NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文学
  6. >
  7. 古典文学
  8. >
  9. 枕草子
  10. >
  11. 清少納言

清少納言

ジャパンナレッジで閲覧できる『清少納言』の日本大百科全書・新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
清少納言
せいしょうなごん

生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔(もとすけ)であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭(うたのかみ)為成(ためしげ)、大宰少監(だざいのしょうげん)致信(むねのぶ)、花山院(かざんいん)殿上法師(てんじょうほうし)戒秀(かいしゅう)、藤原理能(まさとう)妻がいた。清原氏には和歌や漢学に精通した者も多く、恵まれた環境下に成人し、981年(天元4)のころ陸奥守橘則光(むつのかみたちばなののりみつ)と結婚し、則長をもうけたが、離別し、父元輔も990年(正暦1)に肥後守(ひごのかみ)として83歳で任地に没した。993年に一条(いちじょう)天皇の中宮定子(ていし)のもとに出仕し、約10年間の女房生活を送った。清少納言の清は清原氏を意味するが、なぜ少納言とよばれるかは明らかでない。多数の才媛(さいえん)に交じって才能を発揮し、藤原実方(さねかた)・同公任(きんとう)・同斉信(ただのぶ)・同行成(ゆきなり)らと交流し、快適な日々を過ごしたが、中宮の父道隆(みちたか)が没して政権は道長に移動し、中宮の兄弟の伊周(これちか)・隆家(たかいえ)が大宰権帥(ごんのそつ)・出雲権守(いずものごんのかみ)に左遷させられる事件が起こり、清少納言も道長方に内通しているといった噂(うわさ)をたてられて、私邸に籠居(ろうきょ)したこともあった。その間に初稿本の『枕草子(まくらのそうし)』を執筆して人々の賞賛を博す。再出仕後に増補するが、現存本の完成は、中宮が1000年(長保2)に崩御したのちのことである。
その後の清少納言の動静は明らかでない。摂津守(せっつのかみ)藤原棟世(むねよ)と再婚して歌人小馬命婦(こまのみょうぶ)をもうけているが、その時期についても諸説がある。『紫式部日記』は彼女の学才を疑い、他人と異なることを好む性向を批判するが、『枕草子』は中宮のめでたさを賛美し、自己の観察した世界を記す。赤染衛門(あかぞめえもん)や和泉式部(いずみしきぶ)ら女流歌人とも交流し、その明るい人柄は多数の人々から敬愛された。晩年は月輪(つきのわ)(京都市東山区月輪町)に隠棲(いんせい)し、宮仕え時代と比べると寂しい生活を送ったが、零落し、放浪したという『無名草子(むみょうぞうし)』『古事談』などの説話は事実ではなかろう。家集『清少納言集』がある。
[上野 理]



