「うつくし」とは、もともと、親子、夫婦などが、おたがいをいとしく思う、肉親の情愛をあらわすことばだった。
平安時代になると、それは、小さく可憐なものへの愛に変わり、かわいらしい、愛らしいという意味になった(現代のように、ただ、きれいという意味になったのは、かなり後)。
子供は、かわいいものの代表であろう。この「うつくしきもの」に登場するのも、半分ほどは、幼い子供の描写である。
赤ちゃんの顔が描かれた小さな瓜は、人形がわりに抱かれたのであろうか。
チュッチュッと呼べば、ピョンピョン跳んでくる
い
いしてくる途中、小さなごみを見つけ、幼児がかわいい指でつまみあげてみせるさま。京人形のような髪型をした幼児が、のびた額髪が目にかぶさりそうなので、顔をかたむけて、なにかをじっと見つめるそのようす。
いずれも瞬間の微妙な動きを、まるでスローモーションで
作法見習いのために、のお坊ちゃんが立派な装束を着せられて、歩きまわるかわいい姿も宮廷ならではの見もの。ついちょっと抱きとってあやしているうちに、いつかすがりついて寝てしまった幼児は、せつないほどかわいい。「らうたし」とは、母性本能をくすぐるかわいさである。ここは着物を通して伝わる子供のあたたかさや、乳くさいにおいなども感じられるところである。
「いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる」は、「あてなるもの」(四〇段)に登場するシーンだ。プクンとした柔らかい赤ちゃんのくちびると赤い
弓や棒切れなどふりあげて遊んでいる子を、通りすがりに見れば、
人形遊びのお道具。
日常の中に小さな喜びやしあわせを見つけて、生きたいと願う私たちにとって、彼女は教祖である。