思う。あるいは小説は読んでいなくても、話題になったテレビドラマはご覧になったという方ならいらっしゃるかもしれない。
 小説やドラマをご覧になった方は何を当たり前なことをとお思いになるかもしれないが、皆さんは「町工場」を何と読んでいるだろうか。
 正解は「まちこうば」である。もちろん「まちこうじょう」と読んでも決して誤りとは言えないのだが、従来「まちこうば」と言い習わしていて、国語辞典の見出し語も「まちこうば」だけである。
 「工場」は「こうば」とも「こうじょう」とも読めるのだが、どう読むかでニュアンスに違いがある語の一つである。「こうば」と読むと「こうじょう」にくらべて小規模で、あまり機械化が進んでいないような印象を受けるのではないだろうか。したがって「まちこうば」は、町なかにある規模の小さい工業施設ということになるであろう。
 「工場」のようにひとつの熟語に対して二通り以上の読み方をする語を、同形語、同字異音語、同字異義語などと言うのだが、その読み方が音読みか訓読みかといった違いがある場合は、音読みの方が大きい、かたいなどといった印象を与える場合が多い。「工場」の場合、「こう」は音読みなので「場」を音で「じょう」と読むか、訓で「ば」と読むかという違いなのだが、同じような関係にある語に「市場」(「しじょうか」か「いちば」か)などがある。また、「上手」のように、「かみて」と読むか、「うわて」と読むか、あるいは「じょうず」と読むかで意味の全く異なる語もある。
 「こうじょう」と「こうば」は、ともに明治時代から見られる読みだが、当時現在のショッピングモールのような「勧工場(かんこうば)」と呼ばれる商業施設があったため、それとのまぎらわしさを避けるため、「こうじょう」のほうが一般的な言い方になっていったらしい。ただし、「勧工場」の「勧工」は工業の発展をすすめ励ますという意味で、「かん/こうば」ではなく「かんこう/ば」と切るのが正しい。
 書籍版の辞書では同形語を見つけるのはけっこう難しかったのだが、電子辞書によってかなり楽に探せるようになった。そして、これこそ電子辞書ならではの楽しみ方の一つでもある。お手元に電子辞書や辞書のアプリがあったら、他にどのような語があり、それらが読みの違いによって意味もどう変わるのか、ぜひ検索してみていただきたい。

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