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日本には約5600の博物館(相当施設・類似施設を含む)がある。この中には、いわゆる博物館のほか、美術館、動・植物園、各種資料館なども含まれる。 ここでの活動を一身に引き受けるのが<学芸員>と呼ばれる人たちだ。 彼らは日々、資料の<収集>に奔走し、<保管・整理>に苦慮し、より良い<展示>方法に悩みつつ、そのかたわらで自らの<調査研究>を深化させ、蓄積された情報を人々に発信する<教育活動>を実践している。そんな彼らの八面六臂の働きぶりを紹介しよう。

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」

博物館の多くは、一般的に教育委員会の管轄下にあります。しかし、今回ご紹介する大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の管轄は大阪市都市整備局。「住まいと暮らし」が専門という珍しい博物館です。案内役は2001年の開館以来、館長を務める谷直樹氏。同氏は日本建築史の研究が専門で、大阪市立大学大学院教授。博物館の企画段階から参加し、展示内容に合わせた「ハコ」の設計にも関わりました。開館後は「ハコモノ」で終わらないようにと、多くの人々に来館してもらい、来館者が楽しみながら、何か新しい発見ができるようにと工夫を凝らし続けてきました。工学部建築学科の出身で学芸員の資格を持つユニークな館長が、ユニークな博物館をご案内します。
2010年7月16日

第1回 浪花見物に参りませう

 

大阪くらしの今昔館(大阪市立住まいのミュージアム)のキャッチコピーに、「ほっとしたいそこの人、しばし時を忘れて、浪花見物に参りませう」というのがある。大阪の人は「もうかりまっか?」というのが挨拶で、歴史や文化にあまり関心を示さないと言われる。しかし、今昔館の館長を10年近くつとめていると、そうではないことが分かる。都市化が進んで、ふるさとがなくなってしまった大阪の人は、自らのアイデンティティを歴史や文化に求めはじめているのである。

 

大坂町三丁目
1830年代の大坂の町並みを再現した「大坂町三丁目」。町会所のひときわ高い火の見櫓が来館者を迎えてくれます

 

今昔館のメインの展示は、ビルの9階に実物大で再現された江戸時代の大坂の町並みである。ここを散策すると、子どものころの記憶がよみがえって、心が和んだという来館者の声を聞く。彼らは江戸時代の大坂を知っているわけではないが、この展示には大阪へのアイデンティティを刺激する不思議な力がありそうである。それは、大阪の原風景がもつ空間の力ではないだろうか。それを体感できる仕掛けを施設(ハード)と運営(ソフト)の両面でこだわってきたのが、大阪くらしの今昔館の10年、いや企画段階からすると20年の成果である。

 

人形屋の店先
大坂町三丁目の一画にある人形屋の店先。お面、張子人形、でんでん太鼓などの玩具が並ぶ(9月中旬~4月中旬に展示される「商家の賑わい」のしつらい)

 

今昔館の町並みは、1991年に企画を始め、10年間をかけて資料を集め、時代考証を加え、設計図を引き、そして復元工事を行った。町家は、古い民家を移築するのではなく、桂離宮の昭和の大修理を担当した数寄屋棟梁が伝統技術を使って新築した。 しかも、博物館によくある書割1を造るのではなく、屋外にあるのと同じ工法を採用している。木造の構造体は伝統的な継手と仕口2のみで仕上げ、金具は使用していない。板塀などの釘も洋釘はいっさい使わず、すべて和釘を用いている。こうして、新築ではあるが、江戸時代の技術にこだわった、「ほんまもん」(大阪弁で本物のこと)の町家ができあがった。

 

町家の格子
江戸時代の伝統技術を使って再現された町家の格子。昼間、室内から外の様子がよく見えるが、外からは室内がほとんど見えない

 

(次回に続く)

 

脚注

    1. 書割(かきわり) 演劇の大道具のひとつ。木枠に紙や布を貼り付けて、舞台背景となる風景や建造物(壁・柱ほか)などを描いたもの。
    2. 継手(つぎて)と仕口(しくち) 建築で木材同士を同一方向(長い方向)につなぐことを「継ぐ」といい、継いだところが継手。比較的構造が簡単な相欠け継ぎ・いかす継ぎなどから、構造が複雑な蟻継ぎ・鎌継ぎ・追かけ大栓継ぎ・金輪継ぎなど、さまざまな継ぎ方がある。いっぽう、木材同士をある角度(直角が一般的)をもって組み合わせたところが仕口。
2010年7月23日

第2回 こだわりの演出

 

今昔館の「大坂町三丁目」の展示には、凝った演出の仕掛けがあるので、来館者は、さながら江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚におちいってしまう。

