1. 『難太平記』
日本史年表
1402年〈応永9 壬午〉 2・‐ 今川了俊, 『難太平記』 を著す。 ...
2. 難太平記
日本大百科全書
子孫に正しく伝えることを目的とし、結果的に『太平記』の記述を部分的に修正することにもなっている。『難太平記』の書名は後人の命名であろう。内容は、足利尊氏(たかう ...
3. 難太平記
世界大百科事典
今川貞世(了俊)の著作。1402年(応永9)2月,了俊78歳のとき成立した。題名は《太平記》を批判するという意味である。しかし,これは後人の命名で,了俊の意図が ...
4. なんたいへいき【難太平記】
デジタル大辞泉
室町時代の史書。1巻。今川了俊著。応永9年(1402)成立。今川一族の家系・歴史・功績などを記し、「太平記」の記述を訂正する箇所が多い。 ...
5. なんたいへいき【難太平記】
日本国語大辞典
子孫のために書き残したもの。文中「太平記」の誤謬を指摘し、反対訂正している箇所が多く、後人によって「難太平記」と称されるようになった。ナンタイヘ ...
6. なんたいへいき【難太平記】
国史大辞典
[参考文献]川添昭二『今川了俊』(『人物叢書』一一七)、桜井好朗「難太平記考」(『中世日本人の思惟と表現』所収)、杉山次子「難太平記の諸本について」(『軍記と語 ...
7. 青野原の戦い
日本大百科全書
府軍を美濃(みの)青野原(岐阜県大垣市赤坂町)で破った戦い。北畠軍は『太平記』に50万騎、『難太平記』に30万騎とあるが、北条時行(ときゆき)の率いる北条氏残党 ...
8. あか‐とり【垢取・赤鳥】
日本国語大辞典
今川範国(のりくに)が美濃国(岐阜県)青野原の合戦に用いて以来、子孫吉例としてこれを用いた。*難太平記〔1402〕「故殿笠じるしを思案し給ひけるに、あか鳥を馬に ...
9. あかとりのもん【垢取紋】
国史大辞典
馬の手入れ用具の垢取の形象を表現した家紋。赤鳥紋とも書く。今川氏の所用として著名であり、『難太平記』に、今川範国が赤坂の合戦の時、富士浅間宮の神託によって、笠 ...
10. 秋山記行・夜職草 184ページ
東洋文庫
九州探題となり、九州における足利一族の勢力確立に活動した。和歌、連歌にすぐれ、『今川大草紙』『落書露顕』『難太平記』『今川了俊書札礼』などの著書がある。 ...
11. 足利家時
日本大百科全書
生没年不詳。鎌倉後期の武将。頼氏(よりうじ)の子で室町幕府を開いた尊氏(たかうじ)の祖父にあたる。『難太平記(なんたいへいき)』によると、源義家(よしいえ)が7 ...
12. 足利家時
世界大百科事典
背負って立ったが,得宗専制体制への傾斜が深まるなか,足利氏は北条氏から外様視されていった。《難太平記》によると3代のうちに天下をとることを祈願して切腹したという ...
13. あしかがいえとき【足利家時】
国史大辞典
母は上杉重房の女。字は太郎。式部丞、従五位下伊予守。室は六波羅探題北条時茂の女。今川了俊の『難太平記』に、足利家には遠祖八幡太郎義家の置文なるものがあり、「我七 ...
14. あしかが-いえとき【足利家時】
日本人名大辞典
?−? 鎌倉時代の武将。足利頼氏の子。足利尊氏の祖父。「難太平記」によれば,先祖の源義家の遺書に,「7代後に生まれかわって天下をとる」とあり,家時はその代にあた ...
15. あと‐つぎ【跡継・後継】
日本国語大辞典
〔名〕(1)家督を継ぐこと。また、その人。よつぎ。あととり。家督相続人。*難太平記〔1402〕「我等上意に叶て、故殿隠居のいとま申されて為 ...
16. あべかわ【安倍川】静岡県:静岡市
日本歴史地名大系
日、下流部西岸の手越河原で足利直義と新田義貞の両軍が戦い、新田軍が勝利している(「太平記」「難太平記」など)。「言継卿記」弘治二年(一五五六)九月二四日条に「自 ...
17. あんていき【安定期】 : 室町幕府
国史大辞典
上意
さしおかれ申す」(『
難太平記』)と評したように、露骨に弱みにつけ込む政策であったが、こうした過程で全国の守護職の大半は家
...18. 今川貞世
世界大百科事典
く,晩年は和歌・連歌の教導にあけくれ,冷泉歌学を体系化した。弟子に正徹がいる。代表的作品に《難太平記》(1402),《二言抄》(1403),《言塵集》(1406 ...
