第325回
「ぬれ手でアワ」

 なんの苦労もしないで利益を得ることを「ぬれ手で粟(あわ)」という。ぬれた手で粟をつかめば、粟粒がそのまま手についてくるところからそういうのである。
 この「ぬれ手で粟」だが、1つの語の中に揺れが複数見られる、注目すべきことばなのである。
 ひとつは「粟」の部分。もちろん「粟」はイネ科の植物で、日照りに強く、やせ地でもよく育つので、かつては盛んに栽培された穀物である。この「アワ」を同音の「泡」と考え、「ぬれ手で泡」だと勘違いしている人がいるらしいのである。同音というだけでなく、水にぬれた手ということで、「泡」が連想されたのかもしれないが、やはり「粟」が正しい。
 ただしこの誤解は決して最近のものではなく、『故事俗信ことわざ大辞典』(小学館)によれば、『日本俚諺(りげん)大全』という明治後期のことわざ辞典にも「濡手で泡」の形で収録されている。『日本俚諺大全』は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト宮武外骨(みやたけ・がいこつ)が発行した風刺雑誌『滑稽新聞』に連載された記事をまとめた書物である。
 この「ぬれ手に泡」だと思っている人は、「泡と消える」との連想から、いくら努力しても実りがないことの意だと誤解していることもあるらしい。
 もうひとつの揺れは、「ぬれ手で粟」ではなく「ぬれ手に粟」という言い方である。私のパソコンのワープロソフトでは「ぬれ手に泡」と入力すると《「ぬれ手に粟」の誤用》と表示されるので、どうやら「ぬれ手に粟」の形も認めているらしいのだが、本来の言い方はもちろん「ぬれ手で粟」である。
 この「ぬれ手で粟」は、歌舞伎ファンなら、河竹黙阿弥作の『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』の登場人物お嬢吉三の名台詞でよくご存じであろう。

 「月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)の篝(かがり)も霞む春の空、〈略〉浮(うか)れ烏(がらす)のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端(かわばた)で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手で粟、思いがけなく手に入(い)る百両、〈略〉こいつぁ春から縁起がいいわえ」

という部分である。
 なお、「ぬれ手で粟」が本来の言い方だと書いたが、『日本国語大辞典』によれば「ぬれ手に粟」も明治時代の横山源之助のルポルタージュ『日本の下層社会』(1899年)に使用例がある。また、室町時代後期の資料には「ぬれ手の粟」という語形も見られる。
 こうした用例を見ていると、「ぬれ手で粟」がぜったいに正しいと言い切れるかどうか、少し自信がなくなってくる。

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