第278回
「だらしない」は言い間違いから生まれた?

 幼児が「とうもろこし」のことを「とうもころし・・・」と言ったり、「エレベーター」のことを「エベレ・・ーター」と言ったりしているのを聞いたことは無いだろうか。
 このようなひとつの単語の中の隣接する音が位置を交換させてしまう現象を、言語学では「音位転倒(転換)」(metathesis〈メタテシス〉)などと言う。
 第72回で取り上げた「雰囲気」も、正しい読みの「ふんいき」ではなく「ふいん・・き」と読む人が増えていて、この「ふいん・・き」も音位転倒であると説明されることが多い。ただし、この「ふんいき→ふいん・・き」に関しては、言語学者の間では音位転倒であるという考えを疑問視する立場も存在する。
 音位転倒はたまたま言い間違いで起きることも少なくないのだが、それが固定化して語形変化を起こしたものもある。今回取り上げる「だらしない」もそのひとつだと言われている。どういうことかというと、「だらしない」は、行いや状態に締まりがない、乱雑で秩序がないという意味の「しだらない」の「しだら」が音転して生まれたと考えられている。
 式亭三馬が書いた滑稽本の『浮世床』(1813~23)には、「しだらがないといふ事を『だらし』がない、『きせる』を『せるき』などいふたぐひ、下俗の方言也」という説明がある。
 ここでいう「方言」とは特定の社会で使われる隠語のことである。このことから、「だらしない」は、隠語的なことばとして、一般庶民の間に広まっていった可能性も考えられる。話はそれるが、「キセル(煙管)」を「セルキ」と言っていたなどと、現在でも隠語として「サングラス→グラサン」「マネジャー→ジャーマネ」と言うのと同様の発想が江戸時代からあったというのはたいへん興味深い。このように意識的・作為的に音を転倒させることも広い意味での音位転倒である。
 話を戻そう。もとの語の「しだらない」の語源はどうかというと、江戸時代の国学者喜多村信節(のぶよ)が著した随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830年序)には、「じだらく(自堕落)」からという説が紹介されている。
 だが、近年は秩序がなく乱れているという意味の「しどろ」と関係があるという説の方が有力のようだ。「しどろ」は現在では単独で用いられるよりも、それを強めた言い方「しどろもどろ」の形で使われることの方が多いであろう。「もどろ」も乱れまぎれるさまの意味である。
 「しだらない」の「しだら」が「しどろ」と関係があるとすると、前回話題にしたように「ない」は否定の「ない」ではなく、「はしたない」「せわしない」などと同じ、その意味を強調する形容詞を作る接尾語の「ない」ということになる。
 「しだらない」→「だらしない」のように変化した語は他にも、「あらたし」→「あたらしい(新しい)」、「さんざか」→「さざんか(山茶花)」などがあると考えられている。

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