19. いまがわさだよ【今川貞世】
国史大辞典
貞世著作の紀行文として『道ゆきぶり』(偽作とする意見もある)、『鹿苑院殿厳島詣記』がある。『難太平記』は今川家に関する所伝や、応永の乱における貞世自身の立場につ ...
20. いまがわしきょかん【今川氏居館】静岡県:静岡市
日本歴史地名大系
戦国大名となった今川氏の居館。暦応元年(一三三八)今川範国が駿河守護に補任され(「難太平記」など)、永禄一一年(一五六八)暮れに今川氏真が武田信玄によって駿河国 ...
21. いまがわのしょう【今川庄】愛知県:西尾市
日本歴史地名大系
以て名字と為す。今も吉良荘内に上下今川村存す」とあり、ある時期に吉良庄内にあったことがわかる。また「難太平記」に「今川庄をば、左馬入道の御時より長氏の少年の御時 ...
22. 今川了俊
日本大百科全書
武門の人でありながら、冷泉歌学の伝統を守り、歌論書、連歌学書、紀行文、故実書など多くの著作を残した。著書に『難太平記』がある。上田純一 ...
23. いまがわ‐りょうしゅん【今川了俊】
デジタル大辞泉
り、九州の南朝方を制圧。その後、足利氏満との共謀の疑いを受け引退。和歌・連歌にすぐれた。著「難太平記」「今川大双紙」など。 ...
24. いまがわ‐りょうしゅん【今川了俊】
日本国語大辞典
九州探題となり、九州を制圧。のち駿河守護。歌を冷泉為秀(れいぜいためひで)に学び、「二言抄」「言塵集」「難太平記」「了俊弁要抄」などを著わす。「今川状」の著者と ...
25. いまがわ-りょうしゅん【今川了俊】
日本人名大辞典
冷泉(れいぜい)為秀にまなび,歌人としても知られた。応永19-25年ごろ死去。名は貞世(さだよ)。著作に「難太平記」「今川状」「二言抄」など。【格言など】衆人の ...
26. うえすぎのりふさ【上杉憲房】
国史大辞典
字は雪谿。杉谷と号し、瑞光院と称した。足利尊氏の生母清子の兄として尊氏の信頼が厚く、今川了俊の『難太平記』によれば、元弘三年(一三三三)尊氏が鎌倉幕府に反旗をひ ...
27. うえすぎのりふさ【上杉憲房】 : 上杉憲房/(一)
国史大辞典
字は雪谿。杉谷と号し、瑞光院と称した。足利尊氏の生母清子の兄として尊氏の信頼が厚く、今川了俊の『難太平記』によれば、元弘三年(一三三三)尊氏が鎌倉幕府に反旗をひ ...
28. うしろ‐あわせ【後ろ合(わ)せ】
デジタル大辞泉
ていること。背中合わせ。「―に立つ」 2 あべこべ。反対。逆の方向。 「両人の異見―なり」〈難太平記〉 ...
29. うしろ‐あわせ[:あはせ]【後合】
日本国語大辞典
けて」(2)(比喩的に)ものごとが食い違うこと。互いに正反対になること。仲が悪くなること。*難太平記〔1402〕「両人の異見うしろあはせなり。きよき武者の心は同 ...
30. うじこ【氏子】
国史大辞典
いわば氏人のいっそう精神的な面を強調すべく「氏子」という語が出現したと考えられる。そしてその後も『太平記』『難太平記』、謡曲『桜川』などではその傾向のもとに用い ...
31. おく‐ぜい【奥勢】
日本国語大辞典
*太平記〔14C後〕一九・奥州国司顕家卿上洛「され共先一番に渡りつる奥(ヲク)勢の人馬に、東岸の流せかれて」*難太平記〔1402〕「建武四年やらん、康永元年やら ...
32. かさはらのまき・かさはらのしょう【笠原牧・笠原庄】静岡県:小笠郡
日本歴史地名大系
聖・供米配分状案」同文書)、次いで北畠親房(年月日未詳「旧記写」徴古雑抄)の所領であった。「難太平記」によると、今川了俊は南北朝中期に闕所であった当庄を望んだが ...
33. かんのうじょうらん【観応擾乱】
国史大辞典
師直の執事復職はいうまでもない。この間における尊氏の動きは不可解な要素が多いが、今川了俊が『難太平記』で述べているように、彼の真意は政務の直義から義詮への移譲に ...