新版 日本架空伝承人名事典
清少納言
せいしょうなごん
966?‐1025?(康保3?‐万寿2?)
平安中期の女流文学者。父は歌人の清原元輔で、元輔五九歳の子という。実名は不明。「清少納言」は女房名で、「清」は清原姓、「少納言」は近縁の誰かの官職名と思われる。父方の曾祖父清原深養父ふかやぶは低位の官で終わったが、『古今和歌集』に多数入集した歌人で、紀貫之とも親交があった。父元輔は六二歳でようやく従五位になったが、歌人としては有名で、九五一年(天暦五)第二の勅撰集である『後撰和歌集』の撰者に選ばれ、「梨壺の五人」の一人に数えられた。橘則光と結婚して則長が生まれるが、やがて離婚。次いで藤原棟世との間に小馬命婦こまのみょうぶを設けている。九九三年(正暦四)冬頃から一条天皇の中宮定子ていしに仕えた。定子は藤原道隆(中関白と称する)の娘で、中関白家の隆盛時代、父元輔に似て才気縦横な清少納言は女房(侍女)にふさわしく、藤原道隆・伊周これちか公任きんとう・行成らとの機知の応酬にも力を発揮した。清少納言はこうした宮仕えの意義を認め、その体験から大切なこと、面白いことなどを手控えに書き綴っていた。『枕草子』の誕生である。宮中で定子との間に唐の白楽天(白居易)の詩「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香爐峰の雪は簾をかかげて看る」をめぐって、清少納言が無言のうちに絶妙なやりとりを行ったことは同書から知られる。定子の晩年には、藤原道長の女彰子しょうしが新たに一条天皇の中宮となり、定子は先の中宮である定子は「皇后宮」と号した。二后冊立という異常な事態で、不幸なことも多かったが、清少納言はその不幸を『枕草子』には書かず、定子の輝かしさを強調して回想することに努めた。
一〇〇〇年(長保二)に定子が急死し、清少納言の宮仕えは終わった。その後、父元輔の住居であった京都東山の月の輪に住み、晩年は心寂しく生きたらしい。しかし、勝気と知恵は衰えなかったようである。鎌倉初期の説話集『古事談』によると、あるとき殿上人が彼女の家の前を通りかかり、思わず「まったくひどい。清少納言も落ちぶれたものだ」と口にしたところ、簾から鬼のような尼の顔をした彼女が「駿馬の骨を買った人もいるよ」と言い返したという。これは中国の燕王えんおうが馬を好み、死んだ馬の骨を買ったという故事を踏まえ、「骨になっても名馬は買われる。私も同じだ」と切り返したのであろう。
[安宅 夏夫]
御簾の幕あけれバ雪の大仕掛
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):87‐5
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
香爐峯ゥみかども舌を巻給ふ
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):83‐49
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
雪のなぞさつぱり解けぬ余の官女
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):138‐12
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
夜をこめて年の関越す鬧しさ
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):40‐3
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
第一~三句、皇后定子が降雪の日、「香爐峰の雪はいかに」と女官らに問うたところ、清少納言はすぐに座を立ち、御簾を捲きあげた。それは白楽天の詩に「遺愛寺の鐘は枕を敧てて聴き、香爐峰の雪は簾を撥げて看る」とあるを会得あっての問であることを、清少納言が推察しての機智であった、という故事による。第一句、すべて芝居がかり。第二句、「舌を巻」は簾も捲いたであろうが、というキョクリ。第三句の「解けぬ」は、ものが雪だけに。第四句、『小倉百人一首』で著名な「夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」の清少納言の歌を踏まえる。「さわがしさ」、年越しの気ぜわしなさ。掛け取りの手を逃れるためには、夜明けを告げる鶏の空音そらねも用いたいほど。


