はじめに

 ことわざは、ごく短い言語表現だが、その意味は味わい深いものがあり、表現技法は比喩や誇張、反語、掛けことばなど、じつに多様で、聞く者の理性だけではなく感性に訴え、大きな説得力を持っている。また、古くから伝えられてきた口承文芸だが、現代の生活のなかでもしばしば使われ、長い経験にもとづく社会生活の規範や生活の知恵を伝えるほか、状況を把握し、判断をくだす際などに重要な役割をはたし、時には鋭い批評となり、また、コミュニケーションに笑いやユーモアをもたらすこともある。
 ことわざは、口承ゆえに学問的には軽くみられがちであったが、過去の庶民生活を知るうえで貴重な資料の宝庫であり、同時に現代に生きる重要な言語文化といってよいだろう。
 ことわざの歴史をふりかえってみると、ことわざは庶民の間で古くから親しまれ伝承されるとともに、新たなものを含めて常に取捨選択されたり、改変されることで洗練されてきた。個々の表現のほとんどは作者不明で、近代の個人が主体となる文芸とは異質の集団文芸といえる。表現の多くは日本独自のものといえるが、出自にはこだわらず、古くは漢籍や仏典からも受容し、俗曲や川柳などからも取り入れ、近代には西洋起源のものも積極的に吸収していた。日本のことわざは、その比喩表現が鮮明なイメージを喚起するものが比較的多く、この点を生かして西洋伝来のカルタと融合させ、世界的に類をみない「いろはかるた」という国民的ゲームを生み出すことにもなった。

 ところで、個々のことわざをほんとうに理解するには、どうすればよいのだろうか。
 単に抽象的な意味を覚えこんでみても不十分なことは明らかで、たとえば比喩表現なら、自らの想像力でイメージを喚起してみることが必要であろう。時代や風土が異なる場合は、その背景について知ることも重要である。ことわざには、明示されない社会的文脈があり、表層のことばだけで解釈しようとすると、とんだ誤解をしかねないところがある。さらに、ことわざは使う場面や状況とぴったり合うときにのみ威力を発揮し、逆にずれて場違いになると反発を呼んだり、ばかにされかねないから、用法を知り、適切な場面かどうか的確に判断する感性を磨かなくてはならない。  この辞典は、以上のようなことわざの特性を考慮し、その意味を解説するだけでなく、背景や用法についても適宜説明を加えた。また、用例を重視し、主なことわざについては、使われた状況や文脈がわかる形で引用することにつとめている。特に、現在も盛んに使われる表現については、近現代の生きた用例によって、抽象的説明ではなかなか伝わらないニュアンスや用法を感じとっていただければ幸いである。

 なお、この辞典では、ことわざに隣接する故事や慣用句(言い習わし)、俗信・俗説、しゃれ、唱えごと、なども収録している。これらのジャンルは、理論的にはことわざと区別されるが、現実にはいわば濃淡の違いで連続していて、ことわざと重なり合うゾーンも存在する。ここでは、大型辞典としての実用性も考慮し、隣接領域の間口はおおむね広くとり、特に歴史的なことわざ文献と重複する部分は文献名を挙げて示した。

 この辞典を編むにあたり、太田全斎や藤井乙男、鈴木棠三、金子武雄など、ことわざ研究の先達の業績に導かれ、また、現代のことわざ研究の多くの成果の恩恵をこうむったことを記して、深く感謝したい。さらに、『日本国語大辞典』(小学館)のデータを利用することができ、近年多くの研究者の協力を得て刊行されたことわざ資料集を活用できたことも大きな支えとなった。併せて関係者の皆様に感謝したい。

二〇一二年一月
北村 孝一
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