まず、建物に生活感をだすために、町家の1軒1軒に経年変化をつけている。この仕事は、映画で使うエイジングの手法を取り入れ、松竹映画の美術監督にお願いした。柱や格子の風食、白壁のひび割れ、屋根瓦の傷み、軒先のゆがみ、板塀の節穴、 雨落3などなど。建築後の長い年月を経た変化を表すことで、本物の建物に近づいてくる。

 

裏長屋と路地
大坂町三丁目の裏長屋と路地(大阪では「ろーじ」と発音)。壁、屋根瓦、板塀などすべてにエイジングが施されている。軒下の雨落がとってもリアル

 

板塀は面積が大きいので、とくに仕上げにこだわった。伏見の酒蔵に出かけて、外壁の焼杉4がどのように古びてくるのかを観察した。風雨にさらされた板壁の上部は白い木地が表れてくる。下部は地面の砂が跳ね上がり、苔が生えている。本物を観察することでエイジングの完成度が上った。

 

つぎに、音と光と映像による最先端の技術を用いて、1日の移り変わりが演出できる大がかりなシステムをつくった。その結果、夜が明けると、賑やかな商いの掛け声で町の1日が始まり、昼下がりになると金魚売りの声。そのうちに辺りが暗くなって雷鳴がとどろき、はげしい雨音が聞こえる(屋内なので雨が降ることはない)。夕立が上ると、町並みは美しい夕焼けに染まる。やがて夜空に月が輝き、星空に流れ星が走り、犬の遠吠えとともに夜は更けてゆく。こうした1日のサイクルが、45分間隔で繰り返される。町角にたたずむと、幼い日の記憶がよみがえり、懐かしさがこみ上げてくる。

 

夜になった大坂町三丁目
夜の帳(とばり)が降りはじめた大坂町三丁目の表通り。空には満月がかかっています

 

もちろん大坂町三丁目は架空の町であるが、建物の構成や配置は、学術的な考証のもとに復元されているので、江戸時代の大坂の町並みそのものである。表通りには、江戸時代の大坂を代表する商家が軒を連ね、路地をぬけて奥に進むと、裏長屋や共同井戸などがぎっしりと建て込んでいる。ここに居るだけで、江戸時代の庶民のくらしぶりを肌で感じることができる。

 

(次回に続く)

 

脚注

    1. 雨落(あまおち) 雨垂(あまだり)、雨垂落(あまだれおち)などともいい、屋根から雨垂れが落ちるところ。地面が窪むので、軒下に石を並べ置く場合もある。

       

    2. 焼杉(やきすぎ) 杉の材木を焦がし、表面を磨いて木目を浮き立たせたもの。

       

2010年7月30日

第3回 町家の歳時記

 

博物館の常設展示といえば、お勉強の場という印象が強く、楽しい思い出はない。学術的に再現されている今昔館も、堅苦しい展示ではないかと思われるかもしれないが、ここではテーマパークの楽しさをふんだんに取り入れ、いつ訪れても季節にあわせた催しがある。正月飾り、節分の豆まき、雛人形、端午の節句、月見の飾り、誓文払い(江戸時代の大売り出し)、そして年末の餅つき。

 

天神祭の宵宮飾り
天神祭の宵宮飾り。写真の右下、幔幕の奥に嫁入り道具一式でつくられた「獅子の造り物」が見える

 

圧巻は天神祭の宵宮飾りである。江戸時代の大坂では、祭りが近づくと町家の表に幔幕を張り、提灯をかけ、店の間や奥座敷に金銀の屏風をたて、造り物を飾る風習があった。造り物とは、店の品物や生活道具を使って、何かの形を模してつくった飾り物である。今昔館では、江戸時代に実際に作られた「嫁入り道具一式の獅子」、「化粧道具一式の鶏」、「仏具一式の布袋」などを再現している。そのユーモラスな造形は、江戸時代の大坂町人の遊び心を伝えてくれる。

 

町家の座敷では、月に一度、お茶会があり、子どもや外国からの観光客でも気軽に日本の伝統文化に触れることができる。同じ座敷は、上方舞や能の上演、落語の寄席の会場にもなり、毎年秋には「子ども落語大会」が開かれている。今昔館の入賞者から上方落語をになう人材が生まれてほしいと夢はふくらんでくる。

 

今から160年前、大坂の書肆で歌舞伎狂言作者でもあった西澤一鳳にしざわいっぽうは、大坂の気風について、「花やかに、陽気なることを好み」(『皇都午睡みやこのひるね』)と書き残した。大阪くらしの今昔館は、まさに陽気な大阪人が育て上げた、大阪ならではの博物館ではないだろうか。