国史大辞典
清少納言
せいしょうなごん
生没年不詳
平安時代中期の歌人・随筆家。中古歌仙三十六人の中に入る。康保三年(九六六)ころ出生。本名未詳。一条帝の定子中宮(のち皇后)に出仕して清少納言の称を得る。清は清原氏の略称、天武天皇の流れを汲む。少納言は「下臈ながら中臈かけた」地位。父元輔は『後撰和歌集』の撰者の一人で、梨壺の五人と称され、曾祖父(祖父とも)深養父も古今集時代の有力歌人。受領階層の歌人の家柄に生まれ、家庭において歌人的教養を培うとともに、したたかさをも身につけて成人した。天元末年橘則光に嫁し、則長(進士・式部丞・越中守)らを生む。のち離別して定子のもとに正暦三(九九二)、四年に出仕。定子後宮を支える父中関白藤原道隆の盛時で、一条朝の四納言、藤原公任・源俊賢・藤原斉信・同行成らと文才を競った。しかし長徳元年(九九五)道隆の死去などにより政権の座は道隆の弟道長に移り、その後に道長の娘彰子の入内もあってはなはだしく不遇な世界を体験する。長保二年(一〇〇〇)には定子の崩御があり、清少納言の前途に重大な影がさす。定子の遺児に引きつづき仕えるか、己が家に籠ったかである。明瞭ではないが、しかし、いずれにせよ則光との離別の後に摂津守藤原棟世と再婚し、上東門院に奉仕した小馬命婦を儲けているので、受領の北の方としての立場は保持して過ごした。死没年時までにはまだ二十数年間あるが、確実な史料はなく具体的な動静は判明しない。彼女の最終生存文献は、『古事談』による兄弟の致信が寛仁元年(一〇一七)殺害された折、同宿していたという記述である。そのほかの兄弟の死亡年時の明らかなものは、戒秀(花山院殿上法師・天台山門派祇園社別当)が長和四年(一〇一五)落雷による死去、雅楽頭為成の万寿二年(一〇二五)八十歳をもっての死亡などを考えると、治安・万寿年間(一〇二一―二八)の死去ではないかと推定されている。六十歳前後である。場所は月輪であろう。月輪については、東福寺の近傍説と、愛宕山中腹の説に分かれている。説話の中の彼女は、流浪・落魄の主人公であり、そのままには受け取れないが、宮仕え時のごとくかがやかしいものでなかったこともまた事実であろう。中に、若殿上人が、彼女の零落をあわれむ言動に対して「駿馬の骨を買はずやありし」と応酬した話は、まことに彼女らしい片鱗を宿している。著作に『枕草子』『清少納言集』がある。→枕草子(まくらのそうし)
[参考文献]
『大日本史料』二ノ四 長保二年十二月十六日条、岸上慎二『清少納言伝記攷』、萩谷朴校注『枕草子』(『新潮日本古典集成』)、角田文衛「清少納言の生涯」(『枕草子講座』一所収)
(岸上 慎二)


世界大百科事典
清少納言
せいしょうなごん
966ころ(康保3ころ)-?

平安中期の女流文学者。父は〈梨壺の五人〉の一人として有名な歌人清原元輔,祖父(曾祖父ともいう)深養父(ふかやぶ)も清少納言自身も中古歌仙三十六人に数えられる和歌重代の家柄。父の友人には源順,大中臣能宣ら漢詩文や和歌に達者な一流人物が多く,元輔の末娘はこれらの人々に愛され,利発で早熟な少女として育った。981年(天元4)ころ,名家橘氏の嫡男則光と結婚,翌年則長を生んだがまもなく離婚,991年(正暦2)ころ,父ほど年の違う藤原棟世(むねよ)と再婚し,小馬命婦(こまのみようぶ)を生んだが別居して,993年冬,一条帝中宮,関白藤原道隆の娘定子に仕えた。外向的で協調性に富み,感激性の清少納言は,華やかな宮廷生活に素直に融け込み,たちまち中宮方を代表する存在となった。994年2月の積善寺供養に前後するころが最も華やかな時期,〈香炉峰の雪〉で評判をとったのもその年の冬であった。

しかし翌995年(長徳1)4月10日道隆が薨(こう)じると,政界の形勢は一変して中宮の周辺には暗雲が垂れこめ,翌年4月,中宮の兄弟伊周・隆家らが左遷されると,中宮の女房たちも去就に迷い,殊寵をほしいままにしていた清少納言には,左大臣道長方に内通しているとのうわさが集中して,その夏・秋には長期の里居にこもることとなった。清少納言が気を紛らせるために原初狭本類纂型の《枕草子》を執筆し始めたのはこの時であろう。やがて中宮の愛情にこたえて帰参してからは,叔父道長の圧迫や,道長の娘彰子と二后並び立つ窮境にも屈せず,一条天皇の愛情にこたえる皇后定子の姿に,いっそうの忠誠心を固めていった。修子,敦康,媄子と次々に子を儲け,心身ともに疲れ果てて1000年(長保2)12月16日24歳の若さで皇后が没してからは,道長方が皇后の遺児たちに温かく接することを願って,もっぱら皇后定子のすばらしい人柄を筆の限りを尽くして賞賛し,完結広本雑纂型《枕草子》を完成したのは,寛弘年間(1008ころ)にも及んでいた。

