第70回
貧すればドンする

 ここで漢字の書き取りの問題をひとつ。
 「表題の片仮名の部分を漢字で書きなさい」
という問題があったとすると、みなさんはどんな漢字を書くだろうか。
 正解は「鈍」である。
 そんなの当たり前じゃないかとおっしゃる方も大勢いらっしゃるであろう。ところが、「鈍」ではなく「貪」と書く人がけっこういるということをご存じだろうか。
 「貧すれば鈍する」というのは、「貧乏になるとその性質や頭の働きまでも愚鈍になる。」(『日国』)という意味で、「鈍」は「愚鈍」の「鈍」すなわち、無知で間抜けなという意味である。
 なぜ、その「鈍」が「貪」になってしまうのかというと、このことわざには貧乏するとどんな人でもさもしい心をもつようになるというニュアンスもあるため、「ドン」は「貪欲」の「貪」、つまり欲の深いということだと考えてしまうらしいのだ。 
 もちろん、「貪する」は明らかに間違いなので、辞書にそのような表記を載せるわけにはいかない。しかし、「貧」と「貪」はひじょうによく似た漢字なので、それを並べて作られたことわざだとつい思わせてしまうところがまたくせ者なのである。
 実際にそのわな(?)にはまってしまった作家がいる。太宰治である。
 太宰には、
 「田舎者だって何だって金持ちなら結構、この縁談は悪くない、と貧すれば貪(どん)すの例にもれず少からず心が動いて」(『新釈諸国噺』「女賊」)
のような「貪する」の用例が少なくとも2例確認できる。
 太宰の例があるからといっても当然のことながら辞書には登録できないが、そうできないのが残念なほどよくできた誤用だと思う。

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