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日本には約5600の博物館(相当施設・類似施設を含む)がある。この中には、いわゆる博物館のほか、美術館、動・植物園、各種資料館なども含まれる。 ここでの活動を一身に引き受けるのが<学芸員>と呼ばれる人たちだ。 彼らは日々、資料の<収集>に奔走し、<保管・整理>に苦慮し、より良い<展示>方法に悩みつつ、そのかたわらで自らの<調査研究>を深化させ、蓄積された情報を人々に発信する<教育活動>を実践している。そんな彼らの八面六臂の働きぶりを紹介しよう。

奄美市立奄美博物館

九州と台湾の間、約1200キロメートルにわたって連なる 南西諸島(琉球弧)1。今シリーズで取り上げる奄美市立奄美博物館は、この南西諸島の中ほど、「奄美諸島」で最大の島=奄美大島に所在します。奄美諸島は琉球(沖縄)と大和(日本)の文化が交錯し、特有の歴史と文化を育くんできました。しかし、一方では琉球と大和の双方から周縁地域とみなされました。
ところが、近年、こういった従来の奄美の位置付けを覆すような遺跡が相次いで発見されています。今回の案内役、奄美博物館学芸員の高梨修さんは、 兼久式土器2の編年など、専門の考古学分野で奄美諸島の歴史を見直す研究を行ってきました。そればかりではなく、一個人としても、『奄美諸島史の憂鬱』というブログを立ち上げるなど(現在は小休止中)、「奄美」に視座を据えた情報発信活動を続けています。
2009年12月04日

第1回 地域博物館の使命

奄美諸島には大学がない。だから
新発見の資料や、さまざまな情報を集積する
地域の中核博物館は
そんな役割も求められている

 私が勤務する博物館は、奄美大島の奄美市に所在している。奄美大島と聞いても、日本地図上で、その位置を正確に頭の中に思い描ける方は多くはない。
 奄美群島を「沖縄県」と思われる方も相当に多いのであるが、「鹿児島県」である。ただ「鹿児島県」であるが、周囲をサンゴ礁に囲まれた亜熱帯の島嶼(とうしょ)である。奄美群島は、知られざる亜熱帯の島嶼なのである。

 

博物館の外観
亜熱帯植物に囲まれた白亜の建物。博物館も南国らしいたたずまいです

 

 ところが、いにしえの時代、古代国家や中世国家の中央政府が、奄美群島について、意外によく把握していた3様子が明らかになりつつある。
 奄美大島からヤコウガイ4 貝殻を大量集積させた古代の「ヤコウガイ大量出土遺跡5 」が、徳之島から大規模な中世の窯跡群「カムィヤキ古窯跡群6 」が、喜界島からは、島外の搬入遺物が主体を占め、かつ大量出土する古代・中世「城久(ぐすく)遺跡群7 」が発見され、奄美群島は古代・中世国家の境界領域として、南方物産交易の拠点地域である様子が解りはじめたのである。
 今、古代史・中世史の研究で、奄美群島は熱い視線を集めている。大学等の研究機関がない奄美群島では、博物館の果たす役割は小さくない。私たち学芸員は、いろいろな研究機関の先生方のご協力をいただきながら、「ヤコウガイ大量出土遺跡」「カムィヤキ古窯跡群」「城久遺跡群」等について、それそれの遺跡が所在する島で、文献史学・考古学共同のシンポジウムをこの10年間に7回開催してきた。

 

ヤコウガイで作られた貝匙
ヤコウガイ製の貝匙。小湊フワガネク遺跡から出土しました

 

 これらの取り組みの結果なのか解らないが、私の勤務先の博物館では、延べ人数ではあるが、年間2,000人を超える大学等の研究者が来館する。そうした研究者の対応に、私たちは毎日のように追われている。地域の情報・資料を徹底的に集積させることが博物館に求められている。
 平成20年10月1日時点で、奄美群島の人口121,166人、奄美大島の人口67,554人、奄美市の人口47,482人。人口減少は、加速を続けている。しかし、奄美群島を訪れてくださる方の交流人口の増加も、近年加速を続けている。これを地域振興に結び付けていくのも、私たちのこれからの重要な仕事である。

