第317回
「負けず嫌い」はおかしな言い方か?

 「あんな負けず嫌いな人はいないね」などと言うときの「負けず嫌い」だが、よくよく考えてみるとおかしな言い方だと思ったことはないだろうか。「負けず」と打ち消しの形なのだから「負けないのが嫌い」ということで、「負けるのが好き」という反対の意味になってしまうのではないかと。
 国語辞典ではふつう「負けず嫌い」は、「負け嫌い」「負けじ魂」などの混交かとしているものが多い。確かに、「負け嫌い」という語は江戸時代から存在することが『日本国語大辞典』(『日国』)で確認できる。ただしその『詞葉新雅(しようしんが)』(1792年)という江戸時代の辞書の例は、「マケギライ 物ねたみする人」とあり、意味が若干異なるのだが。夏目漱石も、小説『坊っちゃん』(1906年)の中で、「山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌な大きな声を出す」と使っている。
 一方、「負けじ魂」は、他人に負けてはならないと奮い立つ気持ちのことだが、面白いことに「負けず魂」という例もある。
 だが、この国語辞典では主流とも言える「負けず嫌い」の「負け嫌い」「負けじ魂」混交説に異を唱えた方がいらっしゃる。
 『日本語とタミル語』で有名な日本語学者の故大野晋氏である。氏は、「負けず嫌い」の「ず」は打ち消しの助動詞ではなく、意思を表す文語表現「むとす」が「むず」→「うず」→「んず」と変化し、江戸時代になって成立した「ず」であるとしたのである(『大野晋の日本語相談』)。
 この「ず」は意志や推量の意で、たとえば、江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』(1814年)にある「すいた男に添せずとおもひきはめ」の「添せず」の「ず」がそれである。この場合は「添わせよう」という意味の駿河方言である。大野氏は、この「ず」はさらに中部地方や関東地方の一部、島根県にも方言として残っているとしている。
 この「ず」だと考えると、「負けず嫌い」は「負けようとすることが嫌い」、つまり「負けるのが嫌い」ということになりそうである。
 もちろん私にはこの大野説の適否を云々できる見識も知識もないし資格もないのだが、『日国』を見る限り、「負けず嫌い」の江戸時代の例は見当たらず、現時点の初出の例が中勘助の小説『銀の匙』(1913〜15)の「負けずぎらひの私とくやしがりのお薫ちゃんとのあひだには」と、かなり新しい点がいささか気になっている。
 いずれにしても「負けず嫌い」は確かに不思議な言い方ではあるが、ふつうに定着している言い方ではあるので、もちろん間違った言い方ということはできないであろう。

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