第365回
「国難」とはどういう語か?

 9月28日に安倍総理が衆議院を解散させるにあたり、「国難突破解散」と述べたので、「国難」ということばががぜん注目されるようになった。

 そこで本コラムでも、この「国難」という語について述べておこうと思う。と言っても、この解散をそのように命名することの是非を論じようというわけではない。あくまでも、「国難」ということばについてである。

 私自身はなぜか「国難」ということばを聞くと、真っ先に「元寇(げんこう)」を思い浮かべる。「元寇」とは鎌倉時代にあったモンゴル(元)の日本来攻のことであるが、最近では「モンゴル襲来」とか「文永・弘安の役」とかいうことの方が多いようだが。

 なぜ「国難」からそのような連想が働くのか長い間わからなかったのだが、最近になってこれだったのかもしれないというものを見つけた。軍歌の『元寇』である。

 作詞作曲・永井建子(ながいけんし)のこの軍歌は明治25年(1892年)に発表された。作者は男性である。この歌の一番に「四百余洲をこぞる十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃」とある。別に軍歌好きというわけではないのに、なぜこの歌を知っているのか謎なのだが、ひょっとすると大正生まれの親が歌っているのを聞いたことがあったのかもしれない。

 もちろん、「国難」という語が使われるようになったのは明治以降のことではない。『日本国語大辞典(日国)』の例は、江戸時代の曲亭馬琴作の読本『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』(1807〜11)のものが最も古い。だが、実はそれよりもかなり古い、『碧山日録』の応仁2年(1468年)5月20日の、


 「嘆国難起、而叢規不行、且諸荘恒産不納也」


という例が存在する。『碧山日録(へきざんにちろく)』は室町時代中期の東福寺の僧太極(たいきょく)の日記である。応仁2年というのは応仁の乱が起こった翌年にあたる。「国難おこって叢規行われず、かつ諸荘の恒産を納めざるをなげくなり」と読むのであろうか。「叢規」は禅宗寺院の規則、「諸荘」は各地に存在する荘園、「恒産」は恒常的に入ってくる作物や金銭のことである。応仁の乱はまさに国難であろう。

 ただ、「国難」という語が頻繁に使われたのは、明らかに明治になってからである。それは、慶応3年(1867年)12月9日に発せられた「王政復古の大号令」に、「抑(そもそも)癸丑(みずのとうし)以来、未曾有(みぞう)之国難」とあることによるのかもしれない。

 以後、第1次世界大戦後の経済不況と革命運動の登場を「経済国難」「思想国難」と呼んだり、神社で「国難打開」を祈願したりするなど、さまざまな場面で「国難」という語が使われるようになる。

 昭和7年(1932年)には、大阪毎日新聞(毎日新聞の前身)の懸賞募集で寄せられた詩(中川末一作詞)に山田耕筰が曲をつけた、『国難突破日本国民歌』という歌曲まで生まれた。ここで「国難突破」の形で使っている点にも注目したい。

 「国難」は辞書的に説明すれば、国の災難、危機という意味で、このことばそのものには何の色もついていない。だが、このことばがかつてファシズムが台頭する中で盛んに使われたということは、もちろん国語辞典には記載できないことではあるが、忘れてはならないと思うのである。



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