(次回に続く)

脚注

    1. 九州島と台湾島の間に、北東‐南西方向に弧状に連なる島々の行政上の総称。明治20年(1887)頃以降に明治政府の水路部によって使用され一般化した。面積0.01平方キロ以上を島と考えると(埋立で地続きとなったり架橋されたものも含める)、約200の島々からなる。北半の薩南(さつなん)諸島(鹿児島県域)と、南半の琉球諸島(沖縄県域)に大別され、さらに薩南諸島は北から大隅諸島・トカラ列島・奄美諸島に、琉球諸島は沖縄諸島と先島(さきしま)諸島に区分される。南西諸島は地学的には明治期から琉球弧や琉球列島とよばれていた。ただし南西諸島に含まれる大東諸島や尖閣(せんかく)諸島はこの呼称に含まれない。
      南北差はあるが全体として海洋性の亜熱帯モンスーン気候で、黒潮がほぼ島列に並行して流れる。年中温暖・多湿であり、梅雨や台風には大量の降雨がある。植生地理学的には熱帯と温帯の植生の移行部に位置し、動物相をみると東洋区に区分される。東洋区とは中国南部・東南アジアや南アジアを含む広大な地域で、琉球列島に生息する動物の近縁種がこれらの地域に生息していることが多い。また南西諸島には固有種・固有亜種が多い。これらは大陸と陸続きの頃に移動してきたものが、琉球列島の成立のなかで島に取残された遺存種とみられる(以上、JK版「日本歴史地名大系」から抜粋・要約)。
    2.  

    3. 古墳時代後期から平安時代に並行する奄美諸島の在地土器。筆者の高梨氏は、I期(6世紀後半-7世紀前半)からV期(10世紀後半-11世紀前半)の5段階に区分する編年案を提出している。
    4.  

    5. たとえば、鎌倉時代に北条得宗家被官で北方の境界領域を支配した安東氏に関する文書(新渡戸文書)と、同様に奄美を含む南方境界領域を支配した千竈(ちかま)氏に関する文書(千竈文書)の文書様式を比較検討する研究なども試みられている。(本文に戻る)
    6.  

    7. 奄美諸島以南の熱帯西太平洋、インド洋海域に広く分布するリュウテンサザエ科の巻貝。大形で、殻高18.5センチメートル、殻径20センチメートルに達する。肉は食用となり、貝殻は螺鈿(らでん)やボタン、貝細工の材料となる。古くは夜久貝(屋久貝:ヤクガイ)などとよばれ、古代‐中世の史料に散見、貝細工の素材として都人にも珍重された。奥州平泉中尊寺金色堂の螺鈿細工にもヤコウガイが用いられている。
    8.  

    9. 用見崎遺跡、土盛マツノト遺跡、万屋泉川遺跡、小湊フワガネク遺跡群などで、奄美大島北部に集中して所在する。文字通り、ヤコウガイの貝殻が大量に出土する。従来は、いわゆる貝塚遺跡とみられていたが、近年は交易品としてのヤコウガイの加工施設との見方が有力となっている。
    10.  

    11. 徳之島の南部で発見された窯跡遺跡。11-14世紀に稼動していた。当窯で焼成された陶器(類須恵器・南島須恵器)は、トカラ列島から先島諸島に及ぶ広い範囲に流通。当該時期の南西諸島における甕・壺・鉢・碗類の一大供給地であった。
    12.  

