俳人目安帖

俳人・中村裕氏による連載エッセイ。毎回、著名な俳人がその作品中で多用した単語、特に好んだ言葉や場面などを取り上げ、俳句の鑑賞を通じて作者の心中や性向を探ります。

龍之介 彫琢す~芥川龍之介~

文人俳句というジャンルがあるが、果たしてジャンルとまで言ってよいものか、判断に迷う。俳句を専門としない文筆家のつくる俳句といわれても、俳句を専門にするとは、具体的にどういったことなのかという難問があるし、文人というものの実態ももはや失われている。それにたとえば久保田万太郎は戯曲や小説が本業なのだから、その俳句は文人俳句とすべきとする向きがあるが、その独自の俳句作品は並みの俳人の遠く及ばない域に達している。だからあまり窮屈に考えずに、明治から昭和にかけて、まだ文人という言葉が生きていた頃の、文学者たちのつくった俳句とゆるく定義しておきたい。
芥川龍之介の俳句は、その文人俳句の中でも屈指に数えられるもののひとつである。

  • 蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
  • 木がらしや東京の日のありどころ
  • 癆咳(ろうがい)の頬美しや冬帽子
  • 木がらしや目刺にのこる海のいろ
  • 元日や手を洗ひをる夕ごころ
  • 春雨や檜は霜に焦げながら
  • 水洟や鼻の先だけ暮れ残る
  • 兎も片耳垂るる大暑かな
  • 青蛙おのれもペンキぬりたてか
  • 初秋の蝗つかめば柔らかき

作句は幼少の頃から始め、「余技は発句の外には何もない」というほどうち込む。「ホトトギス」に投句したり、新傾向の俳人や飯田蛇笏と交流したりするだけでなく、芭蕉や古俳句を広く渉猟したためもあって、その作風は古調をおび、端正だが、哀感のまさった佳句が多い。とても「余技」、一小説家の手すさびどころではない。

どの句も精緻で計算されつくした技巧が冴え、見事な完成度をみせている。「蝶の舌」を萩原朔太郎は「何の俳味も詩情もない。単なる才気だけの作品である」と評したが、いったいこの句のどこを見ているのだろうか。冷たい金属の機械であるゼンマイを、花の蜜を吸っている蝶の舌に擬したことで、「暑さかな」の詠嘆は、より重量感を増して感じられてくる。ただこの句の初形は「鉄条に似て蝶の舌暑さかな」。七五五の破調だが、この方がより強く蝶の舌に焦点が合って、句としては強いのではないだろうか。「兎も」のような破調の句をどうどうとつくっているのに、スタイリスト龍之介としては、この句に限っては句調を整えたかったのだろう。「元日や」と「水洟や」は、龍之介の代表句として衆目の一致するところだろう。中でも「自嘲」と前書された「水洟や」は、昭和2年7月24日未明、自殺する直前に、家人に主治医に渡すようにと頼んだことで名高い句。その数年前につくってあった句だが、実質的な辞世句である。漱石が推賞した『鼻』が龍之介の出世作だったわけだから、この句の中の「鼻」は見過ごせない意味を持っている。前書でいう自嘲は、文学者としての自分の才能にまで及んでいるのである。

文人俳句として、龍之介とよく比較されるのは夏目漱石である。子規の友人であったのだから、俳人としては、こちらの方が筋がよいといえる。「叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉」「物や思ふと人の問ふまで夏痩せぬ」「秋の江に打ち込む杭の響かな」「腸〈はらわた〉に春滴〈したた〉るや粥の味」「霧黄なる市に動くや影法師」「有る程の菊抛〈な〉げ入れよ棺の中」などの佳句をみれば、俳人としても一流だったことがわかる。しかし独自性という点になると、どうだろうか。龍之介には一歩及ばないような気がする。確かに取材する世界は漱石の方が広いし、なんでもソツなく詠んでいる。それをもって俳人としての柄は漱石の方が大きいとする評者が多い。龍之介の俳句で扱う世界は、自分の好みによって狭められているから、確かにそうもいえるが、独自な俳句世界を切り開いたという点では、龍之介に軍配が上がるのではないだろうか。

龍之介は小説や評論に臨むのと同じ真剣さで俳句にも臨んだ。その小説において、次々に新しいスタイルを工夫して、新しい小説世界を切り開いていったのと同様に、俳句においても、文体に徹底した彫琢を加え、既存の俳句的世界や情緒にとどまることなく、独自の世界を切り開いたのである。

2005-05-16 公開