うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第十回 七月(しちがつ)ばかり、いみじう(あつ)ければ

2011.10.25

恋の名残、初秋のきぬぎぬ

 「きぬぎぬ(後朝)」ということばをご存じだろうか。男と女がおたがいの衣を脱いで、重ねてかけて共寝をした翌朝、それぞれの衣を取って、身につけて別れることをいう。
 「七月ばかり」は、この「きぬぎぬ」の情緒をテーマにして、一幕物の劇のように仕立てた段である。
 七月(これは陰暦、いまでいえば初秋)、まだ暑さもきびしいので、戸も格子(こうし)もすっかり開けたまま夜を明かすのだが、満月の夜などはふっと目覚めて、ま昼のような明るさに胸ときめかすこともある。闇の夜もおもしろく、空に有明(ありあけ)の月の白く残る夜明けの情趣ときたら、これはもう最高―と、ここまではナレーションの感じである。
 さて、ここで幕が開く。舞台の空には有明の月。秋霧がたちこめている。
 とある(つぼね)の、開け放たれ、御簾(みす)だけかかった部屋に、一人、朝寝をしている女がいる。恋人の男はもう帰ったのだろうか。ぐっとカメラが迫るように、女の様子はこまやかに描写される。
 女が頭からひき被っているのは、薄紫の、裏は濃紫の、(きぬた)でつやを出した打衣(うちぎぬ)。その衣は、かすかに色が()せている。もしくは、濃い(くれない)色の打衣の、まだ着くたびれてないのでもいいかな。
 女が肌にまとっているのは、ほんのり黄を帯びた薄紅色の香染(こうぞめ)か、もしくは黄生絹(きすずし)のいずれも単衣(ひとえ)。軽くて薄い夏衣(なつごろも)だ(打衣も単衣も、あれかこれかと色を変えているところ、劇の絵コンテの手法のようだ)。
 紅の単衣袴(ひとえばかま)腰紐(こしひも)が、打衣の下からのびているのを見れば、共寝の名残かと思われて、なまめかしい。
 また、打衣からはみ出した黒髪が、ゆるやかにたたまれて波うっているのを見ると、その髪の、そして、髪の持ち主の美しささえ推しはかられる。
―この場を通りかかった男がいる。やや赤みがかった(あい)色の指貫(さしぬき)をはき、香染の狩衣(かりぎぬ)は肩脱ぎし、寝乱れたびんの毛は烏帽子(えぼし)におし入れた朝帰り姿。男は女の部屋の前に足をとめた
(続く)

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