    13. 喜界島中央部の海岸段丘上にある。11世紀をピークとして、8世紀から12、3世紀にわたる集落遺跡。中国・朝鮮半島から移入された青磁・白磁、東海地方や九州本島産の陶器などが大量に出土した。一方で地元でつくられた兼久式土器はほとんど出土しない。遺跡の性格については、大宰府の出先機関、九州の在地勢力が設けた交易・流通センターなどの説が出されているが、確定するまでにはいたっていない。
2009年12月11日

第2回 歴史への渇望

地域の博物館は「地域の歴史」を展示する
しかし、ストレートな展示がむずかしい
歴史的な経緯が奄美にはある
工夫を凝らし、島民の「渇望」に応えたい

 博物館展示というのは、それぞれの主題における研究常識に即して製作されている場合が多い。地域博物館では欠かせない地域史の常設展示も当然そうした傾向にある。ところが、奄美群島各地の博物館では、歴史について詳細な常設展示がほとんど認められない。
 奄美群島は、「鹿児島県」である。鹿児島県の前身である「薩摩藩8 」は、1609(慶長14)年に琉球王国を侵攻、それ以後、亜熱帯の島嶼地域を支配下に置いたのである。「鹿児島県」と奄美群島は、支配―被支配の歴史的関係を有しているのである。幕末から明治時代にかけて、奄美群島では過酷な糖業政策が展開され、奄美群島では「薩摩藩」「鹿児島懸9 」に対する強い感情的反発が蓄積されてきたのである。
 しかし、「鹿児島県」の歴史では、奄美群島における植民地的支配の歴史的事実は詳細に触れられることがほとんどない。現在「鹿児島県」の一員である奄美群島では、そのような歴史を赤裸々に博物館で展示解説したり、学校教育の現場で教えたりする行為は遠慮されてきたのである。それが、奄美群島各地の博物館で歴史関係の展示が脆弱な最大の理由である。

 

シンポジウムの風景
博物館が所蔵する『南島雑話』10 に関するシンポジウム(平成16年度)

 

 そうした事情から、私が勤務する博物館では、大学等の研究機関で琉球史研究に携わる先生方をお招きして、奄美諸島史に関わる講演会やシンポジウムをたびたび開催している。奄美諸島史の研究成果が更新されていないわけではない。奄美群島におけるさまざまな歴史的事実の解説をしていただき、自らの足元の歴史にあらためて向き合う機会を提供するのである。毎回、会場が超満員となるほどのご参加をいただいている。熱気が充満する会場のその光景に、私たち博物館職員は、奄美群島に暮らす方たちの足元の歴史に対する「渇望」を感じるのである。

 

講演会の風景
博物館で公開することとなった『童虎山房』11 についての講演会(平成19年度)

 

 博物館が展示する「歴史的事実」の社会的責任は重い。地域に暮らす人びとと対話しながら、私たちは「歴史的事実」をめぐる視角を工夫しながら、展示に取り組んでいる。

(次回に続く)

脚注

    1. 奄美諸島は15世紀中頃には琉球王国の地方行政機構に組込まれたが、慶長14年(1609)に薩摩藩(鹿児島藩島津家)が琉球に侵攻し、その後、奄美諸島は薩摩藩の直轄地となった。薩摩藩は当初、奄美を鹿児島本土の諸湊から出て、トカラ列島を経て琉球へ航海する船の水や食料の補給地と位置づけ、寛永元年(1624)以降は奄美諸島を「道之島(みちのしま)」と公称している。「道之島」における黒糖生産の始まりについては諸説あるが、元禄期以降とされ、江戸時代後期には黒糖生産が全島を覆うようになった。薩摩藩は安永6年(1777)に奄美大島・喜界島・徳之島に対して黒糖の自由売買を一切禁止し、島民の日用品は鹿児島藩からの支給とするなど、黒糖専売化を強めている。天保年間には、当時の大坂の物価を基準とすると、専売制度で黒糖代金の代わりに支給される諸物品との交換比率は、黒糖代米自体が大坂黒糖値段の5分の1ほど、逆に大坂・鹿児島から「道之島」へ積下される諸物品の値段は、大坂相場の4倍強から90倍に及ぶものもあり、二重の搾取となっていた。さらに、薩摩藩は島民に対してサトウキビの栽培を強制し、「道之島」を黒糖のモノカルチャー化することを図っている(以上、JK版「日本歴史地名大系」から抜粋・要約)。

       

