兵庫県立歴史博物館は、世界遺産・姫路城の北側、シロトピア記念公園のなかにある。神戸にあると思い込んでいる人も多いようだが、歴史を物語るという意味では、これほどふさわしい場所はほかにないだろう。ただ、姫路城を見に来る人の多くが、北側に博物館があるということには気がつかずに(姫路城は南側が正面なのだ)そのまま帰ってしまう、というのは頭の痛いところなのだが。
私はこの兵庫県立歴史博物館で、民俗担当の学芸員として勤務しているが、当館には近代史を専門とする学芸員1がいないため、そちらの仕事も私の兼務となっている。と言うより、むしろ近代関係の資料を扱う仕事の方が圧倒的に多い。
それに加えて、当館には「入江コレクション」と呼ばれる、児童文化史関係資料の一大コレクションが収蔵されているが、こちらも私の担当とされているのである。「入江コレクション」は、大阪の児童文化史研究家であった故・入江正彦氏が35年にわたって収集した子ども文化に関するコレクションで、入江氏が平成12年(2000)に亡くなられた後、御遺族の御厚志によって当館に一括寄贈された。その内容は玩具・書籍・教育資料・生活用品・衣服など多岐に及んでおり、その総数は約11万点に達する膨大なものである。
この「入江コレクション」を含めて当館の所蔵資料は約32万点に及ぶが、民俗資料、および近代史資料の占める割合はもともと多いので、館蔵資料の半数、下手をすると3分の2は私一人で管理していることになる。これほど極端ではないにしても、民俗担当の学芸員は、ともすれば歴史担当の学芸員も美術担当の学芸員も扱わない「その他」の資料をすべて引き受ける「何でも屋2」と化しているきらいがある。もしあなたが、民俗担当の学芸員を目指しているならば、ゆめゆめ覚悟なされるよう・・・。
数年前、ある雑誌の企画で「学芸員の怪談を語る」という座談会(というより怪談会)に参加したことがある。私は「妖怪」を主な研究対象としていることもあってお呼びがかかったのだが、正直困ってしまった。私の勤務先の博物館には、怪談がないのである。
博物館という場所には、長い歴史を経てきたさまざまな古いモノが山のように収蔵されている。それだけで、多くの人は何か霊的なものが渦巻いているように感じてしまうようだ。昨年の夏にパート2が公開された『ナイトミュージアム3』というアメリカ映画は、そのあたりのことを象徴的にあらわしている。真夜中の博物館で、ひとりでに動き出す展示物の恐竜やロウ人形・・・人が古いモノに対してほとんど本能的に感じる「不気味さ」が、そのような想像をかき立てるのだろう。
しかし、ご期待に添えず誠に心苦しいのだが、当館には怪談がございません。何でだろう困ったなと頭を抱えながらとりあえず怪談会に参加したのだが、はからずもその場で謎が解けたように思った。
なぜ博物館に怪談がないのか。それは、学芸員が怪異を怪異として認識しないからである。例えば、収蔵庫で怪しい物音を聞いたとする。普通の人々には、それが時代を経てきたモノのうめき声のように聞こえるかも知れない。だが、学芸員にとって、モノはただのモノであり、物音はただの物音なのである。それらのあいだに関係性が打ち立てられれば、怪談が一つできあがってしまうわけだが、学芸員の前ではそれらは個別のモノ/コトに解体されてしまい、怪異譚を形成することはないのである。そうしたことが、怪談会を通じて見えてきたのだった。結局、「博物館の怪談」を作り出すのは、博物館の内部にいる学芸員ではなく、内部と外部の境目にいる人々、つまりアルバイト職員や派遣の職員たちだったのである。
水木しげる4の「ゲゲゲの鬼太郎」や京極夏彦5の「妖怪小説」などを通じて、子どもや若い人たちのあいだに妖怪に対する関心が広がっており、普段は博物館に来ないような層を呼び込める人気企画として、妖怪の展覧会が最近とみに目につくようになっているが、もともと公共の博物館として最初に妖怪展を開催したのは、私の勤務先である兵庫県立歴史博物館だった。昭和62年(1987)に開催された「おばけ・妖怪・幽霊…」と題するその展覧会は、画期的な試みとして注目され、多くの観覧者で賑わったと聞いている。
それから20年以上経った今では、妖怪展は夏の恒例行事となってしまったが、まさに妖怪を研究対象としている私は、かねてから一つの疑問を胸のうちに抱えていた。妖怪展で展示されるのは、絵巻や浮世絵といった絵画資料が中心なのだが、それらは多くの場合「闇に対する恐れ」や「異界に対する想像力」を反映したものとして説明されている。しかし、果たしてそれは正しいのだろうか。なぜならば、本来、口頭伝承のなかの存在であった妖怪は、視覚化された時点ですでに「フィクション」としての道を歩み始めているからである。さらにいえば、視覚化された妖怪はすべからく「見て楽しむもの」であり、その意味ではまさに「マンガ」なのである。
こうした疑念をもとに、私は昨年「妖怪天国ニッポン―絵巻からマンガまで―6」と題する展覧会を企画し、兵庫県立歴史博物館と京都国際マンガミュージアムの2つの会場で開催した。この展覧会は、妖怪とは江戸時代からすでにフィクションであり、娯楽の対象であったという私の考えに基づいたもので、闇や恐怖などではなく「明るく楽しい妖怪展」をめざしたものだった。妖怪とは馬鹿馬鹿しくて楽しいものなのだ、ということに気づいてもらえれば、この展覧会は成功だったと私は考えている。
(このシリーズ終わり)