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恋川春町

ジャパンナレッジで閲覧できる『恋川春町』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

恋川春町
こいかわはるまち
一七四四 - 八九
江戸時代中・後期の戯作者。駿河小島藩一万石松平家の臣。本名は倉橋格、通称寿平、狂歌名は酒上不埓(さけのうえのふらち)、寿山人とも号す。筆名は藩邸のある小石川春日町にかけ、また浮世絵師勝川春章の名に似せたものである。延享元年(一七四四)生まれる。二十歳の時に伯父倉橋忠蔵の養嗣子となって主家に仕えたが、かたわら絵を好んで鳥山石燕の門人となり、安永二年(一七七三)には洒落本の挿絵を描き、絵師として第一歩を印した。が、その二年後に試みに自画自作した『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』を出すと意外の好評を博して黄表紙とよばれる新文芸の祖となり、翌年から『高漫斎行脚日記(こうまんさいあんぎゃにっき)』(五年)、『三升増鱗祖(みますますうろこのはじめ)』(六年)、『三幅対紫曾我(さんぷくついむらさきそが)』(七年)、『無益委記(むだいき)』(八年)ほか多数の自画作を出し、黄表紙全盛時代を開いて生涯の作は約三十部にのぼる。このほか『無頼通説法(いかんつうせっぽう)』など洒落本の作もあって、安永・天明期の中枢作家に数えられた。しかし藩における地位が御留守添役・側用人・用人と昇進するにつれて文筆活動が沈滞し、天明に入ると空白の年が多くまた佳作にもとぼしい。そして天明七年(一七八七)には御年寄本役百二十石に昇ったが、たまたま田沼意次失脚のあとをうけて松平定信の文武奨励政治が始まったので、翌八年にはこれを材にとった黄表紙が続出し、春町は『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶひいきのえぞおし)』を書いた。これは田沼政権と北方密貿易を材としながらも、忌憚が過ぎて諷刺が利かず、安永以来の黄表紙の盟友朋誠堂喜三二が特ダネ的な諷刺を巧みに盛った『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとおし)』が空前の成功を収めたのである。春町は翌寛政元年(一七八九)これに和した『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』で新政下の武士階級を揶揄して、これまた記録的売行きであったが、松平定信から出頭を命ぜられ、自殺したと伝えられる。同家の由緒書には寛政元年四月二十四日就長病御役御免を願い、同年七月七日病死とあるのみだが、主家と養父への責任感からの自殺とも解せよう。作者としては俊敏かつ独創的な着眼で一時期を画した春町だが、小親藩の幹部としては時局認識を欠いたといわなくてはなるまい。没年四十六歳。東京都新宿区の成覚寺に墓が現存する。法号寂静院廓誉湛水居士。
(浜田 義一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)

恋川春町
こいかわはるまち
[1744―1789]

江戸後期の戯作者 (げさくしゃ)、浮世絵師。本名倉橋格、通称寿平。狂名を酒上不埒 (さけのうえのふらち)、別に寿山人と号した。駿河 (するが)小島 (おじま)藩士で、江戸・小石川春日 (かすが)町の藩邸に住み、留守居役、重役加判などの要職を歴任、そのかたわら浮世絵師を志して鳥山石燕 (せきえん)に学び、勝川春章 (かつかわしゅんしょう)に私淑した。1773年(安永2)洒落本 (しゃれぼん)『当世風俗通』の挿絵(文も春町か)を描いて文壇に登場、1775年には洒落本を草双紙 (くさぞうし)化した『金々先生栄花夢 (きんきんせんせいえいがのゆめ)』を自画作で発表し、黄表紙の祖と目されるに至った。知的で軽妙洒脱な話の展開と写実的な挿絵で現実世界を戯画化し、当代第一級の作者として『無益委記 (むだいき)』など約30編の黄表紙を残すほか、朋誠堂喜三二 (ほうせいどうきさんじ)らの黄表紙に挿絵を描き、洒落本、狂歌などの作もある。1789年(寛政1)『鸚鵡返文武二道 (おうむがえしぶんぶのふたみち)』で松平定信 (さだのぶ)の改革政治を揶揄 (やゆ)して、当局の召喚を受けたが応ぜず、ほどなく没した。この突然の死は、藩公へ迷惑の及ばぬようにとの配慮と、実直な能吏であった養父との折り合いの悪さに原因すると考えられ、自殺とみてよい。

[宇田敏彦]



世界大百科事典

恋川春町
こいかわはるまち
1744-89(延享1-寛政1)