    2. 明治維新後の廃藩置県によって、奄美諸島は鹿児島県に属する。しかし、鹿児島県は明治6年に大蔵省から砂糖勝手売買の許可の布達があったにもかかわらず、島民にこれを告知せず、鹿児島商人による大島(奄美大島)商社を通じて薩摩藩統治時代と同様に奄美の黒糖を独占しようとした。丸田南里を中心に反対運動が広まり、艱難辛苦の末、同12年にようやく大島商社は解体した(ほかの島でも同18年までに解社)。明治20年4月には鹿児島県大島郡糖業組合規則が公布されたが、これは島民に便宜を図る近江商人・阿部商会を排除し、鹿児島商人の独占利潤を守るのがねらいであった。同年9月には臨時県会で、県予算が内地(鹿児島県本土)予算と大島予算に分断される。これは、内地の産業基盤整備を最重要視し、奄美の産業基盤整備を無視したもので、ちなみに内地予算は明治21年から昭和15年にかけて20倍になっているのに対し、同期間の大島予算の伸びは11倍であった。さらに明治34年には砂糖消費税法が制定されている。これによって沖縄・奄美の農民は砂糖100斤につき1円の税金が課せられた。これらの施策は、明治中期以降、奄美経済を停滞させる要因となった。昭和3年ようやく国は減税を実施し、さらに戻し税的な糖業改良奨励事業を導入、奄美に対する補助金事業が始まり、同4年からは不完全な実施ではあったが、大島郡産業振興計画が導入されるなどの是正が計られている(以上、JK版「日本歴史地名大系」から抜粋・要約)。 第二次世界大戦後の米軍占領期を経て、昭和28年に奄美諸島は日本に復帰した。復帰に際して奄美県の設置も検討されたが、結局戦前同様に鹿児島県に帰属することとなり、奄美諸島の島民は鹿児島県民となった。しかし、多くの島民にとって差別的な施策をとり続けた戦前の鹿児島県と、現在、自分たちが帰属する鹿児島県を同一視することはむずかしく、戦前の鹿児島県を「鹿児島懸」と、県の字を旧字で表記し、区別した。

       

    3. 嘉永朋党(かえいほうとう)事件(鹿児島藩島津家のお家騒動。「お由羅騒動」「高崎崩れ」ともいう)に連座して、奄美大島への遠島に処せられた鹿児島藩士名越時敏(左源太)が、自己の見聞などを詳細に記録して、奄美大島の事物を項目ごとにまとめたもの。写生画も付されており、当時の奄美の様子を知る貴重な資料である。左源太の大島在島は嘉永3年(1850)から安政2年(1855)。
    4. 故原口虎雄氏(鹿児島大学名誉教授)の文庫(蔵書)。原口氏は『名瀬市誌』の編纂委員長を務めるなど、奄美との関係も深く、奄美諸島に関する資料も豊富である。遺族の意思により名瀬市(現奄美市)へ寄贈された。
2009年12月18日

第3回 博物館の相互交流事業

自然系学芸員の不在は
地域の人々の協力で乗り越える
豊かな奄美の自然を守り、育てる。その手助けも
博物館の重要な使命だ

 私の勤務する博物館の2010年は、1月から慌しくなりそうである。国立の機関が資料を貸し出し、地域の博物館で展示する相互交流展示事業として、1月と2月に企画展がそれぞれ計画されているからである。
 1月中旬から開催する企画展は、「琉球弧の植物(仮題)」である。当館には自然系の学芸員が不在なので、自然系を専門分野とする文化財保護審議会や博物館運営委員会の先生方、さらには地元で自然保護や調査研究等に取り組んでいる民間団体等からも協力をいただき、総動員体制で準備を進めている。

 

イシカワガエル
日本で最も美しいカエルといわれるイシカワガエル

 

 琉球弧の島嶼では、「東洋のガラパゴス12 」と称されるように、固有種や固有亜種に富んだ野生生物の生物相が認められる。たとえば、国特別天然記念物のアマミノクロウサギ13 は、奄美大島と徳之島にしか生息していない。日本で最も美しいカエルといわれるイシカワガエル14(上掲写真) は、奄美大島と沖縄本島にしか生息していない。そうした島単位で生物相が複雑に異なる特徴があるので、琉球弧の相対的な植物相が理解できる今回の企画展は、地元の植物愛好家だけではなく、大勢の方たちに関心を寄せていただけるだろうと期待している。

