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キューバ革命

ジャパンナレッジで閲覧できる『キューバ革命』の改訂新版・世界大百科事典のサンプルページ

キューバ革命
キューバかくめい

フィデル・カストロの指導のもとにキューバで行われた,ラテン・アメリカにおける最初の社会主義革命。

反乱の開始

〈すべてはモンカダから始まった〉といわれるように,キューバ革命は,1953年7月26日,カストロが率いる反乱グループが東部オリエンテ州のサンチアゴ・デ・クーバ郊外にあるモンカダ兵営を襲撃することによって始まった。襲撃の狙いは,兵営を占拠して武器を奪取し,ラジオ放送を通じて前年3月にクーデタで政権に就いたF.バティスタを打倒するよう全国民に呼びかけることであった。しかしこの襲撃は失敗に帰し,多くの者が殺されたり,捕らえられたりした。指導者のカストロは当時,人民党と呼ばれる改良主義的な政党に属しており,反乱に参加した百数十人の青年たちの多くも,キューバの中産階級に属していた。キューバでは1945年以来真正党が政権に就いており,この政府は,1940年に制定された,大土地所有の制限や農民の保護,労働者の地位保障,工業化などを定めた進歩的な憲法を実施するものとして期待されていたが,実際にこの政府のもとで行われたのは組織労働者の状態の若干の改善や,道路や住宅の建設といった程度にすぎず,農村の貧困は放置され,政府内には汚職や腐敗がはびこっていた。このような状態に不満をもった真正党内の分子が清潔な改良主義の政治を目ざして結成したのが人民党であった。このようにキューバ革命のイデオロギー上の出発点はマルクス=レーニン主義ではなく,民族主義的な改良主義であった。

ところで,襲撃に失敗し捕らえられたカストロは裁判にかけられ,ここで有名な〈歴史は私に無罪を宣告するであろう〉という自己弁論を行ったのである。カストロらはやがて恩赦により出獄し,56年に反バティスタ闘争の準備のためメキシコに渡り,そこで既存の改良主義政党とは絶縁した独自の組織である〈7月26日運動〉を結成した。メキシコでE.ゲバラ(愛称チェ・ゲバラ)を同志として受け入れたカストロらはゲリラ戦の訓練を積んだのち,56年11月グランマ号で再び武力でバティスタを打倒すべくキューバに向かった。

ゲリラ戦による権力奪取

キューバに上陸した彼らはバティスタ軍に迎撃され,かろうじて生き残った30人の同志はオリエンテ州のマエストラ山脈中に逃げ込み,そこで新たにゲリラ戦による反バティスタ闘争を開始した。反乱軍は農民の支持を受け,しだいに勢力を強めてゆく一方で,都市部での組織の強化に努めた。キューバの広範な社会階層が反バティスタ勢力として結集してゆくにつれ,バティスタもこれらの勢力に厳しい弾圧を加えた。そのため彼はますます孤立してゆき,58年3月にはアメリカ合衆国政府もバティスタ政権に対する武器援助を停止した。同年4月,〈7月26日運動〉はバティスタ政権に決定的打撃を与えるため,キューバ全土でのゼネストを呼びかけたが,これは準備不足などの理由で失敗した。4月ストの失敗で勢いづいた政府側は約1万2000の軍隊でマエストラ山脈に大攻勢をしかけたが,政府軍の中から寝返りが続出したことや,当時の政府軍が対ゲリラ戦向きに訓練されていなかったことなどから,結局この大攻勢は失敗に終わった。カストロらは反撃に転じてキューバ中部に軍事的に進出し,総勢約3000人に達した反乱軍はしだいにハバナ包囲網を縮めていった。59年1月1日,完全に孤立したバティスタ政権はついに崩壊し,代わって革命政権が樹立された。

革命の進展

革命政権は59年5月に第1次農業改革法を実施し,キューバ社会の構造改革に着手した。農業改革法の実施を契機に革命政権内の穏健派が革命から脱落するとともに,アメリカ政府との関係も悪化し始めた。アメリカの莫大な権益が存在していたキューバで国内の構造改革を行えば,それがアメリカとの対立に発展することは不可避であった。60年2月,キューバとソ連との間に貿易援助協定が締結されたのが革命にとっての一つの転機となった。それにより,アメリカ政府はキューバ糖の輸入を停止するなど革命政権に対する敵視をますます強め,一方,キューバ側も同年8月には在キューバのアメリカ系企業を国有化するなど,両国の関係は悪化の一途をたどり,61年1月,両国政府はついに国交を断絶した。同年4月,アメリカ政府に支援された反革命軍がキューバのヒロン海岸に侵攻したが,キューバ軍はそれを撃退し,その侵攻直前にカストロ首相はキューバの社会主義革命を宣言した。

一方,キューバは1960年9月に第一ハバナ宣言,62年2月に第二ハバナ宣言を発表し,ラテン・アメリカにおける〈アメリカ帝国主義〉との闘争を積極的に呼びかけて,ラテン・アメリカにおける新しい革命運動の中心となった。ソ連を中心とする社会主義諸国との関係もますます強めてゆき,62年10月のいわゆる〈キューバ危機〉事件でキューバ・ソ連関係は一時冷却したが,その後まもなく関係は修復された。60年代の半ば,西半球のなかで孤立を深めていたキューバは,国内的には社会主義と共産主義との並行的建設,対外的にはラテン・アメリカにおける武力革命への積極的支援という急進的な路線をとったが,この路線も結局行き詰まり,70年代に入るや,国内的には経済建設と革命の制度化を,対外的にはソ連・東ヨーロッパ社会主義諸国との一体化を目ざした,より現実的な路線をとるようになった。
→キューバ
[加茂 雄三]

[索引語]
カストロ,F. モンカダ兵営 バティスタ,F. 人民党(キューバ) 真正党 7月26日運動 ゲバラ,E.C. グランマ号 マエストラ山脈 ヒロン海岸 ハバナ宣言
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