 

お茶会
外国からの来館者や子どもたちも気軽に参加できる、月に一度の「お茶会」

 

子ども落語大会
毎年秋に開催される「子ども落語大会」。将来の上方落語界を背負ってたつ名人・上手が発掘されるかもしれない

 

(次回に続く)

 

2010年8月06日

第4回 モダン都市大阪

 

今昔館の8階には、近代の大阪をめぐる展示「モダン大阪パノラマ遊覧」がある。ここは9階の展示と比べるとあまり知られていないが、その精密な住宅模型はマニアの間ではちょっとは名が知られている。

 

近代大阪のパノラマ模型
「モダン大阪パノラマ遊覧」と題して、近代大阪の代表的な住まいと暮らしが、模型や資料によって再現されている

 

私がお勧めの住宅模型は、「北船場―旧大坂三郷5の近代化」。100分の1の縮尺で、きわめて精密に制作されている。この模型は、9階の展示室にある江戸時代の町並みが、明治・大正・昭和と年月を経る中で、どのように近代的に変容してきたのかを展示したものである。そこで戦前の最盛期であった昭和7年(1932)に年代を定め、さまざまな歴史資料を発掘して、町並みを再現している。設計担当は、日本建築史を専攻する新谷昭夫学芸員(現副館長)である。ここでは膨大な時代考証の過程をかいつまんで紹介したい。

 

沢の鶴ビル
昭和7年頃の大阪の町を再現したパノラマ模型。市電が通る堺筋の西側、平野町にあった旧沢の鶴ビル

 

最初に、昭和3年と同17年の航空写真を手に入れ、戦後のものも参考にして、建物の配置と屋根形状を割り出し、一つ一つの建物を確定する気の遠くなるような作業を繰り返した。つぎに、現存する建物、小西商店6(明治36年、重要文化財)や生駒時計店7(昭和5年、登録文化財)を調査した。また失われた建物では藤沢商店8(大正5年)の設計図を探し出し、さらに沢の鶴ビルの竣工写真や、地域の古写真を丹念に収集し、ようやく復元資料を調えることができた。

 

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同じく昭和7年頃の堺筋の様子。製薬会社が集中していた道修町どしょうまち付近

 

堺筋9を走る市電や自動車も、この時代の資料をもとに製作された。鳥打帽をかぶった商家の店員や親子連れなど、豆粒のような大阪市民が登場する。町の賑わいが聞こえてきそうなジオラマ模型である。

 

(次回に続く)

 

脚注

    1. 大坂三郷(おおさかさんごう) 江戸時代の大坂市中をさす呼称。元来は町方組織である北組・南組・天満組の3組をまとめていう場合に用いられたが、のち北・南・天満という地域呼称としても使用された。

       

    2. 小西商店(こにししょうてん) 旧小西儀助商店。現在の社名はコニシ株式会社といい、接着剤の「ボンド」で知られる。大阪市中央区道修町どしょうまちにある。平成13年(2001)に国の重要文化財に指定。
    3. 生駒時計店(いこまとけいてん) 大阪市中央区平野町の角地にある時計店。5階建の時計塔をもつ「生駒ビルヂング」は登録文化財
    4. 藤沢商店(ふじさわしょうてん) 大阪市中央区道修町にあった薬品メーカー。通称は藤沢薬品。現在はアステラス製薬株式会社。

       

    5. 堺筋(さかいすじ) 大阪市内幹線道路の一つで、正式名称は府道恵美須-南森町線。北区天神橋1丁目から南に下り、大川を渡って浪速区恵美須東3丁目に至る南北の道。大阪市電堺筋線を通すため、道幅を12間に拡幅して明治45年(1912)に完成した。

       

DATA

 

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」

 

●所在地
〒530-0041
大阪市北区天神橋6丁目4-20
大阪市立「住まい情報センター」8~10F
 (入口は8F)
・TEL 06-6342-1170
・FAX 06-6354-3002

 

●開館時間
午前10時~午後5時
 (入館は午後4時30分まで)

 

●休館日
毎週火曜日(祝日の場合は翌日)
祝日の翌日(日曜日、月曜日の場合は除く)
第3月曜日(祝日、振替休日の場合は、その週の水曜日)
年末年始(12/27~1/3)
※上記以外に臨時休館する場合があります。

 

●入館料
・一般600円 団体540円(20名以上)
・高校生、大学生300円 団体270円(20名以上)
※中学生以下、障害者手帳持参者、大阪市内在住の65歳以上は無料(証明書要提示)
※特別展開催期間中は別料金となります。

 

●URL  http://konjyakukan.com/