第352回
「忖度」

 先月(3月)、学校法人「森友学園」への国有地売却問題で学園理事長が国会に証人喚問されるということがあった。
 そのとき話題になったことばに「忖度」がある。
 首相の口利きがあったのかという問いに対して、学園理事長は「口利きはなかった。忖度したのでしょう」といった使い方をしたのである。この場合の「忖度した」の主語は、売却に関わった関係省庁ということであろう。だが、「忖度」という語はそれ以前にも、「政権の意向をマスメディアが忖度する」といったような使われ方をしていた。このことば自体は決してマイナスイメージのことばではないのだが、何となくそうした使われ方をされることが多くなっていて、正直言って少し残念な気分になっている。
 そもそもこの「忖度」だが、けっこう難読語だと思う。つい、「スンド」とか「ソンド」「フド」などと読んでしまいそうだ。意味は、他人の心の中や考えなどを推し量るということで、「忖」も「度」もはかるという意味である。推し量ることはあっても、それによって何か配慮をするというニュアンスのないことは、言うまでもないことである。
 『日本国語大辞典』は、「忖度」の用例の一つとして、慶應義塾の創立者である福沢諭吉の『文明論之概略』の巻之二第四章にある文章を引用している。

 「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」

 というものなのだが、前後を見ると今読んでも極めて示唆に富んだ内容のものなので、稚拙ではあるが現代語訳を添えておきたい。原文をお読みになりたいかたは、たとえば慶應義塾大学名誉教授の上田修一氏が、慶應義塾図書館所蔵の『文明論之概略』全六巻を底本として、インターネットで公開しているのでそちらをご覧いただきたい。

 人の心の働きはたくさんの事柄から成り立っていて、朝は夕方と異なり、夜は昼と同じではない。今日は徳行のそなわった人でも明日は徳のない品性の卑しい人になり、今年敵だった者が来年には友達になるかもしれない。人の心の働きが時機に応じて変化することは、それが現れれば、ますます思いがけないこととなるのである。幻や魔物のようで、あれこれ考えをめぐらすことも、推し量ることもできない。他人の心の中を推察できないのはもとより言うまでもないことだが、夫婦親子間でもお互いにその心の働きを推し量ることはできない。単に夫婦親子だけでなく、自分の心をもってしても自分自身の心の変化を思い通りにすることはできない。いわゆる「今吾は古吾に非ず(=今の自分は昔のままの自分自身ではない)」というのがこれである。その実態はあたかも晴雨の天候を予測できないのと同じようなものである。

 いかがであろうか。つたない訳文で恐縮なのだが、人の心をあれこれ推し量ることの困難さ、無意味さ、さらに言えばそうすることの愚かしさを語っていると思われる。私自身もそうだが、耳の痛い人も大勢いるのではないだろうか。
 繰り返すが、「忖度」には、他人の心を推し量るという意味だけで、そうした上で何か配慮をするという意味はない。ところが、本来なかったそうした意味が付け加わっているような兆候が感じられる。辞書編集者としてはそれが気がかりなのである。

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悩ましい国語辞典
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「うがった見方」は「疑ってかかるような見方」ではない/「悲喜こもごも」を合格発表の描写で使うのは誤り/「まじ! 」は、江戸時代の小説に使用例がある/スコップとシャベルはどちらが大きいか?西日本と東日本では違う/「谷」を「や」と呼ぶのは音読みでも訓読みでもない方言/「あばよ」の語源は幼児語の「アバアバ」

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