江戸後期の黄表紙作者,浮世絵師,狂歌師。本名は倉橋格,通称は寿平,別号は寿山人。狂歌名は酒上不埒(さけのうえのふらち)。駿河小島藩の江戸詰用人。江戸小石川春日町に住したので恋川春町と号した。画を鳥山石燕・勝川春章に学び自他の作の挿絵を描いた。1775年(安永4)《金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)》,翌年《高慢斎行脚日記》によって当世風俗をうがち,従来の草双紙の作風を一変せしめた。以後安永・天明にかけて活躍,20余部の作があり,89年の《鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)》は寛政改革を風刺して大当りをとったが,当局の忌諱(きい)に触れてまもなく没し,当時自殺説も流れた。著作はほかに《化物大江山》《三幅対紫曾我》《辞闘戦新根(ことばたたかいあたらしいのね)》《無益委記(むだいき)》等。酒上不埒の名で狂歌もよくし《狂歌師細見》にも社中ともども名が見える。親友朋誠堂喜三二の媒介で妻をめとり〈婚礼も作者の世話で出来ぬるはこれ草本(くさほん)のゑにしなるらん〉と詠んだ。
[森川 昭]

[索引語]
寿山人 酒上不埒 高慢斎行脚日記
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1. 恋川春町
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2. 恋川春町
世界大百科事典
狂歌名は酒上不埒(さけのうえのふらち)。駿河小島藩の江戸詰用人。江戸小石川春日町に住したので恋川春町と号した。画を鳥山石燕・勝川春章に学び自他の作の挿絵を描いた ...
3. こいかわ‐はるまち【恋川春町】
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の黄表紙作者・狂歌師。駿河小島藩士。本名、倉橋格。狂号、酒上不埒(さけのうえのふらち)。筆名恋川春町は、藩邸があった小石川春日町のもじり。「金々先生栄花夢」で黄 ...
4. こいかわ‐はるまち[こひかは:]【恋川春町】
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江戸中期の黄表紙作者、狂歌師。駿河小島(おじま)藩士。本名倉橋格、通称寿平。戯号は住んでいた江戸小石川春日町からとる。別号寿山人。狂名、酒上不埒(さけのうえのふ ...
5. こいかわはるまち【恋川春町】
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6. こいかわはるまち【恋川春町】
国史大辞典
一七四四―八九 江戸時代中・後期の戯作者。駿河小島藩一万石松平家の臣。本名は倉橋格、通称寿平、狂歌名は酒上不埓(さけのうえのふらち)、寿山人とも号す。筆名は藩 ...
7. 戀川春町(こいかわはるまち)
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文學部 洋巻 第2巻 956ページ ...
8. こいかわ-はるまち【恋川春町】
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1744−1789 江戸時代中期の戯作(げさく)者。延享元年生まれ。紀伊(きい)田辺藩(和歌山県)藩士桑島九蔵の子。駿河(するが)(静岡県)小島(おじま)藩士。 ...
9. 恋川春町[文献目録]
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10. こひかははるまち【恋川春町】
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11. Koikawa Harumachi 【恋川春町】
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1744−1789 Author and illustrator of kibyoshi. Samurai of a small domain in Surug ...
12. こいしかわ-はるまち【恋川春町】
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⇒こいかわ-はるまち ...
13. 黄表紙
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~1818)にわたり流行した。黄表紙の祖『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』(恋川春町作・画)や、寛政の改革のパロディー『文武二道万石通(ぶんぶに ...
14. あおほん【青本】
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15. 秋山記行・夜職草 126ページ
東洋文庫
三狂歌堂鹿都部真顔(一七三九-一八一五)、本名北川嘉兵衛。江戸後期の狂歌師、黄表紙作者、戯文を恋川春町、狂歌を蜀山人に学び、宗匠となった。大西上人西行法師のこと ...
