うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第二十一回 とう中将ちゅうじょうのすずろなるそらごときて(二)

2012.04.10

草の庵を誰かたづねむ――袖の几帳のお話(2)

あんなに憎んでいるのに、なんの手紙かしら、と思ったけれど、どんな手紙にせよ、人の前なんかで見たくはない。「お帰り。後で返事するわ」と言って、その手紙をふところに入れて、そのまま女房たちの話を聞いていると、さっきのお使いはすぐにひっ返してきて、こう言うのだ。
 「後で返事なんて言うのなら、さっきの手紙を返してもらってこい、という仰せです。さあ、さあ、お返事を」
 開いてみると、青い薄様(うすよう)の紙に、美しくさわやかな筆跡で(絶交の一件にからむ手紙でもなかったので、ホッと安心したが)、

   「蘭省花時錦帳下(蘭省(らんせい)の花の(とき)錦帳(きんちょう)(もと)
  さあ、この(しも)の句はいかに、いかに」

 と書いてあるではないか。
 知恵試しの謎かけだ。この一句は『白氏文集(はくしもんじゅう)』の「廬山草堂(ろざんのそうどう)夜雨(や う)(ひと)宿(しゅく)し……」という題の詩の中にあり、次に続く対句(ついく)は「廬山雨夜草庵中(廬山(ろざん)の雨の(よる)草庵(そうあん)(うち))」であることは、しっかりこの胸にたたみこんで覚えている。
 まあ、どうしよう。知ってますとも、と言わんばかりに、漢字七文字をそのまま、たどたどしい字で並べたててもみっともない。中宮様にご相談したら、すてきなお知恵をいただけるのに、もうおやすみだし、こまっちゃったわ。
 案じている間も、「さあ、お返事、お返事」と矢の催促である。
 ああ、あれでいこう。清女の胸にとっさにひらめいたのは、『公任(きんとう)集』にある、藤原公任の出題した連歌の下の句。

  草の(いおり)(たれ)かたづねむ

この句に答えた蔵人(くろうど)たかただの上の句は、

  九重(ここのえ)の花の(みやこ)を置きながら

である。
 もともと、『白氏文集』の「蘭省花時錦帳下、廬山雨夜草庵中」の二句は、「都の花のさかり、男たちは天子のお傍近く、錦の帳の下でときめいているが、私は廬山のふもとの草庵の中で、雨の夜もひとりぽっち」という意味である。公任とたかただの連歌も、その境地にそっくり。それに、公任のその句は、みんなも知っている。その句を借りよう。
 これだけのことが、瞬時といえるほどの早さで、清女の頭にひらめいたのだった。
 清女は、斉信のよこした青い薄様(うすよう)の余白に、角火鉢の中の消え炭を使って、わざと幼げに書いた。

  草の庵を誰かたづねむ

 これなら、使った紙の趣味のよしあしも、筆跡の巧拙(こうせつ)も問題にならず、それに、公任の評判の句を借りて、うまく身をかわしている。むき出しではなく、しかもたいへん凝った清女の機知なのである。
 どんな返事がくるか、楽しみだったが、なんの音沙汰(おと さ た)もなし。その夜は中宮様の御殿で寝て、翌朝早くに自分の(つぼね)に下がると、斉信の取り巻きの、源中将宣方(のぶかた)の大げさなこんな声が、清女をおどろかした。
 「草の庵さん、いますか」
 さては、斉信さん、私の返事を皆に見せたな、とピンときたが、彼女はすこしおどけてこう返した。
 「まあ、草の庵なんて、そんな貧乏くさい者がいるもんですか。『(たま)(うてな)さん、いますか』っておっしゃるんでしたら、お返事もしますけどね」
(原文には省いたが、宣方は、ここで、昨夜の一部始終を語りはじめる。斉信が、清女の返してきた青い薄様をひらいて見て、あっ、と叫び、「これだから絶交なんかできないんだよな」と言ったこと、皆も大さわぎして、「これはいついつまでも語り伝えるべき話だ」とほめそやしたことなど、述べ立てるのだが、清女は冷静を保っている。内心は、どんなにかホッとし、喜んだことだろう、と思うが。
 この後、別れた夫、橘 則 光(たちばなののりみつ)もかけつけてきて、清女のほまれをわがこととして喜ぶ。彼の単純素朴な好ましい人柄が大写しとなる場面である。)
 この後、斉信は袖の几帳もとりはらって、機嫌を直されたということである。