うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第八回 すさまじきもの

2011.09.27

興ざめなもの――願望がはずれたとき

 現代語の「すさまじい」というのは、おそろしい、とか、ものすごい、という意味だが、ここの「すさまじ」は、不調和からおこる興ざめな感じをいう。時がずれていたり、外形だけあって中身がなかったり、期待はずれだったりして、しらけておもしろくない感じなのである。
 この段は、こうはじまる。
 「すさまじきもの。
 (ひる)()ゆる(いぬ)(はる)網代(あじろ)(さん)四月(しがつ)紅梅(こうばい)(きぬ)。」
 この三つは、時にはずれて、()がぬけているのである。夜を守ってあやしい人に吠えかかるべき犬が、昼に吠える。冬、氷魚(ひお)をとるために川に仕掛ける網代が、春になっても残っている。初春のかさね色の紅梅襲(こうばいがさね)を春深くなっても着ている。
 清女は機知をはたらかせて、(たの)しいクイズふうに連ねている。その後はこう続く。
 「(うし)()にたる牛飼(うしかい)、ちご()くなりたる産屋(うぶや)()おこさぬ炭櫃(すびつ)地火炉(じかろ)。」
 この三つは中身がなくて、うつろな感じのもの。牛小屋にいるはずの牛が死んで、手持ち無沙汰(ぶさた)でさびしい牛飼。赤ん坊が死んでしまっては、せっかくの産屋も役に立たない。火をおこしてあってこそ、角火鉢も土間のいろりも映えるのに。
 最初のこの六つは物である。清女はくるり、くるりと万華鏡をまわすように、これらのものを読者の前に展開していく。
 テンポのいい物の世界はやがて、じわりと心の世界に移っていく。筆はゆっくりと、こまやかに、その世界を、自分の体験を淡く濃くまぜながら描いていく。
 方違(かたたが)えに行ってもごちそうしない家。手紙だけで品物が添えてない田舎便(いなかだよ)り。返事がもらえない恋文。車をやって迎えにいっても来ない男。実家に帰ったまま、長い間帰ってこない乳母。もののけを調伏(ちようぶく)してもらおうと頼んだ修験僧(しゆげんそう)なのに、まったく効き目なし。
 願望という心の容れものに、成就という中身は入らず、からっぽのままで、心は寒い。
 そして、この段は山場を迎える。「除目(じもく)(つかさ)得ぬ人の家」である。除目とは、大臣以外の中央官や地方官の任命をいうのだが、この段の場合は、「県召(あがためし)の除目」と呼ばれる、正月に行われる地方官任命のほうである。
 その除目に任官できない家は、すさまじいかぎりである。「殿様は、今年は絶対ナニナニの守になられるはず」と疑いもなく信じきっている家の子郎等(ろうどう)(一族と従者)は、みな集まってくる。
 去年の除目にはあてがはずれて、みな四散していたのだろう。よそへ奉公に出ていた者も、在所住まいをしていた者も、続々と集まってくる。牛車(ぎつしや)(ながえ)が庭さきにぎっしり、というのは、現代だと、車で埋まっているというところだ。任官祈願のために寺や神社にお参りする殿様にくっついて、我も我もとつながっていく。任官のあかつきには取り立ててもらえるだろうという魂胆も見え見えなのだが。
 家の中では前祝いよろしく、食ったり飲んだり、大声でわめいたりの大さわぎ。
 だが―。三夜続く除目の最終の夜の明け方まで、門をたたく人もいず、こんなはずはない、変だな、と、耳を澄まして聞くと、「オーシー」などという先払いの声が続いて、家の前を通っていく。除目会議の最高幹部の公卿(くぎよう)たちが、内裏から退出していくのだ。
 情報を聞こうと、前夜からでかけて、ぶるぶるふるえていた(心も寒い)下男が、わびしげにトボトボ帰ってくる。 「どうした?」と尋ねる勇気も、みんなは持たない。
 よその人がやってきて、「このたびは、殿様はなにの守におなりで?」などときくと、「前信濃守(さきのしなののかみ)におなりになりました」などと答えるのも、おきまりである。ここはちょっとブラックユーモアを感じさせるところである。
 夜が明けると、あれほどぎっしり詰めていた人たちも、一人、二人、目立たぬようにすべり出ていく。長年ご恩を受けている者は、そうそうさっと帰るわけにもいかず、
 「ええっと、来年空くのは、周防(すおう)だったかな? 肥前(ひぜん)もそうだったかな?」
などと、指折り数えつつ、家の中を、ひどいしょぼくれ顔で、のっそりのっそり歩いている、その姿のかわいそうなことったら。心の中には荒涼とした風も吹いていることだろう。
 『枕草子』三段の「正月一日は」には、除目の頃の凍った道を、申し文(任官申請書)を持ち歩く人たちの姿が描かれている。白髪の老人が女房の局に入りこんで、自分を売りこむ長談義をするのを、若い女房たちは口まねをするが、当人は気づかず、「どうぞよしなに」と、ペコペコ頼みこむ。うまくいかなかったときは、ほんとうにかわいそう、と、清女の筆もしめっている。
 猟官運動をするこの老人の姿をふくめて、「除目に官得ぬ人の家」のくだり全部には、清女の父、清原元輔の姿があると思う。幼い日から、彼女は父の失意の姿をその目でまざまざと見て、周囲の人々のありようも心に刻みこんだのであろう。ここの描写は精緻をきわめ、人々の息づかいも聞こえるほどの臨場感がある。
 清女は自分の体験をぐっと濃く投影して、ときには涙ぐみながら、この部分を書いたと思う。

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