(写真提供/北名古屋市歴史民俗資料館)
博物館の展示品。―太古からの人類の遺産、巨大な恐竜の化石、稀なる美術品、日常的に使われていたがその実用の責を失った民具などなど―。その対象物は枚挙に暇がない。
昭和日常博物館としての北名古屋市歴史民俗資料館が試みとして収集・展示しているのは、昭和時代、なかでも戦後から高度経済成長2を遂げていく過程の暮らしのなかで使われたものである。50年から60年前という過去であり、歴史として扱われつつもあるが、学術的評価は、まだ安定していない。ついこの間のことであり、多くの個人のキオクのなかにある時代である。しかし、このことが昭和日常博物館の展示に様々な可能性を提起している。
懐かしいという表現で親しまれるようになった「昭和時代」。その時代を知る多くの人たちが、郷愁を感じ、その時代の生活用品を見ると思わず自身の思い出を語ってしまう。特に昭和30年代は、電化製品の登場、普及によって暮らしが激変し、その記憶は深く刻まれている。こうした時代の生活用品は、実はあまり注意をはらわれることもなく処分されてきた。しかし、今、私たちの暮らしの原点ともいえるこうした時代の資料は、希少価値を伴い貴重な博物館資料として認識されつつある。
本来博物館が収集の対象としていなかったものを集める苦労と苦悩。昭和日常博物館の資料は、今でこそ資料と呼べるようになったが、集め始めた平成5年頃は、まったく顧みられていなかったものである。当時のキャラメルやカレーの空き箱、使われなくなった電化製品などなど、捨てられ消えていくはずの運命であったものである。率直に言えば、ゴミ、粗大ゴミとして扱われていたものでもある。
こうした取り組みの意思表示をしたのが、平成5年に開催した「屋根裏のみかん箱は宝箱」という企画展である。屋根裏などに木箱やダンボール箱にしまいこまれた生活雑貨、それが、私たちの詳細な生活史を知る重要な手がかりであるという展示会である。
私たちの記憶に残る身近なものを博物館資料として位置付け、収集・保存・展示するという動きが始まった。日常が博物館入りした時である。
(次回に続く)
この10年余り、昭和レトロブーム3と呼ばれる流行が継続し、幾度となくピークを迎え、だが、衰えることのない状況がある。商業としても「昭和」という単語やその時代背景、デザイン、イメージが多用され集客、販促につながっている。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日4」は好評を博し、各地の博物館で開催されるさまざまな「昭和展」は賑わいを見せている。
昭和30年代、懐かしい時代の展示は美化され、厳しかった現実等、本質が見えないという指摘もあるが、今、残しておかなければならないことは明白である。
当館のコンセプトを表現するために、もっとも貴重な資料は何かと問われると、写真(下掲)の資料を提示することにしている。
セロファンの赤、黄色、緑など色とりどりの袋、2cm×4cmほどの小品。色合いとともに、触ったときのパリパリとした手触りが懐かしい。何かといえば防虫剤。中に入っていた十円玉サイズの樟脳が揮発した空き袋、ゴミである。今市販されている防虫剤の多くは、袋から出してそのまま引き出しに投入するタイプのものである。防虫剤を入れる際に、ハサミで端を切り取っていたということも、こうした、ゴミと紙一重の資料から読み取ったり、思い起こしたりすることができる。残しておかなければ、暮らしの歴史から消えてしまいそうなはかないもののひとつである。
こんなエピソードがある。電話をかける際は、当然「ダイヤルを回す」という表現が使われたものだが、最近の電話機では「番号を押す」や「選択する」に代わった。黒電話を小学生に「かけてごらん」と提示すると、かけ方がわからない子どもがほとんどで、ダイヤルのナンバーを指で押すという結果を見る。ダイヤルの穴に指を入れてまわし、戻ってくるのを待つということを教えることになった。
知らない間に消失してしまうものや行為がある。暮らしというのは、習慣的に日々を過ごす、平凡、という側面を持っている。特に顧みなくともなんら困ることのない事柄も多い。
博物館の責務に、そんな平凡さも収集、保存しなければならないことを付加する必要があることを実感した。
(次回に続く)
資料館に一歩足を踏み入れると、一見するなり「懐かしい」という言葉を発してしまう。展示されている、かつて自身が手にし、味わった品々についての様々なキオクを思い出せば黙ってはいられない、という様子がよく見受けられる。それは、昭和時代の展示イコール今生きている人々のキオクの展示だからである。
昭和時代を展示や収集の対象として扱うことは、今を生きる人の多くが知り、実体験のあるものを資料として扱うことを意味している。縄文、江戸時代などの資料とは異なり、「私はこうした」と積極的かつ具体的に発言できる時代の資料なのである。
こうした活動を続けるなか「回想法」という高齢者をケアする手法との出会いがあった。「回想法」とは、懐かしい生活道具等を用いて、かつて自分が体験したことを語り合い、過去に思いをめぐらすことにより、生き生きとした自分を取り戻そうとするもので、展示会場では、自然多発的にキオクが掘り起こされ、来館者の笑顔を引き出している。
従来は、認知症のケアとして用いられていた心理療法であったが、北名古屋市では、地域に暮らす元気な高齢者がその活力を維持し、世代を超えた地域内の交流を巻き起こし、まちを創っていく手段と位置づけ、「地域回想法」と名づけて、取り組みを行っている。
懐かしいものには、人々の笑顔を引き出すチカラがあるのだ。
平成11年に「ナツカシイってどんな気持ち? ナツカシイをキーワードに心の中を探る。」と題して企画展を行い、回想法と収蔵品の新たな関わりを提言した。
そして、当館と収蔵資料及び明治時代の旧家である国登録有形文化財「旧加藤家住宅5」を活用し、福祉と教育と医療関係者が連携しながら回想法を用いた地域高齢者ケアを行っていくスタイルが確立され、平成14年度には「旧加藤家住宅」内に国内最初の「回想法センター6」が開所した。
現在も、保健士を中心に歴史民俗資料館、回想法センターが主体となり「北名古屋市思い出ふれあい事業」として多くの高齢者の参画を得て、さまざまな回想法関連事業が地域で展開されている。
博物館の担う役割に、高齢者ケアや認知症予防が掲げられることはなかった。多くの人のキオクに残る昭和時代の生活資料を扱うことで、コレクションが新たな社会的資源として認識され、博物館に新たな責務が誕生した。
(このシリーズ終わり)