34. 楠流
日本大百科全書
のきまさしげ)の兵略・戦術を祖述した、近世兵学の流派。すでに戦国武将のなかには、『太平記』『難太平記』などの軍記物を治政や軍略の指南書とみる者が現れた。さらに江 ...
35. ぐんしょるいじゅう【群書類従】
国史大辞典
三九五 阿州将裔記・三好家成立之事・三好別記・十河物語 三九六 予章記 三九七 大友記 三九八 難太平記・上月記・荒木略記 三九九 親房卿被贈結城状・吉野御事書 ...
36. 高氏
日本大百科全書
に仕えた。足利家時(いえとき)の置文(おきぶみ)は師氏(もろうじ)に宛(あ)てられている(『難太平記』)。南北朝時代には、師重(もろしげ)の子高師直(こうのもろ ...
37. こうし【高氏】
国史大辞典
に三河に移り、額田郡日志賀・菅生の郷司職を相伝、重氏は足利頼氏・家時二代の執事をつとめた。『難太平記』にみえる足利家時の置文は重氏の子師氏に宛てられており、師氏 ...
38. 幸若舞 2 景清(かげきよ)・高館(たかだち)他 174ページ
東洋文庫
るが、前征夷大将軍の居所または将軍の父の居所の意に解している。また前将軍その人をさす例は、『難太平記』(『類従』三九八)にあって、『貞丈雑記』巻二にも「大御所と ...
39. こてさしはら【小手指原】埼玉県:所沢市地図
日本歴史地名大系
鎌倉攻略のため武蔵国へ入り女影原(現日高市)で足利直義軍と対戦(梅松論)、小手指原でも合戦があった(難太平記)。貞和四年(一三四八)四月の相馬胤家代康国申状案( ...
40. 篠村八幡宮
世界大百科事典
したと考えられる。義経は同荘を法華山寺開山の円朗に寄進し,以後中世を通じて同寺領となった。《難太平記》によれば,足利尊氏は1333年(元弘3)4月,当八幡の社頭 ...
41. しのむらはちまんぐう【篠村八幡宮】京都府:亀岡市/篠村
日本歴史地名大系
尊氏が当社に祈願し、兵を挙げて六波羅(現京都市東山区)を攻めたことは、「梅松論」「太平記」「難太平記」などによって明らかである。この時、尊氏が当社に納めた願文が ...
42. 修験道史研究 335ページ
東洋文庫
此記の作者は宮方深重の者にて、無案内にて押て如レ此書たるにや窺に尾籠のいたりなりとは、 『難太平記』において今川了俊が『太平記』の作者の立場につき論じた言とし ...
43. 修験道史研究 18ページ
東洋文庫
279とりかえばや物語 73 ナ仲資王記〈元久元・9・16〉 86難太平記 335入唐求法巡礼行記 369蜷 ...
44. するがのくに【駿河国】静岡県
日本歴史地名大系
降、当国が山東・山西と東西二つの地域に区分されていたと考えられる。今川了俊(貞世)の著した「難太平記」に、応永二年(一三九五)の駿河守護今川泰範在職中に、泰範の ...
45. そら‐ものぐるい[:ものぐるひ]【空物狂】
日本国語大辞典
水のはしのしたの乞食の説法事「徳をかくさんとおもはば、そらものくるひをすべしなど侍ぞかし」*難太平記〔1402〕「猶世に憚りて空物狂になり給ひて、其代は無為に過 ...
46. 太平記
日本大百科全書
州探題として足利政権の確立に貢献した今川貞世(いまがわさだよ)(了俊(りょうしゅん))の著『難太平記(なんたいへいき)』によれば、暦応(りゃくおう)(1338~ ...
47. 太平記
世界大百科事典
近江ノ国ノ住人〉とある。さらに,歌人,武人として高名であった今川了俊(貞世)が1402年(応永9)に著した《難太平記》には《太平記》の成立に関し注目すべき記述が ...
48. たいへいき【太平記】
国史大辞典
南北朝内乱期を描いた軍記物語。四十巻。成立と作者については明らかでないが、『難太平記』の記述によれば、暦応元年(延元三、一三三八)から観応元年(正平五、一三五 ...
49. 太平記 30ページ
日本古典文学全集
法勝寺の住持となり僧正に任ぜられる。→巻二「東使上洛円観文観等召し捕りの事」。恵鎮は、今川了俊『難太平記』によれば、足利直義のもとへ「太平記三十余巻」を持参して ...
50. 太平記 35ページ
日本古典文学全集
に玄恵がいたとある。建武三年の『建武式目』の制定編者八人に玄恵が入っていることは、今川了俊『難太平記』が推測させる玄恵中心の『太平記』改訂作業の存在とともに、玄 ...