季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

仲夏―其の一【鮎(あゆ)】

日本の淡水魚でいちばん食べられているのは鮎。河川における全漁獲量の四分の一を占める。昔から最も日本人に親しまれてきた淡水魚である。日本の国魚ともいっていいような魚だが、日本特産というわけではない。朝鮮半島、中国の中・南部、台湾にも棲んでいて、たとえば中国の渤海に注ぐ川では、鯊(はぜ)や鮠(はや)に混じって鮎もとれていたが、これまではそれらといっしょに雑魚として売られていた。ところが日本人が鮎を賞味することを知って、鮎だけを分けて売るようになったという。

しかしその中国で鮎(中国音でニューン)と書けば鯰(なまず)をさす。中国では鮎は香魚(中国音でシャンユイ)という。日本の「鮎」は国字で、これをアユと読むようになったのは「日本書紀」や「筑前国風土記」が伝える神功皇后の故事による。朝鮮半島の新羅への遠征の際、皇后は裳の糸につけた針に米粒を餌にして、「新羅遠征が成功するならば、魚がかかるだろう」と祈って糸を垂れたところ、鮎がかかったという。それでまず「占魚」と書かれ、さらに一字にして鮎という字がつくられた(「松浦河河の瀬光り年魚釣ると立たせる妹が裳の裾ぬれぬ」という大伴旅人の歌があるように、当時は女性も鮎釣りをしていたようだ)。また、天皇の即位儀礼に用いられる「万歳幡(ばんぜいばん)」という旗には五尾の鮎と厳瓮(いつへ、祭事に用いたつぼ)が描かれているが、これも神武天皇が建国を占った伝説に由来する。鮎は皇室とたいへん縁の深い魚のようだ。

神功皇后が米粒を餌に使ったとすれば、鮎の生態もかなりよく知っていたことになる。初夏のそのころは、ちょうど鮎の食性が水生昆虫や甲殻類の動物食から珪藻や藍藻の植物食に切り変わるときだからである。

鮎は鮭(さけ)や鱒(ます)と近縁の魚で、背鰭(せびれ)と尾鰭(おびれ)の間に脂鰭(あぶらびれ)があることや習性からもそのことはわかる。まず秋、川底で孵化した稚魚は、流されて海に入る。でもあまり沖にはいかず、水温10度前後の暖かいところで二、三月まで過ごし、体長6センチぐらいになったら、川を遡りはじめ、産卵を終えると、「落ち鮎」という悲しい名前になって、海へ流れ、静かに一生を終える。それで「年魚」という名もつけられた。「春生じ、夏長じ、秋衰え、冬死す、故に年魚と名づく」(『和名抄』)。

香魚という名もあるようにその香気や、脂肪に富んだわたの渋味などを味わうには、なんといっても新鮮にこしたことはない。そしてその爽やかな味わいを活かす食べ方は、塩、酢、味噌、醤油といった伝統的な日本の調味料で食べるのがいちばん。油はまだしも、強烈なスパイスなどではぶちこわしである。その意味でも、きわめて日本的な魚ということができるだろう。

かつらめや新枕する夜な夜なは取られし鮎の今夜取られぬ 源頼政
山がはの岸の浅処に鮎の子か群れつつをるはしばし安けし 斎藤茂吉
飛ぶ鮎の底に雲ゆく流れかな 上島鬼貫
鮎くれてよらで過行夜半の門 与謝蕪村
山の色釣り上げし鮎に動くかな 原 石鼎
鮎の腸口をちひさく開けて食ふ 川崎展宏

2002-05-27 公開