国語辞典といえば、五十音引き辞典というのが一般に定着しているが、ここに新しく意味分類による辞典を世に問うことにした。
従来の五十音配列辞典は、文字使用の面については有用であるが、ある事例をどう表現したらよいかということについては無力な面があった。この辞典は、われわれが長らく不問に付してきたこの問題をまず解決しようとした。
いわゆる表現のための辞典は、観念を言語化するために、一つの概念とその意味内容を大見出しに掲げ、それに関連する語を集めて配列する必要があると考える。そのためこの辞典は類語辞典の体裁をとることになった。
類語といわれるものは、比較的意味の近いもののグループのことであるが、その限界はあいまいさが常につきまとう。もし全語彙を包含した類語辞典を作るためには、語の意味分類を全語彙体系の中に位置づけなければならない。
言語は体系をなすものだと言ったのは、現代言語学の祖ソシュールであった。ソシュールは言語を一つの有機的な全体と見、その中ではいろいろな要素が互いに依存し合っており、語の意味は体系全体から出てくるものであるとした。すなわち、語の意味は体系全体から切り離しては存在しえないということである。何の意味的関連もなく一つ一つの語が孤立している従来の辞典に対して、この辞典は語の意味を本来のあるべき姿においてとらえようとして、各語を語の集団体系の中に位置づけたのである。
この語彙体系表は、最初から辞典を目的に作成したものではなかった。外国語習得の便法から語の意味分類を始めたのがきっかけであるが、もしこれを国語の語彙全域に及ぼすならば、語によってこの複雑な現象界が秩序づけられるばかりでなく、われわれの学習活動も能率化するに違いないと考えるようになり、本格的な分類作業に取り掛かったのである。
まず人間生活全体を自然・人間・社会・文化などに大分類した上で、十進分類方式の考え方を採用した。それによって森羅万象は整然と細分化され体系づけられたのである。この体系表が完成したときには、さながら言語によって構築された一つの世界を見る思いがしたことであった。
語彙体系の作成に際して、各語がどのグループに属するかを一つ一つ厳密に検討する作業は、単語の意味を正しく規定する必要があり、分類作業が、実は辞典作りそのものとなったのである。そしてこの語彙体系を辞典の適用に踏み切ったのであるが、各語の所属を確認しながら語釈を進めて行く方法は、単独作業を余儀なくされる。それは長い孤独な言葉との闘いの連続であった。かつての「大言海」の奥書が述べるように、この小著を通して体験した苦難も同様なものであった。何とか挫折することなく刊行にこぎつけられたのは、ひたすら現代意味論の成果を辞典に具現化しようとする願いを持ち続けた結果に他ならない。
この辞典は高い志によって編まれた。しかし単独作業の辞典にはおのずから限界があるだろうと考えていたとき、図らずも斯界の第一人者、大野晋先生のお目に留まり、ご批判を仰ぐことができた。先生はつとに広辞苑の基礎語の語釈を手掛けられ、近くは二十年の歳月を費して古語辞典を完成されており、辞典編集には高い見識を持っておられる。その豊かな学識と鋭い言語感覚により、本文の全語彙を再度にわたりご校関いただき手を加えられた。このことはこの辞典にとってまことに幸運だったといわねばならない。
最後にこの辞典の利用法について一言触れておきたい。この辞典の見出し語は五十音順配列でないため、索引によって目ざす語を捜さなければならない。これはこの辞典の特質であって、一つの語を捜し出す過程において、いろいろな語に接することが、その語の意味成立に関与していると見るべきものなのである。利用者は、一語を引いてもその周辺の語や関連した語を学ぶことができ、既成の辞典では得られないさまざまな知識を身につけることができるはずである。
この辞典は一つの試みの域を出ないが、このような形にまとまったのは、大野先生はじめ多くの方々のご助力と、先人の著作・業績を参考にさせていただいたためであり、また、これが日の目を見るに至ったのは角川書店側の積極的なご協力、なかんずく佐野正利部長の慧眼と努力によるものである。これらの方々に深く感謝の意を表する次第である。