大阪くらしの今昔館(大阪市立住まいのミュージアム)のキャッチコピーに、「ほっとしたいそこの人、しばし時を忘れて、浪花見物に参りませう」というのがある。大阪の人は「もうかりまっか?」というのが挨拶で、歴史や文化にあまり関心を示さないと言われる。しかし、今昔館の館長を10年近くつとめていると、そうではないことが分かる。都市化が進んで、ふるさとがなくなってしまった大阪の人は、自らのアイデンティティを歴史や文化に求めはじめているのである。
今昔館のメインの展示は、ビルの9階に実物大で再現された江戸時代の大坂の町並みである。ここを散策すると、子どものころの記憶がよみがえって、心が和んだという来館者の声を聞く。彼らは江戸時代の大坂を知っているわけではないが、この展示には大阪へのアイデンティティを刺激する不思議な力がありそうである。それは、大阪の原風景がもつ空間の力ではないだろうか。それを体感できる仕掛けを施設(ハード)と運営(ソフト)の両面でこだわってきたのが、大阪くらしの今昔館の10年、いや企画段階からすると20年の成果である。
今昔館の町並みは、1991年に企画を始め、10年間をかけて資料を集め、時代考証を加え、設計図を引き、そして復元工事を行った。町家は、古い民家を移築するのではなく、桂離宮の昭和の大修理を担当した数寄屋棟梁が伝統技術を使って新築した。 しかも、博物館によくある書割1を造るのではなく、屋外にあるのと同じ工法を採用している。木造の構造体は伝統的な継手と仕口2のみで仕上げ、金具は使用していない。板塀などの釘も洋釘はいっさい使わず、すべて和釘を用いている。こうして、新築ではあるが、江戸時代の技術にこだわった、「ほんまもん」(大阪弁で本物のこと)の町家ができあがった。
今昔館の「大坂町三丁目」の展示には、凝った演出の仕掛けがあるので、来館者は、さながら江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚におちいってしまう。
まず、建物に生活感をだすために、町家の1軒1軒に経年変化をつけている。この仕事は、映画で使うエイジングの手法を取り入れ、松竹映画の美術監督にお願いした。柱や格子の風食、白壁のひび割れ、屋根瓦の傷み、軒先のゆがみ、板塀の節穴、 雨落3などなど。建築後の長い年月を経た変化を表すことで、本物の建物に近づいてくる。
板塀は面積が大きいので、とくに仕上げにこだわった。伏見の酒蔵に出かけて、外壁の焼杉4がどのように古びてくるのかを観察した。風雨にさらされた板壁の上部は白い木地が表れてくる。下部は地面の砂が跳ね上がり、苔が生えている。本物を観察することでエイジングの完成度が上った。
つぎに、音と光と映像による最先端の技術を用いて、1日の移り変わりが演出できる大がかりなシステムをつくった。その結果、夜が明けると、賑やかな商いの掛け声で町の1日が始まり、昼下がりになると金魚売りの声。そのうちに辺りが暗くなって雷鳴がとどろき、はげしい雨音が聞こえる(屋内なので雨が降ることはない)。夕立が上ると、町並みは美しい夕焼けに染まる。やがて夜空に月が輝き、星空に流れ星が走り、犬の遠吠えとともに夜は更けてゆく。こうした1日のサイクルが、45分間隔で繰り返される。町角にたたずむと、幼い日の記憶がよみがえり、懐かしさがこみ上げてくる。
もちろん大坂町三丁目は架空の町であるが、建物の構成や配置は、学術的な考証のもとに復元されているので、江戸時代の大坂の町並みそのものである。表通りには、江戸時代の大坂を代表する商家が軒を連ね、路地をぬけて奥に進むと、裏長屋や共同井戸などがぎっしりと建て込んでいる。ここに居るだけで、江戸時代の庶民のくらしぶりを肌で感じることができる。
博物館の常設展示といえば、お勉強の場という印象が強く、楽しい思い出はない。学術的に再現されている今昔館も、堅苦しい展示ではないかと思われるかもしれないが、ここではテーマパークの楽しさをふんだんに取り入れ、いつ訪れても季節にあわせた催しがある。正月飾り、節分の豆まき、雛人形、端午の節句、月見の飾り、誓文払い(江戸時代の大売り出し)、そして年末の餅つき。
圧巻は天神祭の宵宮飾りである。江戸時代の大坂では、祭りが近づくと町家の表に幔幕を張り、提灯をかけ、店の間や奥座敷に金銀の屏風をたて、造り物を飾る風習があった。造り物とは、店の品物や生活道具を使って、何かの形を模してつくった飾り物である。今昔館では、江戸時代に実際に作られた「嫁入り道具一式の獅子」、「化粧道具一式の鶏」、「仏具一式の布袋」などを再現している。そのユーモラスな造形は、江戸時代の大坂町人の遊び心を伝えてくれる。
町家の座敷では、月に一度、お茶会があり、子どもや外国からの観光客でも気軽に日本の伝統文化に触れることができる。同じ座敷は、上方舞や能の上演、落語の寄席の会場にもなり、毎年秋には「子ども落語大会」が開かれている。今昔館の入賞者から上方落語をになう人材が生まれてほしいと夢はふくらんでくる。
今から160年前、大坂の書肆で歌舞伎狂言作者でもあった
今昔館の8階には、近代の大阪をめぐる展示「モダン大阪パノラマ遊覧」がある。ここは9階の展示と比べるとあまり知られていないが、その精密な住宅模型はマニアの間ではちょっとは名が知られている。
私がお勧めの住宅模型は、「北船場―旧大坂三郷5の近代化」。100分の1の縮尺で、きわめて精密に制作されている。この模型は、9階の展示室にある江戸時代の町並みが、明治・大正・昭和と年月を経る中で、どのように近代的に変容してきたのかを展示したものである。そこで戦前の最盛期であった昭和7年(1932)に年代を定め、さまざまな歴史資料を発掘して、町並みを再現している。設計担当は、日本建築史を専攻する新谷昭夫学芸員(現副館長)である。ここでは膨大な時代考証の過程をかいつまんで紹介したい。
最初に、昭和3年と同17年の航空写真を手に入れ、戦後のものも参考にして、建物の配置と屋根形状を割り出し、一つ一つの建物を確定する気の遠くなるような作業を繰り返した。つぎに、現存する建物、小西商店6(明治36年、重要文化財)や生駒時計店7(昭和5年、登録文化財)を調査した。また失われた建物では藤沢商店8(大正5年)の設計図を探し出し、さらに沢の鶴ビルの竣工写真や、地域の古写真を丹念に収集し、ようやく復元資料を調えることができた。
堺筋9を走る市電や自動車も、この時代の資料をもとに製作された。鳥打帽をかぶった商家の店員や親子連れなど、豆粒のような大阪市民が登場する。町の賑わいが聞こえてきそうなジオラマ模型である。