季節のことば

日本の生活や文化に密着した季語の中から代表的なものを選び、その文化的な由来や文学の中での使われ方などを解説する、読んで楽しく役に立つ連載エッセイです。

中秋―其の一【露(つゆ)】

風のないよく晴れた夜、大気が冷えてくると、草木や地表の物体に水蒸気が凝結して水滴をつくる(結露)。これが露である。寒い季節、暖かい電車内に入ったときに眼鏡レンズが曇ったり、冷蔵庫から出したビール瓶が濡れていたりするのも同じ現象である。他の季節でも見られるが、夏の終わりから晩秋にかけてが最も多い。大気中の水蒸気の量は温度によって決まるが、その量は飽和水蒸気圧で表わされる。温度が下がり、その飽和水蒸気圧に相当する温度に達したとき、その温度を露点という。地表やその付近の物の表面が夜間の放射冷却で、露点以下に冷えると結露することになる。露点が0℃以下では、大気中の水蒸気が露とはならず、直接、氷になり、ものに付着して「霜」となる。一度、露にはなったが、朝の寒気で凍ってしまうことがある。これは「凍露」といって霜とは区別される。また大気中の気温が露点以下に下がると「霧」が発生する。霧も秋の季語である。

露凝って白き、の意の「白露(はくろ)」は一年を24等分した中国伝来の二十四節季の一つで、いまの九月八日ごろ、同じく「寒露」は十月八日ごろ、「霜降(そうこう)」は十月二十四日ごろである。

「露が降りる」という表現は、大気中の水蒸気がものの表面に結露するので、屋根の下などにはできにくいところから生まれたと思われるが、ほかにも露は「置く」「結ぶ」「消ゆ」「散る」「乱る」など多くの動詞を伴い、掛詞や縁語も多彩である。

「万葉集」以来の和歌に数多く詠まれてきたが、日光に当たるとたちまちはかなく消えて乾いてしまうので、「朝露の命」(万葉集)、「草葉にかかる露の命」「露と等しき身」(後撰和歌集)といったように、露は人の世のはかなさの喩えとしてよく使われてきた。同時に「珠、玉」に見立てる表現も早くから現れている。「あはれなるもの……秋深き庭の、浅茅に露のいろいろの珠のやうにて置きたる」(「枕草子」)。その珠を緒で貫くという表現も多い。「浅緑糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か」(「万葉集」)、「秋の野に置く白露は玉なれや貫きかくる蜘蛛の糸すぢ」(「古今集」)。露を涙に見立てる例も数多い。

露ははかなきものの象徴でありながら、一方で「菊の露」「蓮の露」といった用例では不老長寿、極楽往生の喩えにも使われた点がたいへん興味深い。この世においては、限りなくはかないものを表わすがゆえに、それが反転して、逆にあの世に向かっては永遠の象徴でもあり得るという両面性をもっているのである。その露の両面性を最も作品化し得た俳人としては、なんといっても川端茅舎に指を屈しなければならないだろう。「金剛の露ひとつぶや石の上」「一聯の露りんりんと糸芒」。

「ある人の、月ばかり面白きものはあらじと言ひしに、またひとり、露こそあはれなれとあらそひしこそをかしけれ」(「徒然草」)とあるように、露は月とならぶ秋の代表的な景物である。

西行の草鞋もかかれ松の露 松尾芭蕉
野の露によごれし足を洗ひけり 杉山杉風
初露や猪の伏す芝の起上り 向井去来
市人の物うちかたる露の中 与謝蕪村
露の世は露の世ながらさりながら 小林一茶
生きて帰れ露の命と言ひながら 正岡子規
石ころも露けきものの一つかな 高浜虚子
芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏
蔓踏んで一山の露動きけり 原 石鼎
とりとめしいのちつゆけきおもひかな 久保田万太郎
夜店はや露の西国立志編 川端茅舎
ショパン弾き了へたるまゝの露万朶 中村草田男
白露や死んでゆく日も帯締めて 三橋鷹女
ぶら下り眠れる蝶や霧の中 五十嵐播水
白露や一詩生れて何か消ゆ 上田五千石

2002-09-09 公開