うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第六回 うれしきもの

2011.08.23

うれしいことは――喜び上手、生き方名人

 「うれしきもの」の段には、清女の、暮らしの日々に見つける喜びの数々が、はずむような筆で列挙されていて、読む私たちの心まで、(たの)しい色に染められていく。
 はじめて一の巻だけを読んで、続きをどうしても読みたいと切望していた物語の、次の巻を見つけた喜びは、子供時代から極め付きの文学少女であったと思われる彼女にとっては、どんなに深いものであったろう。
 清女よりすこし時代はさがるが、『(さら)(しな)日記』の作者、(すが)原孝標(わらのたかすえ)の娘も、「この(げん)()の物語、一の巻よりして、みな見せたまへ」と祈り、その五十余巻を得たときは、「(きさき)(くらい)(なに)にかはせむ」と狂喜する。
 清女も孝標の娘も、同質の魂の持ち主であったと思うが、清女はすこしさめて語るところがある。「続きを読むとがっかりすることもあるかもね」と、いなしてみせるところもおもしろい。
 そんな彼女の目は、自分を客観視して漫画風に眺めるところもある。だから、人の破り捨てた手紙をつないで読む、ひそかな愉しみなども隠さず書く。前後うまくつながって、何行も何行も読めたときのうれしさは、パズルを完成させた達成感にも通うものがあったろう。
 向こう意気が強そうに見えて、案外弱虫なところもある清女は、不安な夢、不吉な夢など見てこわがるのだ。そんなとき、すかさず、かしこい夢合わせをしてもらったら、ああ、救われたという喜びに()たされたはずだ。
 清女はどんな夢合わせをしてもらったのか。たとえば、(へび)()いまわっているというような気味の悪い夢なら、「その蛇は春になって穴から出てきたのよ。あなたも苦しいことから抜け出して、これから先はいいことがあるっていう知らせよ」などと、その人はその場で、きっぱりと凶を吉に切り替えてくれたのかもしれない。もともとプラス思考の清女である。この夢合わせは彼女の胸にコトンとおさまり、すぐに前を向いて明るく歩き出したことだろう。
 さて、「よき人の御前に」というところは、これぞこの段のいちばんのポイント。清女はこのことを声を大にして、しっかりと書きとどめておきたかったにちがいない。
 清女は自慢げな筆になることを避けて、わざとソフト・フォーカスにしているが、「よき人」とは、もちろん(てい)()様である。その方のお前に、人々がたくさん()(こう)しているとき、昔、今、また内容も問わないが、当時話題になっていることを、清女に目を合わせ、「ねえ、そうでしょう」という気持をふくませながら、お話しなさるうれしさ。
 この気持は「御前に人々所もなく」のところとも、ぴったりうち重なる。ここもまた定子様である。お前にぎっしりと人が詰めているとき、すこし遅れて参上して柱のもとに控えているのを、目ざとくお見つけになり、「こちらへ」などとお声をかけてくださる晴れがましさ。
 朋輩もまた、清女のために道をあけてくれ、その道を進んでお傍近くまで行くときの、こみあげてくるような喜び。中宮様に目をかけていただき、愛していただいているというたしかな心の手応えを、そんなとき、とりわけ清女は感じた。全身が幸福感に浸され、宮仕えしてよかった、と、あらためて思ったであろう。この喜びを、この段の結びに認めて、彼女はもう一度、言いたいことを強調した。
 どんなことをうれしいと思うかで、その人の心の世界がのぞける。
 清女は、自分の病気の全快よりも、愛する人の全快はなおうれしいと書く。また、愛する人が人にほめられる喜びも、笑顔いっぱいに書いている。彼女の喜びは幅も広いのだ。
 物を手に入れたことだけがうれしいという人は、むしろ心は貧しいといえよう。
 「うれしきもの」のうれしさは十七項目。そのうち、三つだけが物に関するもので、あとは心の世界である。
 原文では省略したが、ここに記しておこう。
 貴重品の陸奥紙(みちのくにがみ)を手に入れたとき。仕立て直しに出した着物が(きぬた)できれいに(つや)を出されて返ってきたとき。装飾入りの(さし)(ぐし)を磨きに出したら、ピカピカになって返ってきたとき。
 物はこの三つである。ものを書くことが何より好きな清女だから、いい紙を得たうれしさは当然だろう。着物や挿櫛の話も、一見女らしい喜びだけに思えるが、よく考えてみれば、それらを身につけて、中宮様のお供をして、宮廷行事に加わることを喜んだのだ。
 清女はやっぱり、ものを書くこと、宮中で働くことを心から愛していたのだ。大きく言えば、自分の才能をよりどころにして働き、それを人に認められることを、なにより喜んでいたのだと思う。
 はつらつとして、うてば響く感性の持ち主は、どんな小さなことも見逃さず、心に喜びの花を咲かせた。
 清女は、無類の喜び上手であり、生きかたの名人でもあった。

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