第321回
油断も隙も“ない”のか“ならない”のか?

 先ずは以下の文をお読みいただきたい。夏目漱石の『吾輩は猫である』の一節である。

 「ほんとに此頃の様に肺病だのペストだのって新しい病気許(ばか)り殖(ふ)えた日にゃ油断も隙(すき)もなりゃしませんのでございますよ」(二)

 いかがであろうか。オヤ?と思いになったことはないだろうか。冒頭でなぜこの一節を引用したのかというと、「油断も隙もなりゃしません」の部分に注目していただきたかったからである。
 お手元に国語辞典があったら、「油断」という語を引いていただきたい。おそらくその子見出し、あるいは例文に「油断も隙も……」という表現が載せられていると思うのだが、その「……」の部分をよく見ていただきたいのである。ほとんどの辞典はその部分は「ない」となっていて、「油断も隙もない」の形で示されているはずである。
 だが、この『吾輩は猫である』の例はというと、「油断も隙もなりゃしません」つまり「油断も隙もならない」の形なのである。だが、もちろんこれは漱石独自の用法ではない。「油断も隙もならない」の用例は、江戸時代に大田全斎という儒学者が編纂した国語辞書『俚言集覧』(1797年以降成立)にも掲載されていて、現時点ではこれがもっとも古い例だと言える。
 一方、「油断も隙もない」の使用例は、『日本国語大辞典』(『日国』)を見る限り明治時代以降のものだけなのである。そのいちばん古い例は、田山花袋の小説『妻』(1908~09)の「机を並べた人々が、皆なかれの敵で〈略〉油断も隙も無いやうに思はれる」という例である。
 だとすると、「油断も隙もならない」が古い形で、明治後期以降「油断も隙もない」が優勢になっていくと言えるのかもしれない。現代語が中心の国語辞典は、『大辞泉』『広辞苑』『大辞林』も含めて、「油断も隙もない」の形しか載せていない。だが、『日国』は「油断も隙もならない」の用例もあることから、見出し語の形は「油断も隙もない」と「油断も隙もならない」と両形を示している。
 ちなみに「油断も隙もできない」という形で使われている例が、薄田泣菫、国枝史郎にある。バリエーションなのか、思い違いなのかよくわからず、扱いに困っている。

キーワード:

悩ましい国語辞典
―辞書編集者だけが知っていることばの深層―

「日本国語大辞典」の編集担当者を惑わすことばの不思議スリリングに揺れる日本語の深さ! 面白さ満載!
「うがった見方」は「疑ってかかるような見方」ではない/「悲喜こもごも」を合格発表の描写で使うのは誤り/「まじ! 」は、江戸時代の小説に使用例がある/スコップとシャベルはどちらが大きいか?西日本と東日本では違う/「谷」を「や」と呼ぶのは音読みでも訓読みでもない方言/「あばよ」の語源は幼児語の「アバアバ」

ジャパンナレッジとは

ジャパンナレッジは約2万冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。

ジャパンナレッジ Personal についてもっと詳しく見る