斎宮歴史博物館は松阪牛で有名な三重県松阪市と、伊勢神宮で有名な伊勢市の中間にある三重県立の博物館である。なぜこんな所に博物館があるのか? それは、そこに国史跡斎宮跡があるからだ。
斎宮1 とは遅くとも7世紀後半から14世紀にかけて、伊勢神宮に仕えるために天皇一代に原則一人派遣された未婚の皇女、斎王の宮殿とその組織のことで、三重県によって1970年以来発掘調査が行われている。その発掘を行い、成果を展示しているのがこの博物館なのである。1989年の開館、今年で満20年を迎える。
博物館の外観 開館10周年を迎えた平成11年(1999)には、最新の研究成果を盛り込み、常設展示のリニューアルを行った
博物館から徒歩15分ほどにある「いつきのみや歴史体験館」(写真左下)。その北側(写真中央)には「斎宮跡歴史ロマン広場」(史跡全体の10分の1模型)が広がる
従ってここでは斎宮に関する全てのモノを扱っている。発掘調査で出土した遺物、遺構、歴史文献に見られる斎宮資料、物語文学に見られる斎宮、そして美術資料に描かれた斎宮や斎王など。学芸員は、こうした資料をひとわたりは理解し、使えなければならない。
たとえば8月1日から始まった『日本の宝・斎宮』展の7月30日の様子を少しご紹介しよう。
前日からの展示作業で、出すべきものはほぼ並んでいる。しかし担当者である学芸普及課のT氏は未だに走り回っている。
この展示は発掘調査とリンクした考古系展示である。T氏が発掘調査を行う調査研究課に割り当てた解説原稿を入手すると、同僚がそれをデジタル加工してプリントアウトする。専攻は文献史学である。別室では他の仲間がそれを手作りパネルにしている。専攻は国文学である。予算の削減の中で、展示業者や輸送業者を使った展示準備は入館料の必要な特別展のみ、しかも二日程度に限られる。担当者のこだわりは、その後から始まり、同僚はその方向性を理解し、フォローして展覧会を完成させる。従って文字パネルなどはほぼ手作りである。
手作りポスター 学芸員の血と汗と創意と工夫の結晶です(少しオーバーかな)
しかもこうした展示も斎宮とつながっていなければならない。テーマ立案だけでも大変なのである。私などバブルの末期に学芸員となり、予算の潤沢な頃に展覧会を開いていた者は、彼らの活躍にはつくづく頭の下がる思いがするばかりの今日この頃なのである。
(次回に続く)
10月17日(土)から11月23日(日)
開館20周年・国史跡斎宮跡指定30周年記念特別展
「伊勢物語 狩の使と斎宮」
斎宮のイメージは、かつての「神に仕える慎ましやかな宮」から、「都市のような区画を持つ宮殿」に変わってきました。斎宮ゆかりの『伊勢物語』第六十九段「狩の使」も、斎宮の壮大な碁盤目状の区画「方格地割」が機能していた頃の物語と考えられてきています。
『伊勢物語』の斎宮関係の絵画やその注釈書、同時代の斎宮の発掘成果を合わせ、考古学と国文学、歴史学のコラボレーションによる新しい『伊勢物語』の展覧会を開催します。