うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第五回 心にくきもの

2011.08.09

奥ゆかしいもの――ひそやかな音を聴く愉しみ

 「心にくし」とは、あらわには示されていない相手の人柄、態度、センスなどに、上品な深みを感じて、心ひかれることで、現代語で言えば、「奥ゆかしい」ということになる。
 「物隔てて聞くに」ではじまるこの段は、間接的にあることを知って、その向こうにあるものを想像してときめかす心が語られる。じかに見たり聞いたりするよりも、秘密のベールに隠されて、より魅力的なのである。
 抄出部分は聴覚の世界である。
 屏風(びょうぶ)几帳(きちょう)を隔てて聞いていると、相当の身分と思われる女性の、人を呼ぶときの、ひっそりと品のいい手の音がする。と、うてば響くように、「はい」と若々しい声が受けて、(きぬ)ずれの音をさやさやとかすかにたてて伺候するけはいも奥ゆかしい。センスのいい女主人と、それにふさわしい若い女房。若い女房が主人を大切に思っていることも()みとれる。すてきな主従なのである
 なにかのうしろか、(ふすま)障子(しょうじ)などを隔てて聴くと、向こうでは、身分ある方がお食事をなさっているのだろうか、箸、(さじ)などの音が交錯して鳴っている。コトッと音がする。あっ、いま、提子(ひさげ)の柄が倒れたな。そんな小さな音までが聴きとめられる。
 ほかの段で、清女は言っている。女房の(つぼね)に訪ねてくる男が、女の部屋で食事なんかするのは、ほんとうにみっともない。私は、男が酔っぱらって夜更けにやってきて泊まっても、()()()けごはんだって出さないわ、と。むき出しの食事風景は、彼女の美的恋愛センスからすると、ごめんなのである。
 もののうしろ、襖などを隔てて聴くからこそ、思い描く食事風景はなにか愉しく、物語めいて感じられるのであろう。しかも、貴い方のお食事ではあるし。
 中宮様ももうおやすみになった夜更け、誰かが外のほうに向かって、訪ねてきた殿上人(てんじようびと)となにか話す声がしたり、奥のほうでは、誰かが()の対局をしているらしく、碁石を()()にザラザラと入れる音が何度も聞こえるのも、奥ゆかしい。
 誰かが、そっと()(ばし)を突きさす音がする。まだ起きているのかしら、なにか物思いでもしているのかしら、と興味をそそられる。夜中に寝ないでいる人って、すてきだな。その人がなにか秘密の―それも知的な世界を持っている気さえして。
 そういう自分は、いつかトロトロと眠ってしまって、真夜中にふっと目が覚めて、几帳越しに聞くともなしに聞くと、お隣には、誰か男の人が来ているらしい。何の話だか、話の中身はわからないが、なにやらひそひそ話だけ聞こえ、男がひっそり笑い声をたてる。好奇心を抑えがたい。ここはかなりなまめかしい場面である。
 宮様(ぎょ)(しん)の後の、女房たちの夜の生態は、ひそかな音だけを通して、息づかいも聞こえるように、なつかしく語られる。あんな夜もあった、こんな夜もあった。清女は思い出の夜々を心に浮かべては、回想の筆を進めていったにちがいない。
        * * *
 この段の原文の、省略した部分には、視覚や嗅覚(きゅうかく)の世界の奥ゆかしさも記されている。
 完璧に飾り付けられた中宮様の御殿が舞台である。日は暮れたが、まだ燭台(しょくだい)()はともされず、ただ長火鉢に、炭火がいっぱいおこしてある。その火の光だけがあたりを照らしているとき、宮様の御座所にかかる御帳(みちょう)の飾り(ひも)がつややかに光っている奥ゆかしさを、なんと言おう。炭火に光るものは、まだある。()()を巻き揚げたときに留める(かぎ)が、その鉤かくしの(きぬ)(ひも)の飾りの端から、キラッと光る。ああ、ここは宮。そして、宮仕えの私の目がそれを見ている。誇りやかな自己満足を添えて、清女は光る紐や鉤を、奥ゆかしいとみつめるのだ。
 清女はまた、丸火鉢の中も見つめる。極上の丸火鉢だ。掃き目も美しい灰の中におこされた火。その光に、内側に描かれた絵まで見えるのもおもしろく、光る火箸を二本そろえてすっきりと斜めにさしてあるのも、優雅でゆかしい。
 限定された条件の中で見えるものは、ここでも、想像力を添えることによって、魅力が増すのだ。
 火鉢の内側の絵をさしのぞく()は、(すい)(がい)(らん)(もん)()()の巣にかかる露を見つめる、あの眼である。
 さて、この段の最後には、「(そで)の几帳」でおなじみの(ただ)(のぶ)の中将が登場する。
 「(たき)(もの)()、いと心にくし」ではじまるこの場面では、中宮のお部屋の(すだれ)に寄りかかった斉信の、(ころも)にたきしめた香りのすばらしさが語られる。彼が立ち去ったあと、その翌日まで、香りは御簾に染みこんでいて、若い女房たちが大さわぎした。若くない女房の清女も胸をときめかして、「ことわりなりや―さわぐのもあたりまえだわ」と言っている。
 平安の昔は、男のおしゃれも奥ゆかしかった。

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