第371回
「命の洗濯」

 「命の洗濯」というと、ひょっとすると風呂に入ることだと思っている人がいるかもしれない。もちろん入浴もそうではあるが、もっと広い意味で、平生の苦労から解放されて、寿命がのびるほど思う存分に楽しむことをいうのである。
 ことばのもつイメージとしては、何となく最近のことばのようだが、実は江戸時代から使われている。
 その証拠に江戸時代のことわざ辞典にも載せられていて、江戸末期の国語辞典『俚言集覧(りげんしゅうらん)』には、井原西鶴(さいかく)の浮世草子『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』(1682年)に出てくると記されている。そしてその『俚諺集覧』の解説が面白い。

 「久ぶりにて魚類美味を喰たる時にかくいふ」

 確かにおいしいものを食べることも命の洗濯になるかもしれないが、それだけではなかろう。これは『俚諺集覧』の編者の、儒学者で福井藩士でもあった太田全斎(1759~1829)の主観なのだろうが、ひょんなことから全斎の人柄が読み取れるようで、なんだかうれしくなってくる。
 話がそれたが、『好色一代男』にあるというのは、

 「さて今日よりは色里の衣装かさね、これをみる事命のせんだく」(巻七・新町の夕暮れ島原の曙)

 という部分である。
 「色里の衣装かさね」のいうのは、菊の節句(9月9日)に遊郭の高級遊女たちが着物や持ち物などを披露することで、これを見物するのは「命の洗濯」だといっているのである。遊女たちが各自の全盛を競い合った行事だったようで、華やかなものだったのであろう。
 「洗濯」が「せんだく」になっている点にも注目していただきたい。「洗濯」は古くは「せんだく」と濁って発音されていた。日本イエズス会がキリシタン宣教師の日本語修得のために刊行した辞書『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603~04)にも、「センダク」のほうが「センタク」よりも良い言い方であると記されている。ひょっとすると今でも西日本出身の方の中には、「センダク」と言っているかたがいらっしゃるかもしれない。
 いずれにしても江戸時代では、男が「命の洗濯」をするのは、どうしても遊郭ということになっていたようだ。そのため、「命の洗濯講(せんだくこう)」などと称して、それぞれが割り前を出し合って講をつくり、遊郭に行くということが、浮世草子の『傾城色三味線』(1701)に出てくる。
 ちなみに、私の「命の洗濯」はというと旅行に行って、その地方の銘酒を飲みながら「魚類美味」を味わうことであろうか。ちょうど200年前に生きた、『俚諺集覧』の編者とあまり変わらないかもしれない。

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