第300回
「臆測」か?「憶測」か?

 2010(平成22)年に「常用漢字」が改定され、新たに196字の漢字が追加された。この「改定常用漢字表」には辞書編集者として疑問に思うことが多々あり、それについて別のところで書いたことがある(「国語辞典の困惑―常用漢字表をとりあげる」国文学 解釈と鑑賞2011年1月号)。
 その中で、新たに「臆」という漢字が加わったことにより、もともと常用漢字であった「憶」との区別が難しくなるのではないかということを書いた。すると、実際にそれを裏付けるような調査結果が、昨年秋に発表された文化庁の2014(平成26)年度の「国語に関する世論調査」で示されてしまったのである。
 私が危惧(きぐ)したのは、以下のようなことに関してである。
 新たに加わった「臆」という漢字の語例の欄を見ると、「臆説」「臆測」「臆病」といった熟語が示され、さらに備考欄には『「臆説」,「臆測」は、「憶説」,「憶測」とも書く。』という注記が添えられている。確かに、「臆説」,「臆測」と「憶説」,「憶測」は同じ意味であるが、改訂前の「常用漢字表」には「憶」はあっても「臆」がなかったため、通常は「憶○」で代用されることが多かった。そのため「改定常用漢字表」以前の辞書では漢字表記の欄は「憶測(臆測)」「憶説(臆説)」のように「憶測」「憶説」を優先させて表示してきた。ところが「改定常用漢字表」準拠をうたった辞書では、「憶測・臆測」「憶説・臆説」と二つの表記を同等で併記しなければならないことになる。
 だが長年の経験から言うと、一般の読者はどちらでもいいといった曖昧なものはあまり望んでいないことが多い。できれば「改定常用漢字表」では、「臆」には「憶」にない気後れするという意味があるので、「臆病」に使われることが多いという注記にしてほしかった、という内容である。
 こんなことを書いたのは、無用な混乱をできる限り避けるようにしてほしいという思いがあったからである。
 ところが「国語に関する世論調査」では、「おくそくで物を言うな。」という文で、「 (a)臆測/(b)憶測」のどちらを使うかという設問に対して、(a)を使うほうがいい 24.2%/(b)を使うほうがいい 65.9%/どちらを使ってもいい 3.6% という結果となったのである。
 つまり、この調査を見る限り。新しい常用漢字表で示された、「どちらでもいい」と考えている人は極めて少ないことがわかる。そして従来派の「憶測」と書くという人のほうが圧倒的に多く、「臆測」と書くという人はかなり少ないのである。常用漢字表で改定した内容は、5年以上経っても、いまだに浸透していないと言うことなのかもしれない。
 私は漢字数を追加して、従来なかった漢字の読みを加えただけの常用漢字表の改定は必要だったのだろうかと今でも思っている。むしろ、国際語としての日本語という観点から、外国人にも使いやすい改定こそ常用漢字表に望まれることなのではないだろうかと思うのである。
 だが、残念ながらそうした配慮はほとんど見受けられない。

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