1. 明治節
日本大百科全書
昭和前期の祝日。明治天皇の遺徳をしのび、明治時代を追慕する目的で制定された。明治天皇の誕生日である11月3日(天長節)があてられた。四方拝、紀元節、天長節と並ん
2. 明治節
世界大百科事典
記念して制定された祝日。1927年1月25日,貴族院,衆議院は明治節制定の建議を可決し,同年3月3日の詔書で,明治天皇の誕生日である11月3日を明治節と定めるこ
3. めいじ‐せつ[メイヂ‥]【明治節】
日本国語大辞典
《季・冬》*五百句〔1937〕〈高浜虚子〉昭和六年「慟哭せしは昔となりぬ明治節」*夢声戦争日記〈徳川夢声〉昭和一七年〔1942〕一一月三日「今日は明治節。昔から
4. めいじせつ【明治節】
国史大辞典
。そして宮中では、三殿での明治節祭の儀、宮殿での明治節の儀が行われた。明治・大正時代には、四方拝(元日)・紀元節(二月十一日)・天長節が「三大節」であったが、明
5. 明治節制定の詔書
日本史年表
1927年〈昭和2 丁卯〉 3・3 衆・貴両院の建議にもとづき 明治節制定の詔書 発布。
6. 以呂波引/明治節用集(著作ID:313304)
新日本古典籍データベース
いろはびき/めいじせつようしゅう 辞書 明治
7. 憲法記念日
日本大百科全書
国の成長を期する」趣旨の国民の祝日。同日が施行日となったのは、46年(昭和21)11月3日の明治節を公布日とし、半年の準備期間を置いたため。48年7月制定。この
8. 皇室祭祀
日本大百科全書
年祭や先后の式年祭などがある。小祭には歳旦(さいたん)祭(1月1日)、祈年祭(2月17日)、明治節祭(11月3日)、賢所御神楽(みかぐら)(12月中旬)、天長節
9. 皇室祭祀
世界大百科事典
新設され,明治節祭は1928年明治天皇の偉業をたたえてその誕生日を明治節としたとき新定,天長節祭は1870年天長節制定とともに創設された。しかし1948年の祝祭
10. こうしつさいしれい【皇室祭祀令】
国史大辞典
官僚を率いて親ら拝礼し、祭典は掌典長が行う。小祭は歳旦祭(一月一日)、祈年祭(二月十七日)、明治節祭(十一月三日)、賢所御神楽(十二月中旬)、天長節祭(天皇誕生
11. こく‐さい【国祭】
日本国語大辞典
之」(2)国の祝祭日。日本では、もと、四方拝・元始祭・紀元節・神武天皇祭・春季皇霊祭・秋季皇霊祭・天長節・明治節・神嘗祭・新嘗祭・大正天皇祭などがあったが、第二
12. 国家神道[宗教]
イミダス 2018
皇室つまり天皇崇拝に求めたのである。四大節(四方拝[新年]・紀元節[神武即位の日]・天長節[今上天皇誕生日]・明治節[明治天皇誕生日])などの国家の祝祭日には、
13. さん‐だいせつ【三大節】
日本国語大辞典
大祭日。元日の四方拝、二月一一日の紀元節、天皇の誕生日にあたる天長節の称。のちに一一月三日の明治節を加えて、四大節ともいった。*朝野新聞‐明治一九年〔1886〕
14. 在郷軍人会
世界大百科事典
,会員の相互扶助をその目的に掲げた。町村分会は,役場主催の四方拝,天長節,紀元節(昭和期には明治節を加えた4大節)の式典に参列して軍人勅諭の奉読を行い,また入営
15. しき【式】
日本国語大辞典
二「ぞーにをたべて、学校の祝の式(シキ)に、行きたり」*北京の幽霊〔1943〕〈飯沢匡〉四「明治節の式には参列して下さい」*道〔1962〕〈庄野潤三〉三「私たち
16. し‐だいせつ【四大節】
日本国語大辞典
もと祝日とされた四つの大きな節会の日。四方拝(一月一日)・紀元節(二月一一日)・天長節(四月二九日)・明治節(一一月三日)の総称。
17. 祝祭日
日本大百科全書
先帝崩御日(明治天皇祭、大正天皇祭)とが定着した。そして明治天皇祭の消失後は、そのかわりに新たに「明治節」(11月3日、明治期の天長節)を祝日に加えて、1945
18. 祝祭日
世界大百科事典
また昭和期に入ると明治天皇祭が大正天皇祭に代わり,明治節が新たに加わった。このため,戦前には祝日として四方拝(1月1日),紀元節(2月11日),天長節(4月29
19. しゅくさい‐じつ【祝祭日】
日本国語大辞典
新年(四方拝=一月一日)・新年宴会(一月五日)・紀元節(二月一一日)・天長節(四月二九日)・明治節(一一月三日)、大祭日として元始祭(一月三日)・春季皇霊祭(春
20. しゅくさいじつ【祝祭日】