16. うきよえいがまくら[うきよエイグヮまくら]【浮世栄花枕】
日本国語大辞典
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17. うろこがたや【鱗形屋】
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万治ごろより浄瑠璃本を刊行、のち赤本・黒本・青本・黄表紙・咄本などをも出版。黄表紙最初の作、恋川春町の『金々先生栄花夢』も同店の刊で、江戸時代中期の江戸の有力な ...
18. えいしょうさいちょうき【栄松斎長喜】
国史大辞典
生没年不詳 江戸時代後期の浮世絵師。狩野派の画家で街絵師の師匠となった鳥山石燕は、恋川春町・喜多川歌麿・歌川豊春などの名家を門下から出した。長喜もまたその一人 ...
19. 江戸小咄集 1 33ページ
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」 (一)当時流行の本田髷に髪を結って、しゃなりくと 得意然と歩みゆくこと (二)安永四年、恋川春町作黄 表紙『金々先生栄華夢』より出た流行語 〇一∪支那の 儒 ...
20. 江戸小咄集 1 70ページ
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「うらに来なんしたの」客「何、うらを着るもので」(一)女郎買に初めて行った時をいう(εうらは二度目の見参 (弓恋川春町の黄表紙『金々先生栄花夢』の画より、主人の ...
21. 江戸小咄集 1 190ページ
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22. 江戸小咄集 1 340ページ
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ている。草書の二の上に、Nがついているので六に見える。これは彫刻の際のミスか (三)安永四年恋川春町作黄表紙『金々先生栄華夢』の主人公。洒落たスタイルをしている ...
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百福茶大年咄三 冊天明九年 天明三年に恋川春町作並びに画の『節季夜行』という黄表紙がある。この書は本文の川柳の下に絵が入っている。その川柳をけずり、噺に入れかえ ...
24. 江戸小咄集 1 371ページ
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ることを忘れては困るのである。 春町は駿河小島侯の臣、倉橋寿平。小石川春日町に住んでいたので恋川春町と称した。画は鳥山石燕に学んだので、著作物は自画作が多い。寛 ...
25. 江戸小咄集 1 383ページ
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〃〃〃〃〃安永五〃〃大野卜伝来風山人不知足散人鳥居清経画青木宇千籠耳斎聞取霊松道撰勝川春好画恋川春町富川吟雪画〃鳥居清経画鳥居清経画多甫先生東紫画志滴斎整口畔市 ...
26. 江戸小咄集 2 411ページ
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〃一 〃五 〃一 〃一 〃一 文化三一 文化三一 〃二 〃三笑亭可楽立川銀馬瓢亭百成辰斎画二世恋川春町二世歌麿画浪花一九松峯画同同立川銀馬瓢 子浪速一九松 峯 ...
27. 江戸時代(年表)
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刊1789(寛政1)7月 幕府『孝義録』の編纂開始。三浦梅園『贅語』。中井竹山『草茅危言』。恋川春町『鸚鵡返文武二道』1790(寛政2)洒落本の版行禁止。書籍出 ...
28. 『鸚鵡返文武二道』
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1789年〈寛政元(1・25) 己酉⑥〉 この年 恋川春町 『鸚鵡返文武二道』 刊。  ...
29. 鸚鵡返文武二道
世界大百科事典
黄表紙。3冊。恋川春町(こいかわはるまち)作,北尾政美(まさよし)画。1789年(寛政1)刊。延喜の御代,菅秀才(かんしゆうさい)が輔佐の臣として武を奨励したが ...
30. おうむがえしぶんぶのふたみち【鸚鵡返文武二道】
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31. おうむがえしぶんぶのふたみち[アウムがへしブンブのふたみち]【鸚鵡返文武二道】
日本国語大辞典
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32. 小島藩
日本大百科全書
や足軽仲間(ちゅうげん)制の採用は、身分制を否定するものである。また黄表紙(きびょうし)作家恋川春町(こいかわはるまち)(倉橋格(くらはしかく))は小島藩江戸詰 ...
33. おじまはん【小島藩】
国史大辞典
村々にすすめ、紙年貢の収奪など、注目すべき藩政の展開を見た。また江戸で浮世絵師・黄表紙作者として名のある恋川春町、また狂歌師としては酒上不埓(さけのうえのふらち ...
