うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第二十回 とう中将ちゅうじょうのすずろなるそらごときて

2012.03.27

草のいおりたれかたづねむ――そで几帳きちょうのお話

 とうの中将藤原斉信ふじわらのただのぶは、いったいどんな、清女についてのうわさを聞いて怒ったのだろう。たとえば、中宮方のある女房のこんなことばからではなかろうか。
 「清少納言ったら、中宮様のお覚えのめでたいことをかさに着て、大きな顔をしてるのよ。なにしろ、人には一番に思われなきゃ、死んだほうがまし、と言う人ですからね。だいたい、男を男とも思ってない人なんですよ」
 ここだけの話よ、などと言いながら、彼女はさも得意げに、ことばに節もつけるように、最初の聞き手にささやいたにちがいない。そんな話がまわりまわって、斉信の耳に入ったときには、相当毒が入って、ひどくいやな女としての清女像が出来上がっていたかもしれない。
 そして、最後は、斉信大立腹の情報が清女の耳に入ってきたのだ。
 「なんで、あいつを一人前の人間だと思って、ほめたりしたんだろう、って斉信様はくやしがり、殿上てんじょうの間で、あなたのことをひどくこきおろしていらっしゃるのよ」
 どんなこきおろしなのか、想像するだけでも恥ずかしい気がしたが、清女は聞き流すことにした。
 もともと「すずろなるそらごと言」いい加減な作り話なのだ。いまに、ほんとうのことがわかって、ご機嫌を直してくださるわ。彼女はそう思って、そんな情報を持ってきた人には、ただ微笑だけを返しておいた。
 もちろん、内心はこたえていた。斉信といえば、清女の一目も二目もおく人。顔も頭もピカ一、センスは抜群、絵から抜け出たような男と、見とれるときさえある。しかも、けんらんたる学識の持ち主、その朗詠ろうえいの声は女たちをしびれさせるし……。そんな男に憎まれるなんて悲劇なのだ。
 だが、あえて、清女はがまんして、時を待つことにした。事実無根のことだし、いがみあい、争いあう自分の姿は美的ではないと思う。
 斉信の憎しみはエスカレートしていくばかりだった。黒戸くろどの御所のつぼねの前など通るとき、なかから清女の声などするときには、袖でパッと顔をかくして、完全に無視し通すのだ。
 まあ、ずいぶん、私も憎まれたものだわ。「袖の几帳」っていうのは恐れ入るわ。
 そう思うと、清女は何やらそこに、すねた男の甘えのようなものを感じて、ふっとおかしくさえなった。
 こちらも、ものも言わず目も合わさずそのままやり過ごしていて、日が経った。
 そして二月も終わる頃の、雨が降りしきり、退屈な日……。その日は宮中は物忌ものいみにあたり、殿上に仕える男たちも退出もならず、そのまま宿直とのいすることになっていた。
 「やっぱり、清少納言と絶交してると、なんだか物足りなくて、さびしいよ。なんか言ってやろうかなんて、斉信様がおっしゃってるそうよ」
 どこから聞いてきたのか、女房たちがそんな話を耳に入れるのを、「まさか、そんなことあるはずがないわ」と、清女は軽くあしらっておいた。
 心の中には、チラと楽しい思い出も通りすぎた。退屈な夜など、以前は遠慮もない口をたたき合いながら、をさして遊んだっけ。
 雨の一日、彼女は自室にこもり、夜になって参上すると、中宮様はもうおやすみになっていた。中宮様とお話しできない夜なんて、つまらなすぎる、とは思ったが、そのまま、角火鉢かく ひ ばちの傍らで、女房たちとおしゃべりをしていた。
 「だれそれさん、いらっしゃいますか」
 と、いやに派手に呼ぶ声がする。よく聞けば、自分を呼ぶ声に清女は気づき、若い女房に応対させてみると、なんと、斉信からの直々の手紙というではないか。しかも、お使いの主殿寮とのもりづかさの役人は、「お返事を早く早く」と、やたらせきたてる。