日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第482回
「阿婆擦(あばずれ)」の「あば」って何?

 あまりいいことばではないが、悪く人ずれがして、厚かましい女性を罵るときに使う「あばずれ」という語がある。
 「ずれ」は、「すれっからし」などの「すれ」だということはわかる。だが、「あば」は何なのだろうか。実はよくわからない、謎のことばなのである。
『日本国語大辞典(日国)』の「語源説」欄を見ると、以下の3つの語源説が紹介されている。

 (1)アバレ者から出た語〔両京俚言考〕。
 (2)オ場ズレの転か、または世話ズレの上略か〔大言海〕。
 (3)アバは中国語の、父母と同列以上にある血族関係の婦人をいう阿婆から。これに擦れからしのスレをつけたもの。または悪場ズレの略か〔すらんぐ=暉峻康隆〕。

 また、やはり『日国』では、次のような例が引用されている。

*楽屋図会拾遺〔1802〕下「あばつれ是は伊勢の方言にして、実は阿波蹉(あはすれ)なり。阿州の人勢州に至り逗留の内古市にあそび酒興のたわむれもよく人にすれたるをもって此里にて阿波蹉と呼しなり。あばずれとはあやまり也」

 『楽屋図会拾遺(がくやずえしゅうい)』は、大坂の浮世絵師松好斎半兵衛 (しょうこうさいはんべえ)が書いたもの。これによれば、「あばずれ」は伊勢国(三重県)の方言だというのだ。しかももともとは「阿波(あわ)すれ」で、阿波国(徳島県)の人が伊勢の歓楽街古市に来て、人に乱暴を働いたことを言った語だという。つまり「あば」は、「阿波」だというのだ。阿波国の人には聞き捨てならないだろうが、江戸時代にはそのような説もあったのかもしれない。
 その真偽は別として、『日国』では、さらに

 「『楽屋図会拾遺』の流行語の項に『あばつれ』があり、また、『大坂繁花風土記』の『今世はやる詞遣ひ』の一つに挙げられており、享和・文化期の流行語であることが分かる」(語誌欄)

と説明している。
 『楽屋図会拾遺』は享和2年(1802年)の刊行で、『大坂繁花風土記(おおざかはんかふどき)』は砭泉老人(へんせんろうじん)の著で文化11年(1814年)の序があるため、「享和・文化期の流行語」としたのだろう。だが、『日国』には江戸時代のものだが、享和以前の例も引用されているので、ことば自体は享和・文化期に生まれたわけではなさそうだ。
 「あば」は『すらんぐ』(暉峻康隆(てるおか・やすたか))が述べているように、「アバは中国語の、父母と同列以上にある血族関係の婦人をいう阿婆から」という気もしないではないが、漢字ではふつう「阿婆」と書くものの、どうやらこれは当て字らしい。また、『日国』には、「あばずれ」は「古くは男女ともにいった」とあり、確かに引用されている用例は、男について使っている例もあるので、女性と限定することはできないだろう。
 だとすると、『すらんぐ』がもう一つ挙げている「悪場ズレ」や、『大言海』のいう「オ場ズレ(「オ」はおそらく悪の意味だろう)」という説のほうが、可能性がある気がする。根拠はないのだが。

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