仏教が日本に伝えられて以来、日本人は仏教と共に生きてきた。思想・信仰はもちろん、生活万般にわたって仏教を享受し、時の降るにつれその度合いを深め、切っても切れない関係を結んだ。さらに時代の推移により、中国伝来の仏教に手を加え、独自の思考のもとに教理や実践を組みかえ、新たな日本仏教の用語を生み出してきたのである。その変容は時に激しく、時に逸脱の恐れを含みつつも、日本人の血となり、肉となったといえよう。ただ忘れてならないのは、言語表現として日本人は漢訳された仏典を基盤とし、その漢語を日本のやまと言葉(和語)に翻訳するというこころみも姿勢もとらなかった点である。のり(仏法)、いむこと(戒)などは翻訳の数少ない例といえよう。
いずれにせよ、日本の仏教が育んだ仏教語は、その内容を極めて豊かなものにしたと思う。わたしのこうした理解は、日本の仏教術語のもつ豊かさを、語彙の平明な解説に例文を加えて明らかにしたいという思いを培い、本書の執筆・編集へとつながったのである。
もっとも、このように考えるに至ったことにはそれなりの経緯がある。平凡社で出版された『世界大百科事典』の仏教語の蒐集にたずさわったことや、同僚・後輩と協力して執筆・編集した中村元監修『新・仏教辞典』(誠信書房)の出版、そしてその後の、小学館刊『日本国語大辞典』(二十巻)における仏教語の担当などがそれである。わたしはそれらを踏まえて、日本の仏教語に焦点をしぼった辞典は作れないものかと思うようになった。
こうして、文献をほぼ日本人の書いたものに限定し、用語を拾いだしたのがいつから始まったかはっきりしないが、昭和五十三年の一月二十日の日記に「終日カード書き」とあるのをみると、用語拾いはかなり遡るとみえる。拾った文献はもっとも古いもの(三経義疏)をはじめとして、江戸末期まで、仏教書はもちろん、日本の歴史を通してわたしの能力の及ぶ可能な範囲で、さまざまな分野にわたってとりあげた。文献表一覧(ただし全部をのせることはできなかった)をみて頂ければ、おおよそその主なものは知られるはずである。辞典の原稿執筆は昭和六十年秋ごろには始めている。
しかしいちおう書き終えた原稿が編集部にわたされた後、当初の出版情勢と現況とのズレによって、かなりの項目の削除が必要になった。ただ、削除の傍ら新たな補充も行って、ようやく日の目をみることになった。いま発刊を前にして改めて、原稿の解説執筆の段階で多くの先学・同輩の方々の業績に助けられ、その恩恵に浴したことを思いおこし、かえりみて身の幸せに浸っている。
ただ最後に一言付け加えておきたいのは、日本人の仏教は「一切衆生悉有仏性」の語になずみ、逆にマイナスの側面も育ててきたことである。一切の平等を説きながら、その反面で、社会のその時々の風潮に流されて性別や身体障害や生業などに対して蔑視・排除の通念を受けいれてきた。これは正に、日本の仏教の汚点といっていいものである。本辞典はそうした汚点をかくすことなく項目として拾っているが、事実を事実として認め、平等こそ仏教の精髄であることに思いを致して頂ければ幸いである。