皇后の死後は宮仕えせず,初めは老夫摂津守棟世のもとに身をよせ,次いで亡父元輔の桂山荘のかたわらに侘び住いしたが,さらに世間との交渉を避けて,愛宕山中腹月輪寺に近い棟世の月輪山荘に隠棲した。元輔の子といわれることをおそれて中宮に詠歌御免を請い,《清少納言集》《枕草子》《公任集》《和泉式部集》を通計して55首の自詠しか残さなかった寡作ぶり,道長方に内通するとのうわさにも争わずに里居にこもり,皇后亡きあとは人里離れた隠遁生活を送るなど,清少納言には意外な気の弱さが隠されていた。近世になって,晩年の清少納言は零落して遠国に流浪したという数々の説話が発生したが,これは,清少納言自身がひそやかな晩年を送ったという事実と,夫藤原宣孝や従兄信経のかんばしからぬ逸話を《枕草子》に書きたてられたことを恨んだ紫式部が,その日記に清少納言の零落を予言するかのような酷評を残したこととが結合してのことである。
[萩谷 朴]

[索引語]
橘則光 橘則長 藤原棟世 藤原定子 紫式部(人名)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


清少納言の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 504
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 〓少納言(せいしょうなごん)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 824ページ ...
2. 清少納言
日本大百科全書
993年に一条(いちじょう)天皇の中宮定子(ていし)のもとに出仕し、約10年間の女房生活を送った。清少納言の清は清原氏を意味するが、なぜ少納言とよばれるかは明ら ...
3. 清少納言
世界大百科事典
離れた隠遁生活を送るなど,清少納言には意外な気の弱さが隠されていた。近世になって,晩年の清少納言は零落して遠国に流浪したという数々の説話が発生したが,これは,清 ...
4. せい‐しょうなごん【清少納言】
デジタル大辞泉
正暦4年(993)ごろから一条天皇の中宮定子に仕え、和漢の学才をもって寵を受けた。随筆「枕草子」、家集「清少納言集」など。生没年未詳。  ...
5. せい‐しょうなごん[:セウナゴン]【清少納言】
日本国語大辞典
行成らと交友関係があった。定子没後は宮中から退き、藤原棟世の後妻となる。随筆に「枕草子」、家集に「清少納言集」など。生没年未詳。セ ...
6. せいしょうなごん【清少納言】
国史大辞典
鱗を宿している。著作に『枕草子』『清少納言集』がある。→枕草子(まくらのそうし) [参考文献]『大日本史料』二ノ四 長保二年十二月十六日条、岸上慎二『清少納言伝 ...
7. せいしょうなごん【清少納言】
日本人名大辞典
漢詩文の教養と才気と機知により宮廷に名をはせた。著作に「枕草子(まくらのそうし)」,家集に「清少納言集」。【格言など】夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂(あ ...
8. せいしょうなごん【清少納言】
日本架空伝承人名事典
中関白家の隆盛時代、父元輔に似て才気縦横な清少納言は女房(侍女)にふさわしく、藤原道隆・伊周(これちか)・公任(きんとう)・行成らとの機知の応酬にも力を発揮した ...
9. 清少納言[文献目録]
日本人物文献目録
久基『心理上から見た清少納言』井淵生『清少納言』石川ムメ『清少納言』岡本かの子『清少納言』岸上慎二『清少納言』田中重太郎『清少納言』藤田徳太郎『清少納言』丸木砂 ...
10. せいせうなごん【清少納言】
全文全訳古語辞典
交えて書いたのが『枕草子』である。宮仕え前後に二度結婚したようだが、定子没後の消息は明らかでない。家集『清少納言集』があるが、歌の方面はあまり優れているとは言い ...
11. Sei Shōnagon 【清少納言】
Encyclopedia of Japan
fl late 10th century One of the best known of the brilliant women writers of the ...
12. 〓少納言敏慧 (見出し語:〓少納言)
古事類苑
天部 洋巻 第1巻 209ページ ...
13. 〓少納言零落 (見出し語:〓少納言)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 418ページ ...
14. 紫式部評〓少納言 (見出し語:〓少納言)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 349ページ ...
15. 枕草子
日本古典文学全集
