第357回
「色をな」してどうするのか?

 先ずは以下の文章をお読みいただきたい。『丹下左膳(たんげさぜん)』で有名な林不忘(はやしふぼう)の『稲生播磨守』(1935年)という作品の一節である。

 「奎堂は追い詰められたごとく、やむなく矢沢の耳へ何ごとか私語ささやく。矢沢は卒然として色をなし、にわかに恐怖昏迷の体。」

 この文章のどこに注目していただきたいのかというと、「色をなす」という語についてである。この語は、国語辞典を見ると、顔色を変えて怒るという意味だと説明されている。たとえば、「色をなして反論する」などと使われるが、これは血相を変えて、つまり顔色が変わるほど怒って反論するという意味である。
 だが、冒頭で引用した『稲生播磨守』では、怒りからではなく、どうやら驚き恐れて顔色が変わるという意味で使われているようなのである。
 「色」は、この場合は色彩のことではなく、表面にあらわれて人に何かを感じさせられるものをいい、「色をなす」の「色」は気持ちによって変化する顔色や表情のことである。「なす」は漢字で「作す」と書く。
 たとえば『日本国語大辞典』で引用している、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905~06)の、

 「只他(ひと)の吾を吾と思はぬ時に於て怫然(ふつぜん)として色を作す」

が本来の使われ方である。「怫然」はむっとして、という意味である。
 冒頭の例の場合は、「色をなす」ではなく「色を失う」というべきものである。「色を失う」は、驚いたり恐れたりして顔色が青くなるということから、意外な事態になってどうしてよいかわからなくなるという意味で使われている。
 「色をなす」の意味を「色を失う」と混同している人はけっこういるようで、他にもそのような使用例を目にすることがある。もちろんそのような混同した意味を辞典に載せることはできないのだが。

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