国史大辞典
夏期のため天長節は十月三十一日に日延べされた。昭和二年(一九二七)貴衆両院建議により明治天皇誕生日が明治節(十一月三日)として祝日に加わった。これら祝祭日は、一
21. そうえんのば【奏演の場】 : 舞楽
国史大辞典
った。近年では、第二次世界大戦までは皇室行事の新年宴会(一月五日)・天長節(四月二十九日)・明治節(十一月三日)に豊明殿の南庭で奏された。現在は毎年春と秋の雅楽
22. ちゅう‐さい【中祭】
日本国語大辞典
の神社での祭祀の、格式上の等級の一つ。大祭に次ぐもので、歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭・明治節祭などの称。チューサイ
23. てんちょうせつ【天長節】
国史大辞典
なった。明治時代には四方拝(元日)・紀元節とともに祝日とされる三大節の一つ、大正以後は新設の明治節(明治の天長節)を加えての四大節の一つとされ、学校などでは他の
24. 東京年中行事 2 207ページ
東洋文庫
節設定の建議案が可決され、翌三年三月三日明治 節制定の詔書が公布されて、十一月三日を明治節 と制定された。戦後廃され、この日は国民の祭日 として
25. 特異日画像
世界大百科事典
ど多く,ある気象状態が現れる現象,あるいはその日のこと。たとえば11月3日文化の日は,もとは明治節であり,〈明治天皇の誕生日だから晴れる〉といわれたが,事実,統
26. 日本事物誌 1 207ページ
東洋文庫
九月二三日(または二四日)1皇祖の秋祭。 一〇月一七日-新穀を神に捧げる祭〔神嘗祭〕。 一一月三日-明治節(明治大帝の祭)。 一一月二三日-天皇が新穀を神に捧げ
27. 日本事物誌 2 22ページ
東洋文庫
11231め明治維新 1序15,121,140, 162,273,295-8明治節 1207明治天皇 140,92,
28. ひゃっかじしょ【百科辞書】
国史大辞典
全体が『百科全書』と名付けられた。民間でも、種々の実用百科事典があらわれたが、冨山房の『伝家宝典明治節用大全』はその代表といえよう。一方、諸制度の沿革などを知る
29. 百科事典
世界大百科事典
,新作の往来物などから学ぼうとした。こうした関心に応ずるために,伝統的な形式の実用百科事典が次々に現れたが,《明治節用大全》はその代表である。 欧化を推進した政
30. ぶがく【舞楽】画像
国史大辞典
った。近年では、第二次世界大戦までは皇室行事の新年宴会(一月五日)・天長節(四月二十九日)・明治節(十一月三日)に豊明殿の南庭で奏された。現在は毎年春と秋の雅楽
31. 文化の日
日本大百科全書
精神に基づき、平和と文化が強調されているが、この日を祝日としたのは、47年まで四大節の一つの明治節(明治天皇の誕生日)だったためもある。皇居で文化勲章の授章式が
32. ぶんか‐の‐ひ[ブンクヮ‥]【文化の日】
日本国語大辞典
この日に新憲法が公布されたことを記念して、昭和二三年(一九四八)に制定。文化勲章の授与などが行なわれる。もとの明治節。《季・秋》*第4ブラリひょうたん〔1954
33. めいじじんぐう【明治神宮】
国史大辞典
結婚式場の明治記念館(憲法記念館)や運動施設(野球場・水泳場・テニス場など)がある。例祭は十一月三日(旧称・明治節、すなわち明治天皇の誕生日)。そのほか四月十一
34. 明治神宮体育大会
日本大百科全書
月25日に竣工(しゅんこう)したのを記念して、内務省主催で第1回大会を10月30日から当時の明治節(現在は文化の日)にあたる11月3日まで開催したのが始まりであ
35. 夢の七十余年 西原亀三自伝 234ページ
東洋文庫
連れて行かれて終日わたしをひっぱりつけて閑談を交わされたのであった。虫が知らせたとでもいうのか、十一月三日明治節の日、何となく胸さわぎがするようなので、早朝家を
36. 【四大節(
)】しだいせつ
新選漢和辞典Web版
《国》昭和二十年(一九四五)以前の四つの祝日。四方拝(元日)・紀元節(二月十一日)・天長節(天皇誕生日)・明治節(十一月三日)をいう。
37. 1927年〈昭和2 丁卯〉
日本史年表
憲政会・政友本党、憲本連盟の覚書を交換(両党の合同を約す)。 3・3 衆・貴両院の建議にもとづき 明治節制定の詔書 発布。 3・14 片岡直温蔵相、衆議院予