〈春はあけぼの……〉で始まる、日本を代表するエッセイ。作者は、一条天皇の中宮定子(ていし)に仕える女房・清少納言。「をかし」の美を基調にして、人事や季節感を独創 ...
16. 清少納言殺人事件
デジタル大辞泉プラス
山村美紗の長編ミステリー。1993年刊行。アメリカ副大統領令嬢・キャサリンシリーズ。 2012年12月 ...
17. せいしょうなごんしゅう【清少納言集】
国史大辞典
清少納言の家集。一巻。流布本は和歌二十八首、連歌二句。異本は和歌四十二首。根幹は同一で、それぞれに展開。異本の成立は遅れてなった。集中には他人詠も含み、彼女の ...
18. 小倉百人一首(62) 歌人/清少納言[百科マルチメディア]
日本大百科全書
こめてとりのそらねははかるとも よにあふさかのせきはゆるさじ定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/よを清少納言(せいしょうなごん)菱川師宣(ひしかわもろの ...
19. píllow bòok
ランダムハウス英和
枕元で読むのにふさわしい本;(特に)エロ本.◇タイトル名[文学・著作物]The Pillow Book『枕草子』清少納言の随筆集. ...
20. あえる[方言]
日本方言大辞典
〔動詞〕(一)(1)落ちる。 久留米「あへる 落おちる也。おとしたといふことをあへぃたといふ。清少納言枕草紙に、すずろにあせあゆる心地ぞしにけると有、汗の流るる ...
21. あ・える【零】
日本国語大辞典
しぬって」*浜荻(久留米)〔1840〜52頃〕「あへる 落(おちる)也、おとしたといふことをあへぃたといふ、清少納言枕草紙に、すずろにあせあゆる心地ぞしけると有 ...
22. 赤染衛門
日本大百科全書
江侍従(ごうのじじゅう)らをもうけた。関白道長夫人倫子(りんし)ならびにその子上東門院彰子(しょうし)に仕え、清少納言、和泉(いずみ)式部、紫式部らとも交友があ ...
23. 赤染衛門
世界大百科事典
ったので赤染衛門と呼ばれる。大江匡衡と結婚し,挙周(たかちか),江侍従をもうける。和泉式部,清少納言,紫式部,伊勢大輔らと交流し,《賀陽院水閣歌合》《弘徽殿女御 ...
24. あかぞめえもん【赤染衛門】
日本架空伝承人名事典
ったので赤染衛門と呼ばれる。大江匡衡と結婚し、挙周(たかちか)、江侍従をもうける。和泉式部、清少納言、紫式部、伊勢大輔らと交流し、『賀陽院水閣歌合』『弘徽殿女御 ...
25. 朝顔(源氏物語) 485ページ
日本古典文学全集
一間は、柱と柱の間。「ひかりにあひて」とする本も多い。春秋の夜よりもかえって。『紫明抄』に「清少納言枕草子云、すさましき物、しはすの月よ、おうなのけしやう」とあ ...
26. 朝顔(源氏物語) 490ページ
日本古典文学全集
元輔集)。→四八五ページ注一四。なお「言ひおきけむ人」が、清少納言をさすとすれば、作者の彼女に対する強い対抗意識をうかがい得る。「清少納言と紫式部とは同時の人に ...
27. 排蘆小船(近世随想集) 323ページ
日本古典文学全集
三十六人集の中の殊に上手の歌、心に懸くべし」。平安時代の随筆。長徳、長保年間の成立。三百余段から成る。清少納言著。一条天皇皇后定子に仕えた作者が、宮廷生活を送る ...
28. あはせ-て【合はせて】
全文全訳古語辞典
同時に。 「返してけるかとてうち見たるにあはせて、をめけば」〈枕草子・頭の中将の〉(やった手紙を清少納言が)返してよこしたかと思ってちょっと見たのと同時に、(頭 ...
29. 甘葛
世界大百科事典
え,宮中の大饗(たいきよう)などではこれでヤマノイモを煮た芋粥がしばしば供されている。また,清少納言は,金属製の新しい椀に削った氷を入れ甘葛をかけたものを,〈あ ...
30. 遺愛寺
日本大百科全書
(かたむ)けて聴き、香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(はら)いて看(み)る」と詠んだ。清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』第299段の話はこの ...
31. いえ[いへ]【家】
日本国語大辞典
ためしも久しき松脂かな」(ロ)流儀、芸風などをいう場合。*十訓抄〔1252〕一・清少納言依香炉峰雪詩撥御簾事「清少納言〈略〉清原元輔女にて、其家の風吹伝へたりけ ...
32. いかなら・む【如何ならむ】
全文全訳古語辞典
❶どんなであろう。どうだろう。 「少納言よ、香炉峰の雪はいかならむ」〈枕草子・雪のいと高う降りたるを〉清少納言よ、香炉峰の雪はどんなであろう。❷どうなるのだろう ...
33. 池
世界大百科事典
目的とした池が現代科学による技術をもってつくられつつあって,それらの多くは立地上,古来の池と同じ環境にある。 清少納言は《枕草子》に,〈池は,かつまたの池。磐余 ...
