うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第二十三回 殿(との)などのおはしまさで(のち)(二)

2012.05.08

山吹(やまぶき)のはなびらに、秘めたみ心(2)

 直々(じきじき)のお手紙。いったいどんなお手紙、と胸もつぶれそう。早く見たい。指もふるえて開けてみると、紙にはおことばもなく、出てきたのは山吹(やまぶき)のはなびらひとひら。はなびらの上には、(ほそ)い字で、
 「いはで思ふぞ」
 と、ただそれだけ。
 初秋の山吹は季節はずれの(かえ)(ばな)。「帰っておいで」とのおことばも聞こえてきそうな、花の黄色が目を射る。
 山吹の花。『古今集(こきんしゅう)』、素性法師(そせいほうし)の歌だわ。

  山吹(やまぶき)花色衣(はないろごろも)ぬしやたれ問へど答へず口なしにして

 私が贈り主ということは無言よ。秘密よ……。宮のあたたかい目くばせを清女は感じた。
 「いはで思ふぞ」は、『古今六帖(こきんろくじょう)』の「いはで思ふぞいふにまされる」なんだわ。口に出さず、がまんしている思いは、口に出すよりずっと深いのよ、私の気持をわかっておくれ。宮様はこうおっしゃりたいのだわ。宮様。ええ、ええ、わかっています、わかっていますとも。
 人がどう思おうと、どう言おうと、そなたの純粋な心は私がよく知っている。そなたがいないとさびしい―宮様はそんなみ心のすべてを、山吹にこめてくださったのだわ。だれよりもいちばんおつらいのは宮様なのに、ご苦労をなさって、み心はよけいに磨かれた。愚痴(ぐ ち)ひとつ仰せられず、このようなしゃれたわざをなさる宮様はすてき。私が帰っていきやすいように呼び水をくださった。
 清女の、この日頃のうつうつとした心は、いっきに溶かされていくのだった。
 長女は、晴れやかになった清女の顔をしみじみとみつめて、
 「宮様はどんなにあなた様のことを思っていらっしゃることか。折にふれて、あなた様を思い出され、口にもお出しあそばすそうですよ。みなさまも『どうしてあんなに長いお宿下がり』と疑っているそうですよ。参上なさいませ」。
 出すぎたことかもしれませんが、と遠慮しつつ、長女は誠実を顔にあらわして言うのだった。
 彼女が「ちょっとよそに(まわ)って、(のち)ほど、また」と出かけたあと、清女はそのひまにお返事を書いておこうとする。
 あの「いはで思ふぞいふにまされる」の上の句は何だったのかしら。のどまで出かかっているのに出てこない。ド忘れなのだ。じれったい。
 (そば)にすわっていた女の子が、「『下ゆく水』ですわ」(「心には下ゆく水のわきかへりいはで思ふぞいふにまされる」〈古今六帖〉)なんて教えてくれたのもおもしろい。悩みの去った心には、なんでも楽しい。女房たちのイジメもいまは許して、忘れよう。
 久しぶりの出仕を、と心を決めてお返事を書く清女の目に浮かぶのは中宮様おひとり。
 初宮仕えの日にふり仰いだ紅梅色のお手。その、お手で書いてくださった文字をのせた山吹のはなびらは、小さな護符のように、彼女には思えた。
 この章段は『枕草子』全巻を通じて、ただ一か所、定子と清女の主従関係のしばしの挫折を語っている。だが、清女を上まわる定子の役者ぶりの目覚ましさ。挫折を超えて、主従はより深く結ばれる。