俳人目安帖

俳人・中村裕氏による連載エッセイ。毎回、著名な俳人がその作品中で多用した単語、特に好んだ言葉や場面などを取り上げ、俳句の鑑賞を通じて作者の心中や性向を探ります。

波郷は切字響きけり石田波郷(いしだはきょう)

石田波郷の第一句集『鶴の眼』は、水原秋桜子を頼って上京した昭和7年から14年にかけての作品をまとめたものである。

  • 草負うて男もどりぬ星まつり
  • ひるがほのほとりによべの渚あり
  • はたはたや体操のクラス遠くあり
  • 秋の暮業火となりて(きび)は燃ゆ
  • プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ
  • 檻の鷲さびしくなれば羽()つかも
  • バスを待ち大路の春をうたがはず
  • あえかなる薔薇撰りをれば春の(らい)
  • 日出前五月のポスト町に町に
  • 萩青き四谷見附に何故か()
  • 吹きおこる秋風鶴をあゆましむ

甘美な馬酔木調そのもので、表現や調べに少しの渋滞もなく、のびのびと叙情性がうたいあげられている。大雑把に分けて、俳句には「取合せ物」と「黄金を打ちのべたるが如き物」の二種類があるとすると、これらの波郷の句は、だいたいが黄金を打ちのべたるが如き物に属する。波郷の句に目を曝したとたんに感じるスピード感、上昇感、一陣の風に巻き込まれてしまうような感じは、そのことに因るのだろう。

また、これら作品を一読して気がつくのは、切れ字がすっかり鳴りをひそめていることだ。その後の波郷俳句を知るものにとっては、首を傾げたくなるほど、切れ字が少ない。というのは第二句集『風切』(昭和18年刊)では、いやというほど切れ字が多用されているからである。この時期、新興俳句の勃興に対抗するように、波郷はさかんに韻文精神の必要性を唱え、そのための切れ字の使用を訴える。そのゆきつくところ、一句中での二つの切れ字の使用まで容認してしまう。「機織や田は植ゑられて了ひけり」「胸の手や暁方は夏過ぎにけり」「鮎打つや天城に近くなりにけり」「南天や八日は明日となりにけり」といったぐわいに、上五を「や」で切り、下五を「けり」でさらに切る。やはり句としてあまり成功しているとはいえない。読者としては上昇感というより失速感を覚える。

さらにこの『風切』で奇異に感じるのは、彼の代表句とされるような佳句と、戦時体制下の反映である皇国俳句との混在である。

  • 女来と帯()き出づる百日紅
  • 初蝶や吾三十の袖袂
  • 朝顔の紺の彼方の月日かな
  • 顔出せば(もず)(ほとばし)る野分かな
  • 琅玕(ろうかん)や一月沼の横たはり
  • 万緑を顧みるべし山毛欅(ぶな)

このような佳句に混じって、次のような皇国俳句もしっかりと位置を占めているのが『風切』なのである。

  • 土用波()ちてしやまむ門出かな
  • 白露やはや畏みて三宅坂
  • 文芸や国力なす菊の前
  • 唇舐めて英霊に礼す冬旱(ふゆひでり)

『風切』の出た年に、波郷は「風切宣言」というマニフェストを書いている。
「自分たちは現代俳句の左の三つの方向を矯正したい。(中略) 一、俳句表現の散文的傾向 一、平板疎懶甘美なる句境 一、俳句の絶対的価値軽視 然し先づ何よりも、自分達は自らの俳句鍛錬の為に黙々砕身しなければならぬ。(中略) 一、俳句の韻文精神徹底 一、 豊穣なる自然と剛直なる生活表現 一、時局社会が俳句に要求するものを高々と表出すること」。

つまり「韻文精神徹底」と「時局社会が俳句に要求するものを高々と表出すること」は同一平面上でしっかりつながっていたのである。波郷のいう切れ字や韻文精神は、戦時体制下の国家や社会の要請に沿うものでもあったことは、俳句という文芸のもつある種の脆弱さをものがたっている。

2005-09-12 公開