34. おじまはんじんやあと【小島藩陣屋跡】静岡県:清水市/旧庵原郡地区/小島村
日本歴史地名大系
た。なお長く江戸留守居役を勤めていた藩士の倉橋格は、黄表紙作者恋川春町(狂歌師としては酒上不埒と名乗る)として知られる。恋川春町の名は藩の江戸上屋敷が小石川春日 ...
35. おののばかむらうそじづくし[をののばかむらうそジづくし]【小野〓〓字尽】
日本国語大辞典
滑稽本。一冊。式亭三馬作。角書「道外節用」。文化三年(一八〇六)刊。恋川春町作・画の黄表紙「郭〓費字尽(さとのばかむらむだじづくし ...
36. 親敵討腹鞁
世界大百科事典
黄表紙。2冊。朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)作,恋川春町画,1777年(安永6)刊。〈かちかち山〉の後日譚で,子狸に親の敵とねらわれた兎が義理に迫られて切 ...
37. 勝川春章[文献目録]
日本人物文献目録
春章』大曲駒村『勝川春章』-『勝川春章』木村捨三『勝川春章』木村荘八『勝川春章を扱っている黄表紙 恋川春町作其返報怪談』森銑三『勝川春章と其門下』藤懸静也『勝川 ...
38. かんせい・きょうわき【寛政・享和期】
国史大辞典
しかし外交問題は、この期間にはこれ以上進展せず、課題は次代にもちこされた。文化面では、寛政元年に恋川春町『鸚鵡返文武二道』、石部琴好『黒白水鏡』ができたが、寛政 ...
39. きたがわは【喜多川派】
国史大辞典
また歌麿が鳥山石燕の弟子であることから、石燕派の一岐ともいえる。石燕派には彼のほかに栄松斎長喜・恋川春町・歌川豊春が属する。喜多川派は寛政年間(一七八九―一八〇 ...
40. きたがわ-はるまさ【北川春政】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代後期の浮世絵師。喜多川歌麿風の肉筆美人画や読み本の挿絵をえがく。恋川春町の門人ともいわれ,文化8年(1811)の「朝顔日記」の挿絵など,享和-文 ...
41. 黄表紙
日本大百科全書
草双紙(くさぞうし)の一態。『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』(恋川春町(こいかわはるまち)作・画)が刊行された1775年(安永4)から、『雷太 ...
42. 黄表紙
世界大百科事典
を排除して,荒唐無稽な構想・表現による滑稽をもっぱらねらったもので,1775年(安永4)刊の恋川春町(こいかわはるまち)画作《金々先生栄花夢(きんきんせんせいえ ...
43. き‐びょうし【黄表紙】
デジタル大辞泉
二つ折りの半紙5枚で1巻1冊として2、3冊で1部としたが、しだいに長編化して合巻(ごうかん)に変わった。恋川春町・山東京伝などが代表的な作者。  ...
44. き‐びょうし[:べウシ]【黄表紙】
日本国語大辞典
おりまぜた大人むきの絵入り小説。半紙二つ折本で、一冊五枚から成り、二、三冊で一部とした。代表的な作者として恋川春町、山東京伝らがいる。*西洋道中膝栗毛〔1870 ...
45. きびょうし【黄表紙】
国史大辞典
相手とするものがあらわれ、黄色表紙をかけるのを通例として、黄表紙と呼ばれた。安永四年(一七七五)恋川春町(こいかわはるまち)画作『金々先生栄花夢』がその最初とさ ...
46. 黄表紙 16ページ
日本古典文学全集
神銭論にいわゆる、是を得るものは前にたち、これを失ふものは後にたつと。それ是、これを言ふかと云云。画工 恋川春町戯作 [春町] 〔序〕 古人の文章によると。中 ...
47. 黄表紙 35ページ
日本古典文学全集
きやつとも言つて見ろ」鬼七「もとの白鬼がましじやもの。嶋ならこうした憂き目はせまい」お福「料簡して下んせ」[恋川春町画 [春町]] 古くから言われている言葉だ ...
48. 黄表紙 42ページ
日本古典文学全集
鐘於引揚志処耳、非鬼七而存之外成者罷出候、是作者茂毛頭不知事御座候。作者 喜三二 [喜三二]画工 恋川春町 [春町]版元鱗形屋「東西〳〵、高うはござりますれ共、 ...
49. 黄表紙 66ページ
日本古典文学全集
夢中に授かる従夫以来記、わるひ所はお授けなされた太子様のせいにするでもなひス。万象亭 竹杖すがる述 〔序〕 恋川春町作画の黄表紙(袋入)『無題記』(天明元年〈 ...
50. 黄表紙 152ページ
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』である。鸚鵡(『鸚鵡言』を暗示)と九官鳥は人真似をする鳥。以上述べたとおり。文末につける。恋川春町が晩年に用いた号で、印章は盃の中に「寿」。 ...
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一七四四-八九。江戸時代中・後期の戯作者。駿河小島藩一万石松平家の臣。本名は倉橋格、通称寿平、狂歌名は酒上不埓、寿山人とも号す。筆名は藩邸のある小石川春日町にかけ、また浮世絵師勝川春章の名に似せたものである。延享元年(一七四四)生まれる。二十歳の時に伯父倉橋忠蔵の養嗣子となって


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