34. いささ-か【聊か】
全文全訳古語辞典
「いささか何とも思ひたらず、つれなきも、いとねたきを」〈枕草子・頭の中将の〉(絶交したことを、清少納言が)まったく何とも思っていないで、平気でいるのも、大変しゃ ...
35. 和泉式部
世界大百科事典
浴びた式部は,道長から〈うかれ女〉といわれたように,奔放な生涯を送った。そのため式部は早くから,紫式部の貞淑,清少納言の機知,赤染衛門の謙譲に対して,愛情一筋に ...
36. いずみしきぶ【和泉式部】
日本架空伝承人名事典
道長から「うかれ女」といわれたように、奔放な生涯を送った。そのため式部は早くから、紫式部の貞淑、清少納言の機知、赤染衛門の謙譲に対して、愛情一筋に生きた女の典型 ...
37. 市
世界大百科事典
(たつのいち)〉〈椿市〉〈おふさの市〉〈餝磨市〉〈飛鳥の市〉が挙げられている。これらは,作者清少納言の注意を引いた市を列挙したまでであって,これ以外に多くの市が ...
38. いち‐じょう[:デウ]【一条】
日本国語大辞典
輙弃者徒一年半〈大伴家持〉」*俳諧・其袋〔1690〕夏「清少納言の橋はと有(ある)一条、あさむつのとかける所也」*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉一・二 ...
39. 一条天皇
日本大百科全書
振るった。多数の人材が輩出し、宮廷文化が栄華を極め、ことに女流文学が栄え、紫式部(むらさきしきぶ)、清少納言(せいしょうなごん)をはじめとする女房らが後宮で活躍 ...
40. 一条天皇
世界大百科事典
天皇は才学に富み,政治にも意欲を示し,道長とも協調を保った。治世下に才学や技能にすぐれた人物が輩出し,紫式部や清少納言らも両皇后の後宮で活躍した。1011年病に ...
41. いちじょうてんのう【一条天皇】
日本人名大辞典
藤原兼家が摂政となる。のちその子道長が右大臣ついで左大臣となって政治の実権をにぎった。治世中,清少納言,紫式部,和泉式部らが活躍。寛弘(かんこう)8年6月22日 ...
42. いちじょうてんのうりょう【一条天皇陵】京都市:右京区/龍安寺門前村/龍安寺朱山七陵地図
日本歴史地名大系
天皇は円融天皇第一皇子で母は東三条院詮子(藤原兼家女)。道長を中心とした藤原氏最盛期に在位し、紫式部・清少納言などが宮廷に仕えた。寛弘八年(一〇一一)六月、三条 ...
43. いで‐きた・る【出来】
日本国語大辞典
ideqitatte (イデキタッテ)」*日本開化小史〔1877〜82〕〈田口卯吉〉一・二「清少納言、紫式部の如き人々出来りて」*いさなとり〔1891〕〈幸田露 ...
44. うぐいすづか‐こふん[うぐひすづか:]【鶯塚古墳】
日本国語大辞典
奈良市の若草(三笠)山山頂にある前方後円墳。全長一〇三メートル。三段築成の美しい前期古墳で、清少納言の「枕草子」の鶯陵(うぐいすのみささぎ)碑(享保一八年建立) ...
45. うぐいすづかこふん【鶯〓古墳】
国史大辞典
石製斧頭・石製船片が採集されたり、家形・舟形などの埴輪片も採取されている。なお、後円部上に、清少納言が『枕草子』に、「うぐひすの陵」と述べているのはこの古墳であ ...
46. うぐいすづかこふん【鶯塚古墳】奈良県:奈良市/奈良公園地区/若草山
日本歴史地名大系
[現]奈良市春日野町 奈良盆地を一望のうちに俯瞰しうる若草山(三四一・八メートル)山頂に位置する古墳として、また清少納言が「枕草子」で「うぐひすのみささぎ」とい ...
47. 宇治拾遺物語 85ページ
日本古典文学全集
(第一二六・一二七・一八四話)採られている。陸奥守であった橘則光の次男(?~一〇六〇)。母は清少納言か。式部大丞、蔵人、中宮少進、駿河守などを歴任。『後拾遺集』 ...
48. 宇治拾遺物語 347ページ
日本古典文学全集
→八五ページ注一〇。橘敏政の子。蔵人、長徳三年(九九七)正月、左衛門尉、検非違使。遠江権守、陸奥守などを歴任。清少納言の夫であったこともあり、『枕草子』の「里に ...
49. 宇治拾遺物語 399ページ
日本古典文学全集
成功するしたたかな企業家魂。現代にも通じるサクセス・ストーリー。清原元輔(九〇八~九九〇)。清少納言の父。周防・肥後の国守を歴任。『後撰集』の撰者の一人。中務省 ...
50. うつほ物語
日本古典文学全集
から琴の奏法を伝授される。この俊蔭の一族の命運(主人公は、俊蔭の孫の仲忠)を軸に物語は進む。清少納言の『枕草子』でも主人公・仲忠を話題にするなど、平安時代の当時 ...
「清少納言」の情報だけではなく、「清少納言」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