 

観察会

 

 博物館側としても、奄美大島の自然を蝕んでいる危機について、地元の皆さんにご理解いただくよい機会なので、独自の展示を併設させていただく計画も立てている。豊かな大自然で世界遺産登録を目指す奄美大島であるが、ペットや園芸による外来種の侵入、野生動物のロードキル(交通事故)、開発事業による自然破壊等、直面する課題は多いと指摘されている。そうした現実を的確に解説して、周知を図る役割も地域博物館の重要な使命である。さらに児童生徒の環境教育にも生かしてもらうため、奄美大島の植物を利用した親子で参加できる体験型の講座も開催する計画である。
 地域や学校に必要とされる博物館であり続けたいものである。

(このシリーズ終わり)

脚注

    1. ガラパゴス諸島は太平洋東部、南米大陸の西方約900キロメートル、赤道直下に点在するエクアドル領の火山群島。五つの大きな島を中心とし、約30の島々と無数の岩礁からなる。ガラパゴスはスペイン語で亀の意で、正式な呼称はコロン諸島。植物相では幾つかの固有種がみられるが、乾燥のため植生は貧弱である。動物相では哺乳類は貧弱だが、ゾウガメなどの爬虫類、ダーウィンフィンチをはじめとする陸鳥類、ガラパゴスペンギンなどの海鳥類などは豊富で、固有の生物が多い。ダーウィンが動植物および地質の観察から進化論についての基礎的アイデアを得た島として有名。1978年に世界自然遺産として登録された。日本では、固有種が多い南西諸島(琉球弧)の島々や小笠原諸島を「東洋のガラパゴス」とよぶ場合がある。

       

    2. 哺乳綱ウサギ目ウサギ科の動物で、奄美大島と徳之島だけに分布する。大正10年に動物部門では第一号の国の天然記念物に指定された(昭和38年には特別天然記念物に指定)。岩の下や地中に穴を掘ってすむ。夜行性であるが、まれに日中でも森林の茂みで観察されることがある。移動するとき甲高い鳴き声を発するのが特徴的。普通のウサギと比べて耳や鼻骨が短く、メキシコウサギやアカウサギとともにムカシウサギ亜科に属する「生きた化石」的存在である。森林破壊などで絶滅が心配されている(JK版「日本大百科全書(ニッポニカ)」から抜粋・要約)。

       

    3. 両生綱無尾目アカガエル科のカエル。動物学者の石川千代松にちなんで命名された。奄美大島と沖縄本島の山地に生息する大形種で、体長は約10センチメートル。背面は緑色で暗紫色の大形斑紋がある。斑紋の中央部は隆起し、それを中心に放射状の金線が走る。腹面は白色で不規則な暗色斑が散在し、指端には吸盤がある。産卵期は2-5月で、水源近くの伏流水のたまりに、径約4ミリメートルの黄白色をした大きな卵を産む(JK版「日本大百科全書(ニッポニカ)」から抜粋・要約)。
    4. 日本を含め東アジア一帯に分布するアユの亜種。奄美大島と沖縄本島北部に生息。沖縄本島では1980年代に一度絶滅したが、1990年代に奄美産を放流・保護して復活した。奄美大島では住用(すみよう)川・役勝(やくがち)川・川内(かわうち)川などに生息する。学術的に貴重であるが、レッドデータブック(絶滅危惧種)に登録されている。

DATA

●所在地
〒894-0036
鹿児島県奄美市名瀬長浜町517
TEL 0997-54-1210(代)
FAX 0997-53-6206
●入館料
 ( )内は団体料金
一般   300円 (210円)
高・大学生 150円(100円)
小・中学生 100円(50円)
●開館時間
午前9時~午後5時(但し、入館は4時30分まで)
●休館日
第3月曜日
年末年始(12月28日~12月31日、1月1日)
●URL
http://www.city.amami.lg.jp/bunka/kyoiku/bunka/hakubutsukan/shokai.html