清少納言と同じ枕草子カテゴリの記事
枕草子(新編 日本古典文学全集・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の随筆。清少納言(せいしょうなごん)の作。跋文(ばつぶん)によると、清少納言が仕える一条(いちじょう)天皇の中宮定子(ていし)に、正暦(しょうりゃく)5年、長徳(ちょうとく)元年(994、995)のころに、中宮の兄藤原伊周(これちか)が紙を献上したことがあり
一条天皇(国史大辞典)
九八〇-一〇一一。九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。
清少納言(日本大百科全書・新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭為成
北村季吟(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸前期の国学者、俳人、歌人。通称久助。別号は芦庵、拾穂軒、湖月亭など。近江国(滋賀県)野洲郡(現、野洲市)の人で、医師北村宗円の長男として寛永元年12月11日に生まれる。若くして上京し、初め俳諧を安原貞室(1610―1673)に師事し、ついで貞室の師松永貞徳に従って


「清少納言」は枕草子に関連のある記事です。
その他の枕草子に関連する記事
北村季吟(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸前期の国学者、俳人、歌人。通称久助。別号は芦庵、拾穂軒、湖月亭など。近江国(滋賀県)野洲郡(現、野洲市)の人で、医師北村宗円の長男として寛永元年12月11日に生まれる。若くして上京し、初め俳諧を安原貞室(1610―1673)に師事し、ついで貞室の師松永貞徳に従って
清少納言(日本大百科全書・新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭為成
一条天皇(国史大辞典)
九八〇-一〇一一。九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